(志の大きさ)
この年末年始は、本当に沢山の友人知人と会い友好を深める多くの機会を持てた。
よき友人との対話程、人生を豊かにしてくれるものは無い。
感謝の思いでいっぱいだ。
その中で、アメリカに滞在し核不拡散、軍縮関係の研究機関に勤務している友人からは特に大きな触発を受けた。
彼女とは帰国するたびに会う機会を持たせて頂いているが、彼女の夢を実現しようと語る強い意志、輝く眼、現実を見据えた英知など等、一言一言に心から感動を覚えた。
自分自身も様々な悩みを抱えながらも、オバマ大統領と同じ意志、「核の無い世界」実現に向け人生をかけて日々闘っている彼女。その志の大きさに彼女の成長の鍵があるのだと感じた。
今年の彼女は眩しいほど成長していた。
(人間への信頼)
立場は全く違うが、対話の中で私たちの共通の認識は、「人間への信頼」こそ、何かを成す為に最も大事なことではないかということだった。
それは「対話」でしか本当には得られないのではと感じる。
相手を信頼するからこそ「対話」が生まれる。
不信や偏見からは「対話」という行為は生まれない。
自分の先入観や思い込みなどでは無い「対話」を大事にしている人を私は心から尊敬する。
対話によって、思ってもみなかった相手の良さや心の底の思いを知り、尊敬の念や相手に対する温かい心が湧いてくる。
「対話」は、お互いが最も優しくなれる最も人間らしい行為ではないか。
「対話」は人間だけに与えられた知的レベルの最高峰ではないか。
(対話は癒し)
ありがたいことに、東洋医学では人間の心と身体を切っても切れない関係として重視している。
つまり患者さんが心の中で思っている事や患者さんの性格を知ることによって、その人がそれによってどのような生活環境を作っているかを知ることができる。
そしてそれが、まさに病気の原因、または病気治しの大きなヒントとなってくる。
つまり、患者さんとの対話無くして、本当の治癒は無いといっても過言ではないのではないか。
ある本の中で、カナダ・モントリオール大学前学長のシマー博士が語っておられた印象深い言葉があった。「医師と患者の間に対話が存在すること自体が、癒しの力となります。
しかし、現実の医療の現場では、医療機器が主要な位置を占め、医師と患者の人間的な交流が軽視されているのです」と。
多くの患者さんが思い当たる事実ではないか。
また、シマー博士の言葉から、ある医者が「診察中、患者さんの顔を見ないで、電子カルテを記入するために、パソコンの画面ばかりを見ている医師がいました。たまりかねた患者さんが「先生は顔色ひとつ診てくれないじゃないですか」と文句を言った。医師は、しょうがないなという顔つきで、聴診器を手に患者さんの胸を診ようとした。しかし、手にしたのは、パソコンのマウスでした」という、苦笑いしてしまう話があった。
(人間力)
西洋医学の心ある多くの医師も、「まず患者さんとの間に、人間としての信頼関係を築くことが大事。それでこそ、治療も確かな効果が生まれる」と言われている。
21世紀は、薬さえ与えればいい、医療技術の進歩こそが大事という時代ではない。
ますます、人間中心主義がクローズアップされなければならないと感じる。
医者のためでも、お金のためでも無く、すべては「人間のため」になっているかどうかが問われる時代ではないか。
今年も、どのような患者さんとの出会いがあるのか、どれほどの患者さんが心身共に健康を湧き出させていけるか、心して治療現場に立ちたいと決意している。
ひとりの人間の生命力は人智では計り知れない。
その自らの生命力を開いていくお手伝いをさせて頂くのが「人間力」をもった鍼灸治療だ。
「人間力」とは、目の前にいる縁深きひとりの人に、徹して誠実に、尊敬の心で治療させて頂くことだと認識している。