先日、尊敬する日野原重明先生が書かれた「医学する心」―オスラー博士の生涯―(岩波書店)という本を読んだ。
ウィリアム・オスラー(1849―1919カナダ出身の医学者)は、近代医学の先覚者であり、教育者でもある。オスラーの不朽の名作「平静の心」は有名な著で、私も常に手の届くところに置いてある。
すぐれた医者は人の善性を引き出す天才ではないかと思う事がある。
また、その場の空気をも一変させてしまう。オスラーもまさしくそのおひとりであった。
著書の中に「彼が病人のいる病室に入っていくと、その雰囲気が一変し、活き活きした彼の姿によって病人の心は安らかにされ、病人は彼に身も魂もすべてまかせてしまいそうになるのである。」とある。
私の師匠、藤本蓮風先生も部屋に入ってこられると空気が一変する。心地のいい緊張感と、なぜか嬉しくなってくるから不思議だ。
共通していることは、非常に高次元の使命感に溢れておられるということ。西医、東医関係なく、人間の善性を感知できる人間力とも言うべきものが邪気を動かし、気血を循環させていくように感じる。
著書の中に、「オスラーとしては、投薬は治療のただ一部であり、この他に病人の心理、環境を十分に顧慮することが真の治療だと解釈した。」
更に、「オスラーはかねがね、臨床医が薬を乱用して、そのためにかえって病気の自然の回復を妨げることが多いことを、医療界の大きな誤りと考えていた。」とあった。
西洋医学の医者が、非常に東洋医学に通じる考えを根底にもたれ、薬の多用に警鐘をならしている。それも約100年も前に。
医療人にとって何が一番大事かということをもう一度見つめなおしたい。
アトピー、疳の虫、夜尿症、腋下の腫瘍、頭痛、喘息などなど。
鍼灸院に沢山の赤ちゃんや子どもたちが来院して下さる。それも、喜んで鍼をうけてくれる。(子どもの鍼は刺さない接触鍼を使用)
頭や背中を自ら差し出し任せてくれる愛らしい姿に治療院の空気が一変する。子どもは何て純粋無垢で、邪気がないのだろう。
だからこそ、全ての物の、全ての人の善性を引き出すことができるのだと思う。邪気が無い、つまり無邪気とは何て素晴らしい徳なのか。
気負いも硬さも無く、ありのままを受け取れる感性。
先日も、まだ生まれて数ヶ月のアトピーの女の子が来院してきた。まばたきもせず私を凝視。そしてにっこり笑ってくれる。穴のあくほど見つめられ、ジャッジが下る。笑ってもらって合格。「あ~よかった」と、私は彼女を尊敬の念で柔らかい肌に触らせていただく。
全てを悟っているかのような真っ直ぐな眼差し。宇宙大の深さを感じる。
子どもの偉大さにただただ感服する。
教えられること大だ。