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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2008年5月8日(木)

Vol.13東医と西医

「症状はあるのに?」
先日、60代の女性で右半身の手足がしびれて右手に力が入らず、右足だけスリッパが履きにくいとの事で来院された。
ろれつは大丈夫ですか?とお聞きすると、症状と同時にしゃべりにくくなったとの事。血圧も高め、糖尿病を持病にもっておられた。
すぐ左脳の脳梗塞を心配した。医者に徹底的にMRIの検査を受けたら全く異常なしと言われ帰されたらしい。
症状はあるのに検査結果に出なかったら異常なし。ひどい時は心療内科を勧められる例は少なくない。
多くの患者さんを診ていたら必ずそこには何らかの法則が見つかるはずなのに・・・・
その法則こそ病の原因の大きなヒントとなるはず。
いずれにしても検査結果には異常が無くても様々な苦痛を訴えてこられる患者さんの何と多いことか。

「原因と結果」
様々背景を聞いてみると患者さんはお寺の奥様。常に来客で気が休まることなく、その上お供えの甘いものを日常大食されていた。
更に右足が出にくくなったため今迄していた散歩を中止されたらしい。
悪循環は悪循環を呼ぶとはこのこと。ほっておいたらいつ血管が詰まってもおかしくない。

さて、身体を診る事に。私たちの診断の中心は体表観察(前回のコラムで紹介)なのでツボを探りながら「気のひずみ」(全体のアンバランス)を見つける。またそれは診断即治療点となっていく。この患者さんの場合、渋脈というギシギシした脈、皮膚の細絡の状態(細かいみみずが這ったような血管)舌下静脈の怒脹の状態(舌の裏に出ている黒っぽい静脈)などから血液の流れの悪さが察知できた。
また、血液に関するツボに明らかに反応が出ていた。
更に、神経を長きに渡って使っているため非常に硬くなっているか、かなり緩んでしまっているツボが多く診られた。
私はいつもこれらのツボに合掌したくなる。検査には出なかったとしても必ずツボは病の予兆を教えてくれるからだ。

「細分化と全体」
鍼の師匠は常々「検査結果にのみ目を向けて薬の過剰投与をするところに更なる難病(治し難い病)が生まれる。なぜそのような症状がでたのか必ず本人の生活習慣の中に問題を解く鍵がある。そこを見つめ原因を究明せずして何かを施すのは治療ではない。患者を増やすだけだ」と喝破される。全く同感だ。
東洋医学は機械論ではなく生気論の立場で身体全体の「気のひずみ」を発見することを最重要視する。それも直接人間の手でもって。なんてソフトパワー(自然の道理)なのか。今求められている医療の原点がそこにはあると感じる。
とは言っても西洋医学が人間を細分化する事によって様々な発見をし貢献して来た事も事実だ。
人間の身体を細分化しミクロの世界まで追及を続ける西洋医学と人間を小宇宙ととらえ全体のバランスを重視する東洋医学。
どちらも大切。なくてはならないと感じる。
しかし私は、21世紀は東洋医学の考え方を主体とし西洋医学が補助的になっていってこそ真に健康な世紀になると確信している。
人間の精神と身体は気っても切れない関係にあって、かつ本当にデリケートな存在だからこそ。

2008年4月30日(水)

Vol.12バランスを考える

バランスの美しさ
私は小さい頃から宇宙の神秘さに魅了されているひとりだ。自転と公転、太陽と地球の絶妙なる距離など人間の技でない宇宙の妙なるバランス。もっと身近でいえば自然のバランス=調和の美しさにため息がでることばかりだ。
最近お庭で咲きましたと、牡丹の大輪やアネモネ、フリージアなどのお花を頂き、その色の美しさ、弁と花びらや花びらと葉っぱ等のコンビネーションの美しさ、個性豊かな香りなど全体の調和の見事さに自然以上に優れたバランスはないと感じる。海の中や空の変化する色も然りだ。
感動し合掌したくなることが本当に身近にたくさん有る。
そしてそのような自然のバランスの美しさに魅了されながら人間もまた何という素晴らしいバランスの下に構成されているのかと合掌したくなる思いにかられる。

バランスの乱れ
東洋医学はバランスを最重要視する。バランスの乱れを見つけることが治療につながっていくからだ。それは身体のみでなく精神のバランスも一体としてとらえるところに特徴がある。
自分自身の日常でも「食の乱れは精神の乱れ。精神の乱れは身体の乱れ」と感じることが多い。必要以上に過食になってしまう時は要注意という感じだ。
東洋医学では、そのバランスの乱れを顔色、ツボ、舌、お腹、脈などを診て触って感じ取る。また患者さんの人生や生活習慣も語りつくせないが少し振り返って聞かせていただく。
だから同じような頭痛の症状で来られたとしても、人によりそのバランスの乱れが違うので治療のために選ぶツボも違ってくる。また反対に違う症状でも同じツボを使う時も多い。
いづれにしても、こちらが体調を崩しバランスが乱れていたら当然バランスの乱れを正確に感じ取れない。純粋な気持ちで治療に当たることが本当に大事だと感じる。

上記以外にも心神のバランスの乱れ具合を診るところがある。患者さんの筆跡だ。
どの様な字体なのか、小さいのか大きいのか、力強いか弱いか、自分の名前と住所のバランスや数字や○のつけ方までみる。人間は無意識に様々なところで自分を表現しているものだ。また私はドアの開け方、また服の色まで診てしまう。
実は電話の声、話し方などからすでにもう治療モードになってしまっている。
その人をチェックするというのではなく、自然とその人のバランスがどの様な状態なのかを感じようとしてしまうのだ。

最高のバランスは?
私の鍼の師匠は常々、「だまってその人の近くに傍に行くと何で悩んでるかを感じ取れるものだ」と言われる。またその人自信が発している「気」を感じることができる。
これは人間そのものを尊敬し愛してこそ出来る感性だと思う。

治療の根底には元来大調和のとれた人間そのものを尊敬し、そして謙虚になぜそのバランスを崩してしまったのかを見つけ検討し分析していく。
バランスの乱れを「診させて頂く」という気持ちを忘れたら大自然のバランスから自分は完全に外れていってしまうと感じる。
この尊敬と謙虚さ、言葉を変えたら感謝と恩返しの精神の中に最高のバランスの妙があるように思う。

実は今、最も感謝しないといけないのは一番身近に私を助けてくれている私のスタッフだ。私の治療がやり易い様に必死で治療室全体のバランスを取ってくれている。忙しければ忙しいほど青い顔になっていく彼女をみて(青い顔は肝気の高ぶり)心の底から合掌する。本当にありがとう!

2008年4月16日(水)

Vol.11気の話

・気の存在

先日、久しぶりに東京で女性鍼灸師として活躍している親友と出合った。
私と彼女の共通点は多くあるが何と言っても「鍼灸が大好き」という純粋な気持ちだ。
出てくるのは鍼の話ばかり。時間を忘れて話し込んでしまう。
「気が合う」というのはこのことか。
「気」は目には見えないが現前と存在すると確信する。
例えは変かもしれないが、猫のしっぽを踏んだら「ふー!!」っと怒って猫の毛が逆立つ。
これは怒りによって「気」が上に揚がった状態だ。
私の友人も怒っている時ふと見ると腕の産毛が立っていた。東洋医学的には「肝気が揚がる」という。
反対に驚いて本当に腰が抜けてしまった人を目の前で見た事があるがこれは「気」が下がった状態。現代人は緊張や怒り等で肝気があがりっぱなしで、腎や腰といった下の方が弱い。つまり逆三角形型になっている人が多い。上に気が上がり不安定な状態だ。回転性のめまいや突発性難聴、高音の耳鳴りなども簡単に言えば緊張や怒りによって肝気が高ぶった為に起こるといえる。

話は反れたが日常語の中にも「気」のつく言葉が多く使われている。
元気、病気、やる気、気楽、気持ち、気合い、勇気、気長、無邪気、殺気、短気、陽気、陰気、気性、気苦労、気が抜ける、気が置けない、気を引く、気を使うなどなど・・・
東洋医学では「気」は生命活動のエネルギー源とされている。(気は気でも正気というが)
臓腑や器官の生命維持の根元でその機能活動の原動力といわれている。

・どこにでも有る気

気は有情のみでなく感情の無い非情にも感じる。ペンひとつとっても大事にしているものには何ともいえない温かさがある。
今の私の鍼灸院は、亡き母が30年間鍼灸治療をしてきた場所で、患者さんを想う母の気、楽になった事への感謝と喜びの気で充満しているようだ。
母と共に働いている時にはあまり感じなかったが、自分が携わるようになってから驚くほどそれらの気が流れているのを感じて、まるで母と一緒に鍼灸院にいている感覚にいつもなる。
患者さんが「ここに来ただけで癒される、気持ちが良くなる」といって下さる度に素晴らしい気を残してくれた母に感謝感謝の思いで合掌している。
どれ程母は鍼灸を愛していたか、今、日々鍼のすごさを患者さんから教えていただき感動している。

・驚愕の名人

奈良におられる私の鍼灸の師、藤本蓮風先生の治療所を先日も見学にいった。
少々黒ずんだ顔のお腹の膨らんだ患者さんがしんどそうに入ってこられた。
彼女は腹膜ガンの患者さんで尿が出にくく腹水でお腹が腫れているのだった。
私は先生の後ろについて見学させていただいた。
左手で患者さんの脈を診ながら、右手に鍼を持つ先生。一本一本が真剣勝負、いつも鍼を刺される姿を見ながら「これは効いている!!」と私が感じる程の誠の一本だ。
しかしこの患者さんには鍼は刺されなかった。というより刺さなくてよかった。
鍼を翳(かざ)した、その瞬間「お、脈が変化したぞ。刺さなくても気が動く時がある」といわれ、そこで治療は終了した。ほんの数秒の治療だった。
信じられないかもしれないが現実に鍼は本当にすごい!
その患者さんは直後「先生、おトイレに行ってきます!」と何ともうれしそうな顔で出て行かれた。
その足取りのなんと軽かったことか。

こんなに身近に本当の鍼のすごさを教えて下さる師の存在への恩返しは、「どんどん治して皆で不可能を可能にしような!」の師の言葉を実現することしかない。

2008年3月31日(月)

Vol.10身体から心へアプローチ

・心身のストレス

今日、管理職とは名ばかりで過酷な労働時間によって心身のバランスを大きく崩し、自殺や心筋梗塞んど寝たきりの病に犯される人が急増していることがテレビで報じられた。
我が院でも、精神的な事から身体に不調を訴え来院される多くの患者さんのお話を伺い考えさせられることが多い。
精神的な問題がどれ程、身体に影響を与えるかは計り知れない。

・主人在宅ストレス症候群
その極めつけともいうべきある主婦の方が来院された。
ご主人が退職して家にいるようになってから、体調が悪くなり最近ではご主人が後ろを通るだけで息苦しく、動悸を打ち意識を失って倒れてしまうというのだ。
今、問題になっている主人在宅ストレス症候群だ。
これは「主人在宅によってもたらされるストレスが主な原因となって主婦に発症する様々な疾患」と位置づけられている。
それまで潜在していた夫婦間の問題が主人の退職を機に顕在化するらしい。

・様々な症状
人によって精神から身体に影響を及ぼす様々な症状があるが、他にはうつ、高血圧、過換気症候群、眼瞼痙攣、めまい、頭痛、リュウマチ、不整脈、過敏性腸症候群、膠原病、アトピー、喘息などなどほとんどといっていいほどの疾患だ。心は元気で身体が不調というのはほとんどない。

・鍼の効果
先ほどの在宅症候群の患者さんには、上昇の熱をとり下半身を暖めるという治療方法を数回続けただけで今のところ一切意識を失うような症状は出ていない。
大変な喜びようだ。
あまりにもバランスを崩してしまったときは、心を何とかしようと思うより、身体を良くしていったほうが早く精神のバランスも取り戻せる。
患者さんから毎日毎日鍼灸のすごさを教えていただいている。

・こんな人注意よ~
自分をチェックしてみては?「はい」が多い人はどこかからだの不調が多いはず。
1、思っていることを口に出せない性格
2、人から気に入られたいと思う
3、遠慮がちで消極的なほう?
4、自分の考えを通すより妥協することが多い
5、他人の顔色や言うことが気になる
6、つらいときには我慢してしまう
7、他人の期待に沿うよう過剰な努力をしてしまうほう
8、自分の感情を抑えてしまうほう
9、劣等感が強いほう
10、現在「自分らしい自分」「本当の自分」から離れているように思う

どうでしょうか?これはエゴグラムの一部です。はいが10に近づけば近づく程「抑えすぎ」で様々な疾患にかかり易いです。0に近いほど「頑固」となり、中間がいいのでしょうが・・・

・ひとはかわいい
美空ひばりさんの歌の歌詞で「ひとは~かわいい~かわいいものですね~」というのを思い出すが、患者さんを診させていただくほど人は何て健気に人生を生きているのかといじらしくさえ思えてきてしまう。
そしてどのホームページも鍼灸の効果を上記の治療方法に載せていることのなんと少ないことか。
多くの人がこの鍼灸の素晴らしさに目覚めてほしい~と声を大にして言いたい。

2008年3月14日(金)

Vol.9骨がんの激痛

今日、鍼灸の師、藤本蓮風先生の下へ勉強にいき感動感謝の思いで帰宅した。
朝見せていただいた骨ガンの患者さんの画像写真。
骨盤をはじめ肋骨、背骨とほとんどの骨がガンに侵され広がっていた。
しばらくするとひとりの背の高い紳士がスタスタと歩いて来院して来られた。
骨ガンの患者さんだった。
治療が終わり靴下を履くのを手伝っていたとき、その紳士は私に問いかけた。
「あなたは死ぬほどの痛みを今まで味わったことがありますか?」と。
私は「いいえ。しかし母がガンでした。その時の痛みはたぶんその様なものだったと思います」と答えた。
紳士は「この痛みが鍼ですっかり無くなったんですよ」と。
その時の真剣な顔、輝く目、そして深い感動が込められた一言。これらは私の生命の奥に重く響いた。
この患者さんは同じ勉強会仲間のペインクリニック院長からの紹介だった。

師は「ガンでも治るものと治らないものがいる」
「心が開いているものは治るのだ」と語った。それはどれ程鍼灸師である先生を信じ身体を任せ、気を動かすことができるかなのかもしれない。
古典には「通じざれば痛む」とある。東洋医学では気の停滞が痛みを生む。気を通じさせることこそ痛みを軽減させることになると捉える。
そして「心を開き気を動かす」のは、患者さんと共に実は術者が大きな鍵をにぎる。
師は弟子たちに向かって「一切の邪念を抜いて患者さんに集中せよ!こちらに動揺があってはならない。故に確固たる信念を持たねばならない」と叫ばれた。また「集中したとしてもこちらに力みがあってはならない。患者さんを自然の法則にのせていく。鍼はその媒介物である」と。
治してやろうと思うこと自体、力みになる。人間を完全なものとして捉えているからこそ治ると確信できるこの東洋思想は本当に深く偉大だ。
師は最後に「謙虚であることが究極に大事。謙虚さは感謝から生まれるんだ」と。短くも非常に深い話だった。
西洋医学中心の考えではこの意味が理解できないかもしれない。しかし私には一言一言が心からうなずけた。

鍼への確信と情熱、そして自分自身の人間性の輝きこそ多くの苦しむ人々を救っていく究極なのだと受け止めた。

後で私も師の鍼を受けながら「この素晴らしい鍼に縁した人々は本当に幸せだな~」と思う間もなく深い眠りに入っていた。

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