(真心の桜)
満開の桜は、どれ程疲れた人の心を癒してくれるか、優しい気持ちにさせてくれるか、
今日も思わず「君は最高の名医だね~」と声をかけた。
地元西宮にある関西学院大学の桜並木は、格別の美しさがある。
昨日、テレビでも紹介されていたが、40年前に林さんという方が、桜の苗木をご自分の生活を切り詰めて植えて下さったらしい。
将来、人の心を豊かにしたいと、影でご苦労された林さんの真心の桜。
そんな心のこもった桜ゆえ、人の心の琴線に触れるのだろう。
(信頼関係=美しい心の交流)
何年も前、ある方が、桜はなぜ咲くの?それは咲く条件が整ったから、というだけで咲くのではない。
“桜も咲きたい、そして回りも咲かせてあげたい”と両者の心が一致して、咲くのだと言われていたことを思い出した。
桜を愛する日本人の心の美しさを感じる。
患者さんと施術者もまさに然りではないか。
「元気になりたい」と「元気にしてあげたい」との「美しい心の交流」。
医療の現場にこの「信頼関係」が失われたらどうなるのか?
どんな最新技術も薬も効果を示さなくなるのでは?
治る病気も治らなくなるのでは・・・?
人は一言で元気にもなるし、落ち込みもする本当にデリケートな心を持っているから尚のこと。
(微妙なバランス)
しかも、この信頼関係も、微妙なバランスが必要だと最近切に感じる。
それは、なかなか微妙なだけに表現しにくいが、患者さんが「治して欲しい」に偏りすぎても駄目、
施術者が「治すぞ!」と力みすぎても駄目ということ・・・
治すのは施術者であり、患者さんである。
この関係がどちらかに偏るとバランスが崩れてきてしまう。
また、「治すんだ」との強い意志と、「絶対治る」との確信、この双方を患者さんも施術者も持ち続けられるか否かが非常に大切に思う。
それは、特に、拒食症、過食症、うつ病や重症アトピー、また、難病など長期にわたる疾患、癌などを患っておられる患者さんとの間では難しいのがこの点だ。
病の原因をさかのぼっていけば、精神的なものの比重があまりにも大きいので本当の意味で根気がいるからだ。
しかし、根気がより多く必要なのはある面、施術者かもしれない。勿論病治しも自分の力量に合わせてだが、こちらが諦めたらどうしようもない。
(母の根気)
半世紀、鍼灸師として頑張ってきた亡き母は、家ではどちらかと言えば、かなりのせっかちだったが、いざ患者さんのためとなると、信じられないほど根気強かった。
患者さんより、母のほうが遥かに重症な病と闘っているように感じてしまう時もあった程だった。
重症であるほど、病という魔と闘うには、患者さんもこちらも病魔にやられないことこそ大事だと感じてならない。
しかし、身体のみを見ていれば、ある面、非常に楽なのだが、「身体」と「精神」また、我が師匠の言葉をお借りすれば、「魂」まで診ていかなければ絶対に病魔を破ることが出来ない。この部分を私は日々、重症の患者さんから教えていただき、鍛えていただいているように思う。
そして、一番大事で一番難しいのが、「精神こそ絶対に負けてはならない、破られてはならない事」だと実感する。
極論すれば、身体は今、病に倒れているかもしれないが、精神が倒れていなければその人は病に勝利したといえるのではないかとさえ感じる。
その意味では、私の母は、病に大勝利して使命を終えたのだと感じてならない。
病で亡くなった人、また、病と今闘っている多くの人たちに、厳しい冬を乗り越えたからこそ、多くの人々に喜びと幸せを無言で与えていける満開桜のように、咲き誇って頂きたいと心から思う。