昨夜は本当に素敵な夜だった。
素晴らしい出逢いに心から感謝したい。
それは、大阪のど真ん中にあるのに、別世界の空間…日本料理店との出会いだった。
私の心が今求めているものに出会ってその興奮が冷めない程。
音も無く微かなお香が優しく香るたった8席のお店。
なんていう安らぎの気が流れてるのかと…
秋の旬の食材を活かした優しい味付けの数々。心が尽くされた器。特に、江戸時代のもので鶴の文様の入った光沢のある深緑の器をこの日、私へのお祝いにと初めて使って下さった。
今まで食したことの無い、室町時代の蘇という美味なるチーズ。
どれを口にしても想像を超える生きた味い、心豊かになる美味しさ。
その上、出されるタイミングと、その量の加減の絶妙さは、素晴らしく感心するばかり。
一流には、一流という空間に心から人を感動させる気が流れているもの。
その気はひとことで言えば「優しさ」なのかもしれない。
真の優しさは当然薄っぺらさなど微塵も無いもの。
むしろ鍛え抜かれた厳しさを感じる。
欠けるものが無い見事なる調和ーこれが真の優しさだと教えられる。
日本料理店に行って、その優しい気に感応して涙が出そうになるなんて初めての事。
たまにそっと見せて下さる店長のお顔を拝見して腑に落ちた。誠実さがお顔と態度に溢れ出ている方。この方の鍛え抜かれた内面が、全てを生み出しているのだと…
何年かかっても一流になりたいと、心から思わせて頂いた日。
私をここに連れてきて下さった西本さん、友人に心から感謝して…
益々一流に触れて心を磨いていきたい。
先日、大阪の北新地に久しぶりに。ここは、東京の銀座と並ぶ大阪で最大級の高級飲食店街と言われている所。数メートルの間にどれほど沢山のラーメン店(お酒の締め?)があった事でしょう。笑いが出るほど。
百貨店のデパ地下といい、テレビや雑誌といい、兎に角、空前の飽食時代、日本。こんな状況の中で、患者さんには食べ過ぎないでね、とかなんとか言って食事指導をするのだから余程意思の硬い人でも難しい。
私とて例外でなく、食べることも作ることも大好き。食には結構こだわりがある。
世界では、人口の約80%が飢えと貧困で苦しんでいるというのに。
東洋医学でも「医食同源」といって食は医療と同等、非常に重要なことは周知の通り。最近読んだ本の中に、「イギリスのバド博士はその著書「二十世紀の疾病・低血糖症」の中で、白砂糖が人格破壊をもたらす最大の要因であると警告している。」とあり、「アメリカの少年院入所者八千人の食事から菓子や炭酸飲料を除き、新鮮な野菜・果物・全粒粉パンを与えたら、暴力や看守への反抗等がほぼ半減した。」等々述べられていた。(「マワリテメクル小宇宙」岡部賢二著より)
今は、自分で作らなくても「出来合い」が並ぶ時代。季節感もなく夏野菜が一年中売られている憂うべき状況。
私は7年ほど前から、月1回兵庫県の豊岡市という自然あふれる所へ往診に行かせて頂いている。診療所となっている御宅で、畑で作った無農薬のお野菜の数々を毎回沢山いただく。今では私の第二の故郷のような所。
そこで出される野菜達、大きさといい味といいツヤといい都会では見れない程、生命力に満ち溢れている。逞しい野菜たちこそエネルギーを産む元。
母が、田舎育ちなのが幸いして私は洋食より和食派。それもズイキや今では黒豆、自然薯、ムカゴなどをみるとワクワクしてしまう。
これらの野菜はいくら食しても胃もたれなどおこらないのだから、日本人の身体に調和しているのだと感じる。
この秋を根菜類を中心に、胃腸に優しく胃腸に喜んでもらえるような健食で実多き日々を過ごしたい。心身共に冬を悠々と乗り越えるためにも。
今日10月5日は、師匠、藤本蓮風先生の69歳お誕生日。
様々な人から先生の年齢を問われ、お答えすると(男性なのでお許しを)ほぼ全員が「まだお若いのですね!」と言われる。
実際、年齢の感覚は昔とは随分変わり、その上、師匠はいつも全てに「熱い!」ので周りには若い人たちが沢山集まってくる。若い人より若っ!と感じる場面は多々見られるほど。
臨床歴まもなく50年!昭和54年に鍼灸学術団体「北辰会」を設立され後進の道を現在も切り開き続けて下さっている先駆者の師匠。
二十冊になんなんとする著書も出版され、中でも今年8月に出版された『体表観察学ー日本鍼灸の叡智ー』は、特別な意味を持つ書籍と感じている。
叡智とは、深く物事の道理に通じる才知とある。
それは、長年の臨床経験に基づいた真実の結晶故に、永遠に光彩を放ち続けていく叡智と確信している。
著書の正に初め第1章の1に、「手当の論」とあった。
少し抜粋させて頂くと、「“触れる”事により、患者は安堵する。いわゆる手当ての論であり、スキンシップである。元来我々がもっている気一元の生命に対して直接触れるという事であり、いわば、気一元の個性化を協同的に還元する作業ともいえる。」とあった。(東洋思想を勉強してない人には少々難しいかも)
この壮大でダイナミックな生命観!生命の根底では全てが繋がっているという宇宙観があってこそ、体(生命)に触れる事の真の重要性に気付く。
この一言を思いながら、患者さんのお身体を診させて頂いている。
更に、「還元作業」の四文字には謙虚にならざるを得ない。
著書を開くと、九州大学医学研究院 麻酔・蘇生学ご専門の外 須美夫先生の推薦文と、中国の国医大師であられる広州中医薬大学終身教授の鄧鉄涛先生、南方医科大学中医薬学院教授の靳士英先生より直筆で頂かれた推薦文がこの本の重みに重厚感を添えている。
この『体表観察学』を1人でも多くの医療関係者に手にして頂きたいと切望する。そして、感謝と感動を持って縁(えにし)深き患者さんのお身体に触れさせて頂きたい。
師匠の益々のご健康とご活躍を祈りつつ。この日に感謝して。
先日研修会の後、先生方からの質問の中に、精神疾患の人への声の掛け方を問われました。
人によって全く違うのでお答えしにくい事と、お会いした時に自然と出てくる言葉が正直なところかもしれません。実は、何が口から出るか分からないのです。自分でも。
我が鍼灸院も最近、様々な心の葛藤や悩みを抱えて来院される方がめっきり増えました。医者からは、強迫神経症とかパニック症候群、心身症、うつ病等々病名を付けられてこられます。(病名付けるのもどうかしらと思いますが。)こちらの対応が問われるのは必然ですが、中々の難問です。
様々な本を読んでいますが、中でも臨床心理士の河合隼雄先生の言葉が目に飛び込んできました。
先生は、「考えたらだめなんですよ。いわなければならないところへ自然に自分が出ていくという感じなんですね。ある状況に応じて自然に言葉が出てくる」と、ある対談の中で言われました。
心から共鳴し嬉しくなるほどの一言でした。
私は、この患者さんには今度こんな風に言ってあげようとか、全く無い(実はできない)ので、この言葉に救われる気持ちにもなりました。
たとえ同じ病名が付いていても、環境も性格も全てが違う患者さんです。ましてや患者さんも毎日、瞬間瞬間心の中は移り変わっていきます。
ですから、患者さんのお顔を見たその瞬間に自然と出てくる言葉が私にとっては1番自然な言葉なのです。きっと誰に対してもそうかもしれません。
反対に、患者さんにお伝えしたいことがあります。
私が考えてる時は、本を読んでいる時と人と話してる時のような気がします。沢山のヒントがその中に詰まっているので、自分の考えがどんどん湧いてきます。
1人でいる時、散歩してる時などは、その時目にしている事に心が動いています。これはある面、子供のような感覚なのかもしれません。良い悪いは別として。
パニック障害等、いわゆる精神疾患の病名が付けられてしまった患者さんの共通点のひとつは、頭で考えることと、心で感じる事のバランスが少し乱れているのかもしれません。
頭で考えすぎて心がついていってないというか…
あなたの心は、目の前の花をそのまま美しいって感じたいのではないでしょうか。
今目に入ったもの、いちばんいいのは自然だと思いますが、自然に触れてそのままを感じる事って本当に素敵です。時間が無ければ空を見上げるだけでも。変化があって綺麗ですよ。
過去の嫌なこと、未来の心配な事、いろいろ考えてしまうと思いますが、その間に、美しいなぁという今の感情を大切にする事は、精神のバランスをとるひとつの方法だと思います。
頭で考えるのを少しやめてみて、今を感じる心を大切に。
美しいってそれだけを感じてみては。ありのままに。