人との縁というのは本当に不思議で不思議でワクワクしてくるもの。
この仕事に就いてからか、私の内面=精神が耕かされていくのを日々実感しています。これは、患者さんのお陰としか言いようがないのですが。
でも、反面困ったことに、内面=精神が耕かされるほど、本来の強い感受性が益々強くなっていくようで。
感受性が強くなればなる程、相手の深層(相手も気づいてない部分=魂)の部分まで感じてしまう時があります。
それに困るというのは、少し感じ過ぎて過興奮によって疲れる事が稀にあります。
今までの体験から、澄みきった魂には、自然と涙が出てきます。
かなり遠くからでも、身近でも濁っていると、私にバリアが張られる感じがするのです。魂の澄んでる濁ってるは、私の涙とバリアによって判断されてるもので、かなり勝手ですが。
最近、私の周りには男女問わず
私の内面を耕かせてくれる、不思議な縁で繋がってる人達が、様々な角度から集まってきています。
皆、出会うべくして出会ってるとしか言いようがありません。
昨日も不思議な縁を感じる患者さんがこられました。
今大きな責任と使命を感じています。
これもきっと通過しなければ多くの人を救えないと、
見えない何かが私を揺さぶっている…そんな気がしてならないのですが。
師匠の「心と身体と魂の救済を目指す」との理念は、私の後半生、大きな意味をもっていく。その覚悟を決めようかと最近特に思っています。
先日友人に誘われて、東京で面白いイベントに参加して来た。
ドイツが発祥。世界で600万人の人が体験してるらしい。
簡単に言えば、90分間、8人グループで真っ暗闇を回り、様々な体験をして五感を養うというもの。でも、1番の目的はコミュニケーションらしい。
公園のブランコに乗ったり、喫茶店でお茶を飲んだり、皆でハンカチ落としをして遊んだり等々。とにかく真っ暗闇の中で全てを行っていく。皆さんの声と白杖だけを頼りに進んでいく。知らない人の身体触りまくり。案内役は全盲の方だった。頼りになる。逆転。
まず、真っ暗闇に慣れる事はなかった。そして、協力しないと進めず自然と団結力が生まれる。何より、皆さん童心に戻ってキャーキャーはしゃいでいた。
感動の声が多く、私も自分がどのように感じるかチョット楽しみに参加した。終わってからの感想は、普段感じた事の無い肩凝りを非常に感じたという事。だって、自由に動けないんですから。
身体が硬い証拠です。
1番心に残ったのは、暗闇喫茶店での話しの中で、「子供達だけで行った時、大人の数倍も足取りが早くどんどん進んでいく」という事を聞いたこと。さすが子供達!!
経験値が少ないからか、怖さに対する先入観が少ないからか、冒険心の方が勝っているからか。
子供は全てが柔らかい。身体も頭も。その柔軟さ学ぶこと大。
私にとって自然と子供は同類。その柔らかさ、安心感で満たされる。
先日、東京にカリスマ美容師がいるとの事で用事のついでに出向いていった。
カリスマってどんな感じかな?というのが私の興味の対象だった。
カリスマを調べると「超自然的・超人間的な資質」「人々を率いて時代に大きな変革をもたらす力」「人を惹きつける魅力」とあった。
まず、美容室の椅子に座ったら、勢いよくカリスマが現れた。おもむろに、私の髪型を見て自分の主張の一部を言い残して(前髪ですね~)立ち去って行った。
シャンプー後、こちらの言い分も少し聞きながらもいきなり前髪をバサッとカットしていく。(小学校以来こんなに前髪が短くなった事ない)
殆どの美容師は前髪は最後に切る。何故かというと1番難しく、ここで失敗するとうるさいお客さんに何を言われるか分からないから慎重にいくのは当たり前。「大胆にいかれますね~」と言うと、前髪を初めに切る自分の凄さを何気にアピールされる。
途中、似合うね~とか、いいね~を連発されながら私を乗せていこうとする。「すごいマインドコントロールされるんですね」と私も負けてない。(あまり似合ってるとは思えない為)
ちょっと私の勢いにたじろぐカリスマ。そこが人間的で良かった。「また東京きたら寄って下さいね!」と言われ別れた。
結果、私のカリスマ論は、①爽やかな勢いがある事。②ポリシー(自信)を持って楽しんでる事。③そのポリシーを相手に共有させる力がある事。④言ってる事と結果が一致してる事。(相手が満足したかどうか)これが1番大事。⑤優しい事(ちょっとお人良し)ここが本当のカリスマと偽との分かれ道。⑥いい人が側にいる事。
何れにしても、生命力が満タンで、如何に上手に距離感を持って、相手にその生命力の威光を注げるか。かな?
私自身にはカリスマ力が有るとは思えないが、カリスマを沢山排出したいと心から念じている。
素晴らしい先輩達に育てて頂いた思い出は数え切れない。何気ない一言に内面を見抜かれて檄を飛ばされた事、一緒に笑って泣いて、一緒にお風呂に入って行動を共にして下さった。時には、先輩の良いと所と悪いとこ両方見た方がいいよと言われ、先輩の悩みまで打ち明けて下さった事も。
まさに20代は手塩に掛けられて育ってきた。
今、人を育てる事の難しさと重要性をひしひしと感じている。。
私の人を育てる事の考えの一端は、
第一に、人材を探し出すこちらの眼が重要。
第二に、人を愛する心がこちらにあるかどうか。
第三に、愛しながらも人を客観的に見る冷静な眼を持つこと。
結局相手ではないかなと感じてしまう。
今、桜が満開を迎えている。先輩がかつて私に、桜は咲きたいと思って咲いてる、でも、春が来て温暖にという条件が調わないと咲かないもの。人も同じで、成長したいとの思いと、成長させたいとの両者があって初めて桜のように満開になると語られた。
でも、人を育てると言っても、そんな奥がましい事でなくて、自分自身が生き生きと、好奇心一杯日々ワクワクして、何歳になっても輝き成長してる事が一番大事なことなのかもと最近は感じる。
昨日、志を同じくする鍼灸師仲間が集って研修会が開かれた。
夏季研修会に向けてどのように後進の鍼灸師に伝えていくかをポイントにした勉強会だった。中心は体表観察。内臓の異常が体表(身体にあるツボや皮膚、舌、脈、顔色等の事)に現れる論に重点がおかれた。
我が鍼灸グループの理念のひとつに、「東洋医学における身体と心、魂の救済を目指す」とある。人間の深層、魂の領域までを常々考え感じていこうとするメンバーと鍼を互いにする事の愉しさは格別だった。
いつも鍼をする立場の私が体表観察や鍼を受けると、様々な事が発見でき、手技を越えて見えるものが大きい。
ツボの触れ方、脈の取り方などなど、身体に触れる事の怖さと重要さをいつも感じる。
今回、ある先生に脈をとられただけで、まず心が驚くほど安定し、安心感に満たされた。多分、その先生の意識を超えた魂の部分と、私の魂が感応したのだと直感した。インパクトの大きい体験だった。
体表に触れる事、師匠はその魂の根本は「愛」と表現された。
愛を患者さんは、我々を通じて確実に感じておられる。
気負い無くありのまま、魂から滲み出てくる愛こそ本物と信じて精進したい。