父は生前、「奇人会」という小グループを作っていたようです。亡くなってから知った事ですが。。
余程の奇人変人の集まりで、写真に写ってる方々…それは楽しい会だったのでしょう。
奇人変人と言えば、間中喜雄先生。
間中喜雄先生(1911-1989)は、外科医(京大医学部で医学博士号取得)でありながら、鍼灸医学の発展に貢献され、日本初の鍼麻酔による外科手術も成功させた凄い方です。
この先生、医師会ではかなり変人扱いされてたようですが、自らも、
入り口正面には、「奇人・変人大いに歓迎。ただし、一芸に秀でた者に限る。」と、掲げてあったそうです。
父はこの間中賞受賞者の第1号で、間中先生自らが父を選んで下さったらしいのです。父50歳時。
父から間中先生の裏話を度々聞かされました。
そんな話、私にする?という感じでしたが…父の奇人変人ぶりは、今尚、私の中で日増しになります。
紫のリンドウが咲き乱れてます。
7月は父が出生した月でもあり、逝去した月でもあります。
それも、昨年の7月、77歳でこの世を去りました。余程ラッキー7が好きだったんですね。父らしい。
今、父橋本正博の生命は何処に居るのでしょう。何を感じてるのでしょう。
宇宙空間が楽しくて、もチョットね~とのんびりしてそう。
そんな妄想はとっても楽しいです。
『素問』『霊枢』を白文で読み、殆ど暗記してたのでは、と思う程その精神に傾注してました。
何時も、素問・霊枢が本当に分かるのは70過ぎてからだぞ、と。意味深な言葉に、70歳が楽しみにもなったりして。
日本では何故か、特に、歳をとる事を忌み嫌う傾向が強いですが、
人生の侘び寂びを知って、深みが出て、豊かになるという事でもあります。
父の場合は、生前から異次元に生きてたような感じでしたので、
歳を重ねる度に、深みや豊かと言うより、激しくもユニークになっていった様に感じます。