(ヘレンケラーと偉大な福島氏)
ヘレンケラー生誕100周年の同じ年、18歳で盲聾者となった福島智さんを、夜中うつらうつら見ていたテレビで始めて拝見した。思わず私は飛び起き、見入ってしまった。
ほんの少しの時間だったが「生きている事の意味を見出せばそれは絶望ではない」といった一言が深く心に残った。
福島さんは現在、東大の教授をされている。盲聾者の大学教授は世界初。
最近、新聞の広告で福島さんの著書「生きるって人とつながることだ!」が紹介されていたので早速購入し一気に読ませていただいた。
福島さんは、1962年神戸市生まれ。4歳で右眼を摘出し、9歳で完全失明、18歳で聴力も完全に失った。
当時、彼は「これから、どうやって生きていけばいいのだろう。私はまるで、暗黒で真空の宇宙空間に放り出されたような、そんな魂の凍りつくような孤独感に包まれていた」と振り返られている。
福島さんは、お母さんが生み出した「指点字」(他者が彼の手の甲に指で点字を書くというもの)で他者とのコミュニケーションをとられている。
そのご苦労は想像することすら出来ないが、彼は、本当に明るく驚くほどの楽観主義者である。人生を楽しく自他共のために最高に有意義に生きておられることが本の随所から伝わってくる。
(自然に豊かな人生)
彼の精神の核心を貫くような一文を見つけ心から感動をした。
「健常者と同等・互角に生きることは(たとえば行動力や生産性において)無理であっても、それが人生においてどれほどの意味を持つだろう。健常者と「同じ」に生活できることが目的なのではなく、盲聾者がそのハンディと共に自然に豊かな人生を送るためにこそ必要なのだと思う。障害の有無は、人生の豊かさとは独立した要因だ」との福島氏の言葉だ。
「障害の有無は人生の豊かさとは独立した要因」・・どれほどのつらさを越えて生命の根底から湧き出た言葉であるか。ひとりの人間の持つ無限の強さを感じてならない。
(身体から精神を緩和)
最近、私の鍼灸院に、摂食障害やうつ病、または、強烈な頭痛に何十年も悩まされる等の患者さんが多く来院される。その症状はどれも今に始まったものではない。患者さんは、身体の不調と比例して、ほとんど100%と言っていい程、そのバックボーンの一端を知れば、小さい時からの、または長年の様々な精神の葛藤を抱えている。まさに、長い間の精神の抑うつが身体の不調を引き起こしているのだ。
私は、そんな長年の精神の抑圧を緩和させるために、身体の面から鍼灸治療を施している。それが可能なのが本当の東洋医学の力だ。
実際、摂食障害の患者さんは、鍼をすると頭がすっきりするといわれる。
また別の摂食障害の患者さんを知る親戚の方が、何年ぶりに彼女の笑顔を見たでしょう!とその変化に驚かれている。
(発想の転換)
私は、問診をしながら、悩みと懸命に闘っておられる患者さんに対して、「偉いなぁ(強いなぁ)」と感じることが多い。
しかし、実際、患者さん達は、私の心とは裏腹に自分を責めてばかりおられる。自分を責めると可能性の芽が伸び伸びできなくなる。
福島氏とは、病の種類が違うかもしれないが、ここまで人間は強くなれるのだ、ということを、誰人も彼を通して知っていくべきではないかと感じる。
著書の中で福島氏は、「私は常に「他者」によって生かされてきた。中略・・本来、人が「他者によって生かされている」ことは誰にも共通していることであり、そのような人間の「もろさ」や「弱さ」の自覚が、他者への共感や優しさにつながると思うからである」と言われている。
卑下することも無く、傲慢にもなり得ない。この人間に対する厳しいまでの平等な精神に感銘する。
肉体的であれ、精神的であれ、そんな自分の力ではどうしようもない悩みや葛藤を持っている(持っていた)ことこそが、福島氏がいう「他者への共感」が本当に出来る人だと思えてならない。
(苦しみは使命の異名)
福島氏18歳、聴力が徐々に無くなっていく時、彼は実家のピアノの鍵盤に向かっていた。同じ鍵盤を叩いているのに、音程が変化していく。あのぞっとするような悲しげな響きは今も忘れられないと言われている。
その3ヵ月後、完全に聴力が無くなった。この3ヶ月の間に彼が友人に送った手紙(著書の中から)を最後に紹介したい。
「僕にもし生きるうえでの使命というものがあるなら、それは果たさねばならない。そして、それをなすことが必要ならば、この苦しみのときをくぐらねばならないだろう。僕の使命が、この苦しみがあって初めて成り立つものだ、と考えることにしよう」
もし自分が地に倒れたと思ったら、この言葉をつかんでその地からまた逞しく立ち上がっていきたい。誰人も立ち上がっていけると信じる。