最近、また癌の患者さんが増えてきました。偶然とは思えない皆さん。
私も、母を癌で亡くし、今父も闘病中です。ガンとは真正面から向き合うべき…という事。
先日来られた方は、余程の信念を持っておられるのでしょう。
一切の化学療法はしたくないと、服薬もされてません。
父も同じ。来週から在宅です。
年齢的にも、体力的にも、自分の身体の状態は、その人にしか分かりません。
こちらは、最善を尽くすのみです。
患者さんの心の声を、しっかり聞いて受けとめてあげる事…医療の原点ですね。
ある医者が、「病気を治すのが医学」という「常識」があり、病気が治らないとなると、医師は、それから先は自分の力の及ばぬところと考えてしまう。
しかし、当事者にとっては「それから」も人生なのです。
「それから」の人生をスタートする医療のあり方を目指したい」と言われ実践されてました。
全く同感します。
如何に最終章を満足して全うするか、誰人にとっても最重要であり、難問です。
日常から、人間の死という問題、生死観を考えること…本当に大切です。医療者なら尚のこと。
考えるべきです。深刻にではなく、真剣に。
この~木何の木気になる木です
高さ25m、幅40m、樹齢130年!
病院に行くたびに、医療のあり方を考えさせられます。
人それぞれの病状、年齢、バックボーン、色々有るものの…
人はいつかは皆、早かれ遅かれ、何らかの形で死を迎えます。
如何にして死を迎えるか…希望はあっても、全く予測出来ないです。
病気になりたくてなってる人は1人もいませんので。
だからこそ、もし病に倒れても、本人が納得し、安心し、有難いと、思えるものを提供してあげるべきです。
第一に苦しくない医療。第二にその人に合った真心の医療。。。柔軟に。
様々な改革が必要ですが、生涯かけて目指したいですね。
徹底して風通しを良くすることが、人を守ることに繋がります。
風通しを良くとは、連携を密に最善を考えていく事です。
患者さんと術者然り、スタッフ間然り、患者さんとその家族然りです。
全ては、大変な人を守るための連携です。
知ってる情報を共有して、患者さんの為に何が最適かを一人一人が智慧を出し合う。
そんな連携プレーが上手くいってる所は、患者さんが救われてます。
バラが美しい季節になりました。
鍼で、凹んだツボは、補って(補)、凸のツボは、散らして(瀉)、気血の通り道をスムーズにします。
鍼は、補瀉の使い分けを自在にする本当に優れものです。
患者さんは、この、たった一本の鍼を求めて来院して下さるのですから、鍼はホント大したものです。
その鍼を扱う我々鍼灸師も、鍼の邪魔をしないように、言葉の補瀉をわきまえたいです。
不足なら補って、過剰なら散らしていく。鍼と同じですが、作為無く、どんな一言を発していくか…難しいです。
鍼と共に、必要な時に、的確な補瀉が出来る…これが名人なのでしょうね。
鍼を生かす為にも必須です。