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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2008年1月21日(月)

Vol.3忘れられない人

(病の勢い)
Mちゃんは昨年7月末、来院して来られた。左足に激痛を訴えて。既往歴を見ると3年半前乳がん摘出、2年後両肺へ転移とあった。肺の癌は大きくなっていないとの事で放置し仕事を続けていた。
足の激痛は鍼をして少し軽くなるものの再び激痛に。2回目来院時に病院で検査を受けるよう勧める。Mちゃん曰く「抗がん剤は受けたくない。だから検査もしない」
しかし私の強い勧めで安保先生の免疫療法をしている医者の所へ検査を受けに行く事に。
結果は脳、肝臓、骨、大腿部など全身に転移していた。
彼女は「本当に笑いが出たよ。ここまで酷いと笑うしかない」と本気の笑顔を私に向けていた。Mちゃんの性格の全てがでていた。

(友、友、友)
私の鍼を心から信頼し、年上の私を親しみを込めてちゃん付で呼んでくれた。
往診から帰る時は必ず「今度いつ来るの?」と約束しないと帰してくれなかった。
鍼が終わったあとは「不思議!痛くな~い」と笑顔がはじける。二人して何度笑ったか。
笑いの壺が一緒だね~といいながら。そして本音の話をして本音の意見をぶつけ合ったりした。
鍼を超えた心の交流があった。
Mちゃんは東京では有名なカメラマン。常に友人が、仕事仲間が彼女のベットを取り囲み一切のお世話をしてくれている。
彼女は病院が大嫌い、脳にガンマナイフをあてた時だけ入院した。頚椎と大腿部の放射線は自宅から頑張って通った。
1ヶ月も彼女の傍にいると名看護士になれるのだ。(人にもよる?)
そして毎日全国各地から最高の食材が送られてくる。何度食べ過ぎ注意を出したことか。びわ湿布やアロマ。足も毎日マッサージしてもらっている。彼女の足も手もついに一度も浮腫んだことは無かった。

(自宅で最期の日を)
今年に入り段々食べるものが口に出来なくなってきた。食べると嘔吐。お正月、特性のうどんと24時間かけて炊いた自家製の黒豆を持っていった。
「おいしい!」食べても吐かず。これが最後の食事になったかな?しゃっくりも出始めた。食べれなくなり、しゃっくりがでる。とは東洋医学では一番重要な生命力の源=「胃の気」の弱りを示す。
しかし、Mちゃんの生命力は並大抵ではない。おしゃべりは果てしなく続く。
誰が見ても全身がんとは想像もつかないほどの笑顔だ。
そんな彼女の様態が13日急変。夜駆けつけると意識混濁状態なのに「もう少し早く来ていたら日本一美味しいウニが食べれたのに」と私に言っている。
4日間、時間の有る限り駆けつけた。驚異的な生命力で彼女は生き続けた。
「痛い所も苦しい所も無いよ。」とMちゃん。本当に穏やかな顏だった。
16日夜、「Mちゃんは癌に勝ったね!世界一すごいね!」というと昨日まで動かなかった手が私の手を握って離さなかった。力強く握ってくれた手から、お別れを言ってる彼女の声が聞こえた。お互いに「ありがとう!」って。

余命1年といわれた彼女が、余命1ヶ月と言われた彼女がどれ程その言葉を覆し、長く深く生きたか。驚嘆せずにはいられない。医者も皆も脱帽した。
そして私の生命の奥に無限の生命力の不思議、鍼のすごさをまた植えつけてくれた。

次の日の1月17日眠るように静かに、あまりに美しい顏で旅立った37歳のみごとな最期があった。そしてそれは次の生への出発の日を勝利で飾った顏だった。

Mちゃん本当にありがとう!またいつか必ず会おうね!

2008年1月20日(日)

Vol.2豊岡へ往診

(豊岡市)
1月17日豊岡へ向かう途中、篠山口あたりから大雪。木々達の雪化粧が本当に美しかった。
2年前から月1回豊岡で待っていて下さる患者さんの為、往診を始めた。
月1回の治療でどこまで効果があるか不安もあったが、今では一軒の家に毎月20名前後の人達が集まって来て下さる。
高血圧、生理痛、悪露、逆子、胃潰瘍、アトピー、子供では中耳炎、近視まで。
病状は様々だが非常に効果をあげていることは感謝に堪えない。

(因時、因人、因地)
鍼灸の師が常々「因時、因人、因地」ということを言われる。どんな季節(気候)なのか(因時)、どのような体質の人なのか(因人)、どこに住んでいるのか(因地)によって起こる病も違えば、その治療方も違ってくるというのだ。全く理にかなっている。
豊岡は京都のように盆地で、夏は暑く、冬は寒さが厳しく湿気が多い。故にリュウマチ系の人が多いのだ。
しかし、患者さんの多くの人が自作の野菜を食している。
水よし、空気よし、そしてご近所さん同士の交流が盛ん、人よしだ。勿論ストレスは全国共通のようだが鍼の効果は抜群だ。またどのような職場(環境)で仕事をしているのかも病に影響を及ぼす。

(中国での鍼灸治療)
かつて数回中国へ行って鍼治療を見学した。中国では太く長い鍼で何十本も全身に刺していた。来られている人は労働者が多いという。1回日本円で10円程だった。
普段から力仕事をしている人はこれでいいのかもしれない。
しかしどちらかと言えば繊細な日本人には受け入れられない鍼と感じた。
ましてや身体が弱っている人にこのような鍼をすればどうなるか・・・と思いつつ。
因時、因人、因地を知る事の重要性を実感する。
中国はあまりに広大だ。東西南北あまりにも違いがありすぎる。その土地を知りその人を知り、その気候を知っていく努力無くして本当に効果のある治療になるだろうか。と常に自分に問いながら、今後月一回の豊岡への往診、どこまで続くか分からないが患者さんが望む限り通い続けていくつもりだ。

2008年1月1日(火)

Vol.1「東洋医学は守りの医学」

新年あけましておめでとうございます。
今年は忙しさにかまけることなく、この素晴らしい東洋医学を1人でも沢山の皆様と感動できるよう「コラム」を充実させていきたいと決意しています。

私の鍼灸の師は常々「東洋医学は守りの医学だ」と主張されています。
何を守るのか一言で言えばそれは「正気(せいき)」です。人間が本来持っている自然治癒力=無限の生命力、これを正気と呼びます。
小宇宙である人間はすでに欠ける所なく完成されているのです。バランスの崩れが(病気)起これば正気が働きバランスをとろうとします。
邪気(癌細胞などの病の産物)が悪さをすれば、瀉法(鍼で邪気を取り除く施術方法)で邪気を退治し、正気を守るのです。
中心は正気。その正気を守る事が根本中の根本と考えるのが東洋医学なのです。

しかし、発展する今の日本の医療の中心は「攻撃型中心」の医療になっているように思えてなりません。
西洋医学でいうところの〇〇ウイルス、細菌、病原菌をいかに抗生物質で攻撃するか、癌に対して放射線、抗がん剤などの化学物質でいかに攻撃するのか。
確かに邪気の勢いが強く、生体側が弱っていけば急いで正気を守るため邪気を取り除く必要があるでしょう。しかしその攻撃は正気に対しても向けられるのです。つまり、邪気は死滅したしかし人間も死んでしまった。という事態が起こってしまうのです。

守りの医学が広がれば、また極端に言えば「邪気とも共存」の発想に着目すれば病人は激減すると信じてやみません。それこそが私の使命と感じ今年も前進して行きます。

2007年7月20日(金)

Vol.173つの力

(音楽の力)

少し前、世界的に有名な指揮者、チョン・ミョンフン氏のコンサートに行って来た。
私の座席はフェステバルホールの上から5列目だったが、こちらまで指揮者の息づかいが聞こえ、全身から迸る生命力がビンビンと伝わってきた。
コンサート終了後、身体が軽くなり、心の奥から沸々とやる気が湧いてきた。そして何より驚いたのは、この感覚が何と一週間以上は消えなかった事だ。
ミョンフン氏の言葉に“すべての音楽は、人間の内なる力を呼び覚ますためにある”とあった。まさにこの言葉通りの感動だった。
言葉を超え、誰もが本来持っている人間の内なる生命と生命が共鳴しあった素晴らしい体験をした。

(声の力)
“心の思いが顕れて声となる”との言葉が好きだ。
暗い声、明るい声、凛とした声、優しい声、棘のある声など等、声を通じて私達は様々な人間模様を作り出す。
どのような「心」で言葉を発するのかによって、相手にその心がよくも悪くも届いてしまう。学生の頃、駅伝で最後を走っていた私にクラスメートのひとりが「頑張れよ!」と声をかけてくれた。このひと言が私を一位に導いてくれた。
その時の場面は今でも映像としてそのまま残っている。

(精神の力)
中医学では、四診(望聞問切)のひとつ、「聞診(声を聞いたり、臭いを感じる)」を診断の一つとして重視する。声の強弱、話し方などで患者さんの生命力の如何をうかがう。
そして何より重要なのは、声を通して患者さんの思い、心を読み取っていくことだ。
中医学では精神と身体の状態は切っても切れない関係にあるとし、内面を最重要視する。

今日、私の鍼灸の師匠の所に、難病の患者さんをお連れした。
師は、まず患者さんの内面を指摘され、治ると言い切られた。
その迫力には、患者さんの病魔を断ち切らんとする師匠自信の戦いと、鍼に対する大確信が漲っていた。情熱と技術。これから生涯、自身の心を澄んだ鏡に映して反省し、前進ていくのみだ。

2007年7月5日(木)

Vol.16教養ある食生活

(食べない方が元気になる?)
先日テレビで、戦国時代の武将、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のそれぞれの「食の違い」について、興味深い話があった。
鳴かぬなら鳴かしてみせようホトトギスで有名な信長は「湯めし、鳥の塩焼き、焼き味噌」と塩分が多く、故に高血圧になりイライラし、猛々しかったのだろうと。
師のあだ討ち明智光秀討伐を電光石火やり遂げた秀吉は、各所の移動地点に「塩にぎり飯と生ニンニク」を用意させたという。
一方、秀吉が亡くなるのを忍耐強く待ったとされている家康は、長生き作戦をとり「ごぼう料理、魚、味噌汁、麦飯」と薄味でバランスよく食したらしい。
いづれにしても、鎧兜をつけて何日にもわたり戦、戦を繰り返していた時代。
米、味噌を中心とした質素な食事で、あのパワーをみれば“食べないと元気でないよ”は今では尚更“食べないほうが元気出るよ”に言い換えたほうがいいと感じる。

(美しい食べ方?)
“食べ方が美しい”こんな優雅な言葉は、最近耳にしない。
これは、食べるときの姿勢や箸の持ち方などの身のこなしや、口に運ぶ量やスピード、咀嚼の仕方などその食べ方。そして、もうひとつ、「何をどれくらい食すのか」も考えたい。
これは勿論、運動量や仕事の内容により違いを多少は考える必要はあるが・・・
私の場合、本を読んだり、考えたり、暗記したりする機会が多く、あまり身体を動かさないので、少食にすべきだ。
実際、少食であればある程、便通はよく、湿気の多い時でも身体はすっきり元気だと実感する。本当は、お碗、お茶碗、その他3、4個の小鉢を「マイ食事セット」として用意して、器にあった量の料理を日々食したいと念願するが、なかなか余裕が無いのが現実?いや怠慢?

(食生活の乱れは生活の乱れ?)
何を食べているかによって性格が出来上がると、様々な人達が警鐘を鳴らしている。
動物を見ても、肉食動物は猛々しく、草食動物はおとなしい。
キムチなど激辛料理を食している韓国の人達は、感情表現が非常に豊かだ。
薄味、菜食中心の日本人はどうか?海外に出ると特によく分かるが、どちらかと言えば控えめな感じだ。
患者さんの汗をみても、甘い物、油物が多い人は汗がベトベトしているし、臭いがきつい。
今はあらゆる国の食文化が流れてきてはいるが、家庭での食事は日本食中心か欧米中心かは、心身ともに関係が深いかもしれない。

また、イチロー選手も何年にもわたり、昼食は同じ店で、同じものを、同じ量だけ食べ続けているという。これは精神のぶれを防ぐために実行している。と聞いた事がある。
食生活が性格に影響を与える一例ともいえないか。
性格はその人の生活をつくり、日々の生活はその人の人生を作ると思えば、食生活は絶対に無視できない。
私自身、食生活の乱れは、生活の乱れだとはっきり感じている。
自分にとっての教養ある食生活はなかなか難しいが、食生活の乱れを正すことは、いい仕事をする上で本当に必要なことで、またそれは生活の乱れを軌道修正するための大切な目安となっている。

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