今日10月5日は、師匠、藤本蓮風先生の69歳お誕生日。
様々な人から先生の年齢を問われ、お答えすると(男性なのでお許しを)ほぼ全員が「まだお若いのですね!」と言われる。
実際、年齢の感覚は昔とは随分変わり、その上、師匠はいつも全てに「熱い!」ので周りには若い人たちが沢山集まってくる。若い人より若っ!と感じる場面は多々見られるほど。
臨床歴まもなく50年!昭和54年に鍼灸学術団体「北辰会」を設立され後進の道を現在も切り開き続けて下さっている先駆者の師匠。
二十冊になんなんとする著書も出版され、中でも今年8月に出版された『体表観察学ー日本鍼灸の叡智ー』は、特別な意味を持つ書籍と感じている。
叡智とは、深く物事の道理に通じる才知とある。
それは、長年の臨床経験に基づいた真実の結晶故に、永遠に光彩を放ち続けていく叡智と確信している。
著書の正に初め第1章の1に、「手当の論」とあった。
少し抜粋させて頂くと、「“触れる”事により、患者は安堵する。いわゆる手当ての論であり、スキンシップである。元来我々がもっている気一元の生命に対して直接触れるという事であり、いわば、気一元の個性化を協同的に還元する作業ともいえる。」とあった。(東洋思想を勉強してない人には少々難しいかも)
この壮大でダイナミックな生命観!生命の根底では全てが繋がっているという宇宙観があってこそ、体(生命)に触れる事の真の重要性に気付く。
この一言を思いながら、患者さんのお身体を診させて頂いている。
更に、「還元作業」の四文字には謙虚にならざるを得ない。
著書を開くと、九州大学医学研究院 麻酔・蘇生学ご専門の外 須美夫先生の推薦文と、中国の国医大師であられる広州中医薬大学終身教授の鄧鉄涛先生、南方医科大学中医薬学院教授の靳士英先生より直筆で頂かれた推薦文がこの本の重みに重厚感を添えている。
この『体表観察学』を1人でも多くの医療関係者に手にして頂きたいと切望する。そして、感謝と感動を持って縁(えにし)深き患者さんのお身体に触れさせて頂きたい。
師匠の益々のご健康とご活躍を祈りつつ。この日に感謝して。
先日研修会の後、先生方からの質問の中に、精神疾患の人への声の掛け方を問われました。
人によって全く違うのでお答えしにくい事と、お会いした時に自然と出てくる言葉が正直なところかもしれません。実は、何が口から出るか分からないのです。自分でも。
我が鍼灸院も最近、様々な心の葛藤や悩みを抱えて来院される方がめっきり増えました。医者からは、強迫神経症とかパニック症候群、心身症、うつ病等々病名を付けられてこられます。(病名付けるのもどうかしらと思いますが。)こちらの対応が問われるのは必然ですが、中々の難問です。
様々な本を読んでいますが、中でも臨床心理士の河合隼雄先生の言葉が目に飛び込んできました。
先生は、「考えたらだめなんですよ。いわなければならないところへ自然に自分が出ていくという感じなんですね。ある状況に応じて自然に言葉が出てくる」と、ある対談の中で言われました。
心から共鳴し嬉しくなるほどの一言でした。
私は、この患者さんには今度こんな風に言ってあげようとか、全く無い(実はできない)ので、この言葉に救われる気持ちにもなりました。
たとえ同じ病名が付いていても、環境も性格も全てが違う患者さんです。ましてや患者さんも毎日、瞬間瞬間心の中は移り変わっていきます。
ですから、患者さんのお顔を見たその瞬間に自然と出てくる言葉が私にとっては1番自然な言葉なのです。きっと誰に対してもそうかもしれません。
反対に、患者さんにお伝えしたいことがあります。
私が考えてる時は、本を読んでいる時と人と話してる時のような気がします。沢山のヒントがその中に詰まっているので、自分の考えがどんどん湧いてきます。
1人でいる時、散歩してる時などは、その時目にしている事に心が動いています。これはある面、子供のような感覚なのかもしれません。良い悪いは別として。
パニック障害等、いわゆる精神疾患の病名が付けられてしまった患者さんの共通点のひとつは、頭で考えることと、心で感じる事のバランスが少し乱れているのかもしれません。
頭で考えすぎて心がついていってないというか…
あなたの心は、目の前の花をそのまま美しいって感じたいのではないでしょうか。
今目に入ったもの、いちばんいいのは自然だと思いますが、自然に触れてそのままを感じる事って本当に素敵です。時間が無ければ空を見上げるだけでも。変化があって綺麗ですよ。
過去の嫌なこと、未来の心配な事、いろいろ考えてしまうと思いますが、その間に、美しいなぁという今の感情を大切にする事は、精神のバランスをとるひとつの方法だと思います。
頭で考えるのを少しやめてみて、今を感じる心を大切に。
美しいってそれだけを感じてみては。ありのままに。
数年前来院された男性の顔を見ると、紫のアザが数箇所。どうされましたか?と問うと「妻に殴られまして…」と。遂に女性が男性を殴る時代に入ったのかと。今朝も、まさに妻の暴力がテレビでトピックになっていました。そこでこれを東洋医学で考えてみることに。
東洋医学では「陰」があれば「陽」があるというように、常に「陰陽」で物事を捉えます。単純に言えば、陰は女性、陽は男性です。(身体的にも生殖器の違いが陰陽を表しています)
陽は、「熱」「動」「昇」「明」、陽に対して陰は、「寒」「静」「降」「暗」等々と関連してます。
つまり、か~っと熱く頭に血を昇らせてしまう暴力という行為自体は陽に属します。陰陽は常に相対的なもの(相手があるから成り立つという事)なので、暴力をふるわれる相手も同時に考えないとお話になりません。
きっと暴力を受ける夫は、大人しく静かな陰タイプの人なのでしょう。
普通に考えても、暴力ふるって倍返しされそうに人にはあまり自分から攻撃しないですから。
最近、「生理前になると離婚の危機に陥るほど私大変なことになるんです」と薬で生理を止めておられる患者さんが何人かこられました。皆温厚そうな感じの方ですが。生理前は身体も熱くなって陽が昇りやすくなるためにイライラするためです。薬なしで離婚危機は回避されました。
鍼治療って本当に平和を作る仕事だと感じます。
話は戻って、暴力妻の理由はそれぞれのようですが、抵抗しない夫にイライラする、気持ちを分かってくれない、ジメジメしてる、淋しさの伝え方が分からない等の陰タイプ男性に向けられる事が多く、無抵抗夫の方は、妻に淋しい思いをさせたことを反省したりしてるのです。何て優しい夫でしょうか。
しかし、これでは、他人がいくら心配しても夫婦の陰陽がガッチリハマっているので抜けるのは難しいです。
それでも、いくらでも抜け出す方法はあります。両者のベクトルを変えることです。暴力妻は、エネルギー(鬱憤も含めて)の発散が出来てないので陽が高じて暴力になるのです。よって、運動、友人に話す、歌う、書く何でもいいので内に込めてるもの(鬱憤)を外に出すことです。
無抵抗夫は、母性本能のような優しさに満ちてるのですから、動物飼うとか、メダカ飼育するとか(メダカ療法ってあるようでメダカは癒し効果があるらしい)困ってる人を助けるとか、他に愛情を注ぐ事です。
これらが本質的な解決にならない場合も多くありますが。
ここでの大きな問題は、コミュニケーション不足に起因するように思えてなりません。コミュニケーションの問題の最たるところが夫婦に表れてるのだと感じます。思っていることを話す、対話する、意思の疎通が出来る事。人生でこれ以上の充実と幸せはないと個人的に思っています。
「心と心を通わせる」こんな人間的な行為が失われつつあることこそ大きな問題なのではないでしょうか。
皆さん寝て起きたときの夢を覚えていますか?
夢って不思議ですね。考えてもいなかった事が突然出てきたり、その展開が現実離れしていたりと・・・
以前、何かの本で読みましたが、ナチスのホロコーストが行われる数年前から、多くのユダヤの人々が酷い悪夢を見ていたとのデータが出ていたそうです。
こんな風に夢には、予知夢や深層心理、その時の精神状態などが反映される場合があるようです。
私は最近あまり見ないですが、たまに予知夢らしきものを見ます。決まって夜中4時に夢で目が覚めます。その時の夢は殆ど現実になり友人から驚かれる事がよくあります。
東洋医学では、朝4時は、肺の経絡と関係している時間です。また、五神といって各五臓ごとに神(しん)が宿るとされています。
肺の神は「魄(はく)」といって「本能・感覚・反射的動作」と関係があります。
因みに「肝は魂(こん)」「心は神(しん)」「腎は精・志」「脾は意・智」とされ、五臓が家で、神は主(あるじ)になります。つまり、肺という家が働くのは、魄という主がいるから。といった具合です。
ちょっと難しいですか?この辺は「心と体と魂」を一体化して診る東洋医学の面白いところなのですが。
また、夢や霊感などは、大体「肝―魂」が主に関与し、「肺―魄」「腎―精」も関与してきます。
特に「心神」と「肝魂」との間には密接な関係があり、「心神」が不安定になると「肝魂」が不安定に動き出し、夢遊や悪夢などを多く見るようです。中心は「心神」になるのでしょうか。(藤本蓮風著『臓腑経絡学』より)
何かあった時、心の動揺が少ない人は「心神」がしっかりしていると考えられます。心神がしっかりしていると他の臓の安定をとることも容易です。
心神が不安定になる要素は様々で、遺伝的なものから後天的なもの、環境(両親の関わり)甘やかされたり、愛情不足だったり、人間関係の善し悪し、問題の大きさなど人によって違いはありますが、今古典に基づいて研究している所です。
私の師匠は、よく患者さんに「怖い夢とか見るかもしれないからな」と術後声をかけられています。鍼が患者さんの深層の部分、魂に触れると沈んでいたものが浮いてきてそのような夢を見るのだと思われます。
沈んでるのは良くないですから浮かせてるわけです。
悪夢であっても夢を見ることは、自分の鬱積した内面の発散方法のひとつと考えればいいのだと思います。いい夢に越したことは無いのですが・・・
先日、いつも遠方から来てくださっている若い患者さんが、「先生、耳の中が膿んで医者から薬を5日間飲んでも治らなかったら切開して膿みを出しましょうって言われたんです・・・」と来院された。
薬は5日間それも毎日11錠も服用されていた。来られた時は、両耳閉、鼻声、微熱、起き上がったときの眩暈、肌荒れ等々何とも賑やかなもの。その上、薬のせいで食欲不振甚だしく舌を見ても弱りきっていた。
体表観察をすると、脈はビンビンと強く、右の背中の脾兪胃兪辺りが腫れ上がり、足の指の胃に関係するツボに酷い熱感がみられた。
彼女は、普段から湿熱体質だったため、初回は胃腸を立てながら熱をとる治療を試みた。
胃腸(脾胃)は東洋医学でも、「後天の元気」といい身体の中心的役割を果たす。胃腸が丈夫な人はいつ迄も若くよく食べれて生命力に満ちている。
薬、それも毎日11錠も出され胃がボロボロになった彼女は、精神的にも憂鬱になり、2回目の治療時、か細い声で「先生、治りますか?」と。
「必ず良くなるから大丈夫。薬でチョットやられちゃったからもう少しの我慢ね。」とお答えした。人によって治癒にかかる時間は違うことは当然の事。
東洋医学の治療院には、西洋医学の薬でも効果が無かったり、治りませんと医者から告げられた患者さんが多く来院される。
おまけに薬づけで大事な胃腸がボロボロになった方々が・・・・
余程、鍼灸に対する確信と見立て、覚悟が無ければ、この様な患者さんの不安の一言を払い除け、治癒の方向に向かわすことは出来ない。
師匠、藤本蓮風氏の著書『数倍生きる』の中に、「(略) 医療者はよほど高潔な心持ちが必要だ。大きく動かすのはその先生のエネルギーに基づく。(略)」とある。
この患者さん、4回の治療で完治した。ただただ、師匠に感謝し精進するのみ。