(豊岡の母)
先週日曜日に、豊岡市へ往診に行った。
たった月1回の治療で、患者さんに満足して頂ける治療が出来るのか、と悩みながら始めたこの往診もまる3年を過ぎた。
診療所となる自宅を快く貸して下さる中和さんには、どれ程感謝しても感謝仕切れない。
午前中から夜まで、沢山の患者さんを嫌な顔ひとつせず、母のような太陽の笑顔で迎えてくださる。慢性白血病とは思えないほどお元気で、毎日毎日人のために豊岡市中を走り回っておられる。豊岡の母、中和さんの姿に沢山のことを教えて頂いている。
徹底した「大誠実」の精神の持ち主だ。また私は、その事を学ぶ為に行くように運命付けられているとさえ思う時がある。
(知ることの大切さ)
往診から帰る途中、同じ豊岡市内の患者さんのお宅を訪ねた。
一人暮らしのご年配のご婦人で、C肝から肝硬変に、現在肝癌で病院を出たり入ったりされている。
隣近所もいるのかしら?と思う程、静かな電灯も少ない暗いところに、ひとつ明かりのついたアパートの窓が見えた。
入るなり「もう死んだほうがいい!」と嘆かれながらも、涙を浮かべて喜んでくださった。
私は、患者さんが、どこで、どの様な暮らしをされているのか、患者さんの取り巻く環境や人間関係はどうなのかを知る事が、治療をする上でどれ程大切かを日々痛感している。
中々時間は取れないが、出来る限り一度は、重症の患者さんのご自宅を訪問させていただくようにしている。
この患者さんは、病院では看護士さんをちょっと困らせているらしいが、一人ここで懸命に過している姿は健気の一言に尽きる。
相手の事を知れば知るほど、人間は優しい気持ちになれるのではと感じる。
勿論、相手の全てを知る事は出来ないが、“知っていこうとする心”は傲慢にならない為の医療者としての必要不可欠の精神と考えている。
(医療者と患者の距離)
先日テレビで、地域医療のパイオニアと共に高度医療技術も学べる病院として研修生が殺到する人気の某病院が紹介されていた。
そこで勤務するある医者が「患者さんを診るというのは、臓器を診るのではない。その患者さんがどのような生活をしているのか、生活全体をみて病気の原因を考える事」といわれ心から感銘を受けた。西洋医が東洋医の言葉を話すようになって来た。
また、研修生に畑仕事をさせるなどして、農家の多い患者さんの実際の生活を知る努力をしていた。ある研修生は、「大学病院とは全く違って、医者と患者の距離が非常に近い」「病院を拠点に往診に行く事で、地域住民と同じ視点を持ち続けたい」と素晴らしい豊富を語っていた。
(共感する心)
広島市立大学前学長の藤本黎時氏の、「未来を開くキーワードは“共感する心”同情ではなく、謙虚に相手の心に耳を傾けるという“共感”です」との言葉は心から納得できる。
多忙になると一人一人丁寧に、とは中々いかないのが今の医療の現実かもしれない。
しかし、人は誰でも一言に喜んだり、反対に悲しんだりする繊細な感受性を持っている。ましてや、心と身体は密接につながっている事を考えればその重みは大きい。
どこまでも、可能な限り相手の心に耳を傾けていける自分でありたい。
そして、今後益々それができる(きっかけとなる)、往診が重要視される時代が来るように思えてならない。
(葛藤との闘い)
最近、何人かの友人達が、親の認知症による介護の問題に直面している。
いつのまに自分達もそんな年齢になったのかと思う間もなく、その現実を身近に見て目が覚めた。
11月11日は「いい日いい日」ということで「介護の日」に設定され、連日のように各新聞に介護に関する記事が掲載されている。
「介護の日々は“葛藤との闘い”」「介護とは結局のところ“排泄物の処理”に尽きる」との言葉が飛び込んできた。
毎日、被介護者と真剣に向き合うが故に、憎しみ、怒り、悲しみ、憤りといったあらゆる感情が入り混じって噴出するのが介護の現実。故に全くよく言い当てた一言だと感じた。
(認知症は自己防衛)
私は専門家ではないが、少し考えてみた。
認知症は「急激な変化」に対応する能力の欠如や低下にあるのでは?と。
いや、もしかしたら、むしろ急激な変化に対応する為の自己防衛(生きる為)の姿なのかもしれない。
ある友人のお父さんは、頼りにしていた伴侶である奥さんを亡くした後、発症した。
奥さんが亡くなった事を受け入れたくない、認めたくない。
そして実際認めていない。
でも現実に奥さんの姿はない。
このギャップに無気力になって、動かなくなり、話さなくなり、考えなくなる。
手足も口も頭も使わなければ退化してくるのは必然だ。
(東洋医学で考える認知症)
東洋医学では、認知症を「心神の不安定」と「腎精の不足」の両面から捉えていると考える。
反対からいえば、この両面がしっかりしていれば、認知症にはなりにくいということだ。
・腎精の不足
東洋医学では「人の生成~発育~衰退」の流れには、腎気(腎の気)が大きく関与すると古典「素問」にある。ここでは、両親の精から授かった生殖の「精」は、生まれ持った「エネルギーの本」と考える。
このエネルギーの本である精は、腎気から作られるとされる。
腎気はエネルギーの本である精を作り出すのだ。
生まれつき、この精が不足していると、未熟児だったり、先天性の疾患があったり、発育不全、または不妊症などになる。
加齢のためこの精が不足してくると、白髪になる、腰痛、精力が無くなる、気力が無くなる、忘れっぽくなる、骨がもろくなる、尿が出にくい、漏れる、頻尿などのいわゆる老化現象を引き起こす。
・心神の不安定
東洋医学では、精神的に意識がはっきりしている状態を「心神の安定した状態」と表現する。実はこの心神の「神」も古典によれば、「父母の両精、相合して神を為す」とあり、
上記の「エネルギーの本である精」が「精神の安定の本である神」を作るとされている。
(精と心神)
鍼の師匠はこの「精」と「心神」の関係について、分かりやすく次のように述べている。
「精をしっかり保つ為には「心神」が常に安定しなくてはならない。
くよくよ考えたり、マイナス思考をすると「精」が消耗する。
ところが、「心神」を正しく保ち、毎日充実した生活を送っていると「精」が逆に増してくるのである。(中略)
反対に、もともと腎が弱く「心神」を上手く制御できない場合がある。正常な判断ができなくなったり、すぐに切れたりする。上に上に気が上がってカッカするのを制御できなくなる。(中略)実は、これをうまく制御しているのが腎なのである」と。
このように、東洋医学によれば、根本的には、加齢等による腎精の弱り(不足)が心神を不安定にさせ、また環境の変化や精神的なショックなどにより、心神が不安定になる事で腎精の不足を増すという、この悪循環が、認知症の様な症状を引き起こすと考えていいのではないか。
(ならば腎精を守らなきゃ)
・普段からプラス思考の癖をつけよう。(考え方も癖のもの)
・適度な運動(特にウォーキング)習慣を身につけよう。
・塩分を控えよう。
・冷たい物の多飲多食や身体を冷やす事を出来るだけ避けよ う。
・山芋、栗、黒豆、黒ゴマなどの腎によい食物を多く摂取しよ う。 ・
・過度の房事(セックス)は避けよう。
・夜更かしは止めよう。
(風邪と抗生物質)
ほとんどの風邪に抗生物質などの抗菌薬は効果がない事を知っていますか?
先日、ある新聞に小児科の開業医等で作る日本外来小児科学会の調査で、熱があっても0~5%の患者にしか抗生物質を出さないドクターは30%、一方95~100%の患者に出したドクターは14%とあった。
これは、数年前と数値が全く逆になっている。
「ほとんどの風邪に抗菌剤は効かない、という常識が浸透してきたことの表れ」と書かれてあった。
風邪の殆どはウイルスが原因なので細菌の増殖を抑える抗生剤では効果が無いということだ。
(子供の風邪)
ドイツ、スイスなどに在住している友人たちが言うには、「現地に住んで何と言っても驚いたのは、高熱で咳が止まらない子供を病院に連れて行っても「安静にしていたら治ります」と薬が全く出ない」との事だった。
何年も住んでいる今では、薬無しは常識に思えると言う。
うちの鍼灸院にも、大人子供かかわらず、風邪で来院される患者さんも多く来られる。
最近、子供たちが同じような症状でやってくる。
それは、咽痛は少ないが高熱で食欲不振というものだ。咳がひどい子もいる。
診ると40°を超える熱なのに乾燥して汗が全く出ていない。
あるお母さんは、いつも抗生物質で熱を下げているけど、発汗せず、またすぐ発熱するの繰り返しだという。
今回、私に「薬無くても大丈夫でしょうか?」と不安で真剣な目を向けられた。
(風邪の治療)
数回、刺さない小児鍼で散鍼=さんしん(皮膚表面を軽く刺激すること)した。
「これで水分をよく飲ませて安静にしていたら、大量に発汗しますから何度も着替えてください。それで熱は下がって元気になりますよ」と伝えた。
自宅に帰るなり多量に発汗し、着替える事4~5回。翌日元気に運動会も参加できましたと本当に驚いておられた。
また、双子ちゃんの子供さんで、2人とも高熱を出すと必ず中耳炎になって大変な騒ぎになるらしい。それも年に何回も起こるという。鍼に通い出してから1度だけ軽く熱を出しただけで中耳炎にも全くならなくなった。
子供は本当に正直で、元気さはその行動やツボの反応(特に熱感)ですぐ分かる。
特に、ぐったりしているが、目がしっかりしているものは大丈夫。目がにごってトロンとしているものは医者に任せたほうがいいと判断している。
いずれにしても、大人子供ともに普段、元気であればあるほど高熱が出る。
それは、東洋医学では、普通(強い伝染性以外)の高熱は邪気に対抗する力=生気が本人にあるから出るのだと考えるからだ。
(耐性菌って?)
耐性菌にかかると薬を使っても病気が治らなくなる。
これは、抗生物質などの薬の乱用によって、菌が薬に対して抵抗力を持ってしまい薬が効かなくなるのだ。
菌も生き延びるのに必死なのだろう。殺そうとするほど強い菌が生まれて来るようだ。
有名な耐性菌には、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)がある。
なんと日本人は65%の人がこのMRSAを持っているらしく「世界ワースト1」になっている。
またペニシリン耐性肺炎球菌(PRSP)は中耳炎などを引き起こすらしい。
先日の新聞によれば、このPRSPの各国の割合は、日本70%、フランス40%、アメリカ25%、イギリス5%、ノルウェー、ドイツは5%以下との結果だった。
抗生物質の処方が多い国ほど耐性菌の割合が高いのだ。
院内感染による入院患者の死者が各地で増加していることが大きな問題になっているが、これは耐性菌が増加したことによることは周知の事実だ。
(ピロリ菌)
現在、胃の内視鏡検査で日本人の7割近い人からピロリ菌が見つかり、ピロリ菌を滅菌するために同じ抗生物質がどこの病院でも必ずと言っていいほど処方されている。
胃のつかえや、食欲不振などの症状が改善され重宝されているようだが、このピロリは、経口感染するらしく、滅菌してもしても…果たしてどうなるのか?と疑問が残る。
それも、医者曰くは、ピロリ菌は数の多さは問題でなく、「いるか」「いないのか」が問題らしい。
今の常識が、とんでもない非常識になる事がよくよく見受けられる今の医療の体制をどう見極めていくかが益々問われていくと感じる。
(震える手)
男性、女性にかかわらず、自分の仕事に熱中している人の姿、とりわけその真剣な目にとても魅力を感じる。
今年「永世名人」の資格を得た棋士、羽生喜治もそのひとりだ。
名人戦に出るだけでも大変なこと。その名人を通算5期就位した棋士がこの永世名人を襲名するらしい。
羽生喜治は勝利を確信した瞬間、駒を持つ手が急に震えだす。
私も何度かその震える手を見た事がある。
今回の「永世名人」の時も同様だったが、この時の震えはマス目にきちんと駒を置けないほど大きいものだったらしい。
羽生は震える自分の手に関して、「勝ちを読みきる時」と同時に「油断してはいけないと思った時」に震えるのだと言っている。
(過緊張と興奮)
かなりの興奮状態した時や緊張が過ぎた時などに、手が震えた経験をした人は多くいるのでは?原稿を持つ手が震えたり、心臓の鼓動が速くなるような場面に出くわした時、また怒りが爆発したり、ひどくイライラした時などなど。
いづれにしても、急激な緊張時や興奮時に意思と関係なく手が震える時がある。
毎週火曜日は2時間のみ診療して私は奈良へ飛んで行く。
鍼灸の師匠が、勉強会を開いて下さっているからだ。一番前でお講義を聞かせて頂いている私は、何度も師の手が震えているのを目撃する。
我々がいたらなくイライラされて、なのかもしれないが・・・毎回、すごい気迫と真剣勝負そのものでお講義をされるからだと感じる。または、難病を次々と治される師匠の鍼のすごさに対する興奮なのかもしれない。
(肝風=かんぷう)
東洋医学では手の震えの原因に関して、6通りほどの考え方が示されている。
羽生喜治の様な、日常的に過緊張で起こるのは病的とまでは言えないが、これは「肝風」によるものと表現されている。
「肝風」を簡単に説明すると、多忙や過緊張の連続により肝気を平素から高ぶらせている事によって身体の中に熱を生じる。(内風という)例えば怒りで頭が熱くなったり、目が血走ったりするように怒りや緊張は熱を生じる。
その熱が更なる急激な緊張により亢進し、風をおこす。
つまり、「内熱が風を生じさせ手が震える」という病理と捉える。
火を燃やすと上部の方がゆらゆら揺れ、陽炎のような現象を起こすのに似ている。
緊張が取れたら震えが無くなる程度のものならいいが、普段から高血圧の人や、飲酒過多、肥厚甘味の油物を過食している人などは、肝風がただの震えでは治まらず、脳卒中などで倒れてしまうことは多く見られる。
(予防)
緊張したら手がすぐ震え出すような人は、平素から内熱(身体の中に余分な熱を溜てしまう)体質を改善することが大事だ。
肉食やアルコール過多を避け、適度に運動して肝の気を伸び伸びさせ(別の言い方をすれば、身も心も風通し良くわだかまりを持たないこと)便秘などしないことが、その予防につながる。
うちに来られる患者さん、特に50歳過ぎの男性は高血圧、内熱体質の方が多いので、意識して内熱を除去する治療をしてその予防に努めている。
羽生喜治のように、病気とまではいかない「肝風」なら人生の高みを目指して挑戦また挑戦の興奮として歓迎したい。
限られた生命、そんな魅力ある生き方を目指したいと思う。