今、滅多にドラマを見ない私が、倉本聰監督の「風のガーデン」というドラマに完全にはまってしまっている。
美しい草花達と静かに流れる時間の中で、深い人間模様をそれぞれの演者が見事に表現している。
主人公は麻酔科医で膵臓癌末期。その父親役はこのドラマを撮り終えた数週間後、肝臓癌で亡くなられた緒方拳さん。
緒方拳さんは家族以外、癌である事を誰にも告げず演じ続けられたらしい。
その一挙手一投足に、透徹した精神力がほとばしり、その中に吸い込まれていくように見入ってしまう。
セリフが無い所でも涙が出てくる。
いかに人生の幕を閉じるかをテーマにしているこのドラマ。
緒方拳さんの心にはどの様な思いが去来していたのだろう。
(深い覚悟で)
肉体、精神共にじわじわと襲ってくる死魔と向き合わざるを得ない末期がん。
この最期をどう選択し、どう生き抜いて終わるのか。
ひとりひとりの考え方やその選択は千差万別だ。
しかし、最期は、いやおうなしに、その人の人生そのものが、そこに集約されてしまうのでは。何と厳粛な場面なのかと感じる。
私は、この4年間で5人のガン末期患者さんの治療に最後まで係わり、荘厳な最期に立ち会わせて頂いた。
患者さんをはじめ、ご家族の方々との深い信頼関係が無かったら、絶対に出来なかった事だった。
診療時間の合間をぬって、自宅に病院にと何時でも出かけ、
自分の生命を削るような深い覚悟で、真剣勝負で何ヶ月も患者さんと向き合った。
弱った身体に鍼も出来ず、ただ、手足をさするだけの時もあった。
(Mさんの最期)
余命数ヶ月と宣告されたMさんは3年寿命を延ばされ、今月21日、何の苦痛もなく眠る様に自宅で亡くなられた。
肝臓癌だった。
亡くなられる少し前まで、何度も私の名前を呼んでお礼の電話を、と言われていたとお聞きした。
遠方の患者さんで十分な事が何も出来なかった事に、ただ申し訳なさでいっぱいになった。
しかし、駆けつけると、本当に安らかな、柔和で美しいお顔、笑顔さえ浮かべておられた。
生きて生き抜かれたMさんの、癌に打ち勝った姿に感動がこみ上げてきた。
ある民生員の方も、「何人も亡くなった人を見てきましたが、こんなに顔が柔和に変わった人は見た事がないです。これは、本当に満足のお顔ですよ。良かったですね」とご家族に言われていた言葉がとても印象的だった。
(誰が主役?)
先日、新聞に桜井隆さんという「ホームホスピス」医師の記事が目にとまった。
ホームホスピスとは主に末期がん患者の緩和ケアを在宅で行う終末医療の形をいう。
桜井医師は「大学病院の勤務医だったころ、死は「医の敗北」ととらえていました。医者は延命に手を尽くし、家族に一時退室を求めることもある。主役は医者でした。しかし、自宅でなら、本人と家族が主役です」と言われていた。名言だと思う。
人口動態統計(2006年)によると、亡くなった人の82.3%は病院・診療所で、自宅は12.2%。
しかし、1970年ごろまでは、自宅での死亡が半数以上を占めていた。それが、90年以降になると病院・診療所での死亡が70%を超えてしまっている。
考えさせられることが多い結果だ。
(人間の感情を忘れないで)
私の尊敬してやまない聖路加病院の日野原重明先生はある著書の中で、杉並区の医師会でおこなった「先生は最後の時はどこで死にたいか」とのアンケート調査の結果を紹介されていた。
「その時にならないと分からない」という四割を除いて、残りの60%の医師のうちの四分の三は、「できれば家で死にたい」との答えだった。
また、癌末期になった時、「どの程度の治療をしてほしいか」との回答は治療を最小限度にとどめて欲しいという医師が約三分の一だったという。
日野原先生は、「いつも医師は、局部的なもの、客観的なものと同時に、患者が悩んでいる主観的なもののデータを押さえて、理解する事をしなければならない」と言われている。
人間を自分と同じ悩める感情のある人間として接する事の大事さ。今、あまりにも当たり前な事が忘れられている様に感じる。
(顔の見える医療を)
友人が、先日友人医師に、「患者の生き死にはルーチンワーク(日常決まった事の意)?」って聞くと、「うん、ルーチン。感情は全く無い」との返事だったという。
勿論、いちいち嘆き悲しんでいたら仕事にはならないし、客観的でないと判断も狂うという事だろうが・・・・・
オートマティカルな顔の見えない医療=臓器しか診ていない医療を続けていて本当にいいのだろうかと疑問に思う。
私の母の膵臓癌を発見して下さったのは、近所の開業医だった。
先生とは数日しか接する機会はなかったが、母はとても信頼していた。
母が亡くなってしばらくして、道でその先生に偶然出会った。
先生は「大変でしたね。お葬式に行きたかったのですが、分からなくて・・・」と自宅にお線香をあげに来てくださった。
何を祈られていたかは分からないが、本当に長い間、手を合わせてくださった事は一生涯忘れられない。
一番大事な最後を、一番人間らしく終えるためには、素直な人間の感情を持った手で、その心で接してあげる、そんな最後が迎えられる人こそ最高に幸せ者だと思う。
先日、久しぶりに亡き母の夢を見た。
ベージュのスーツをかっこよくきめて、美しい木々に囲まれたペンションの一室で鍼灸の講義をしていた。
本当に元気そうな姿に私は「やっぱり、お母さん死んでなかったんだ」と心の中で喜んでいた。
母が膵臓癌で亡くなって今日26日でまる4年になる。
一日たりとも母の事を考えないことはなかった4年間だった。
毎日感謝しない日は一日もない4年間でもあった。
今私は、母が癌と闘ったという事実に感謝し尊敬の念でいっぱいだ。
母の膵臓癌は半年間、どこの病院に行っても発見されなかった。
今となってはそれで良かったと心から思える。膵臓癌(特に膵尾癌)は発見された時は手遅れになっている事が多いらしく、もし、半年前に発見されていたら、その間ベットに縛り付けられていた事を思うと、母は旅行に行ったり、福島県の祖母や姉妹に会いに行ったり出来た。
(一生言えない言葉)
母が入院したのは実質1ヶ月少しだった。入院中、こんな会話があった。
「先生、癌って本当に痛いですよ」と主治医の先生に伝えた。
「よく分かりますよ」と先生。「先生、うっそ、これは、なった人にしか分からないですよ・・・・・でも先生、絶対癌になっちゃだめよ」と母。
今でも私は患者さんの訴えに「そうですか」「大変でしたね」とは言えても「よく分かりますよ」とは言えない。たぶん一生言えないかもしれない。
(息が吸えない苦しさ)
2年前、母が一度行ってみたいと言っていた中国は四川省にある、世界遺産の「九賽溝」という標高3500メートル級の山へ登りに行った。
山間にあるあまりにも美しく澄んだ水面は、一生忘れられない程の見事なエメラルドグリーンだった。
しかし、少し歩いたら息が苦しくなって中々前に進めなかった。
酸素ボンベを使用している人も多かったが、私は持たずに登った。
息が吸えない苦しさを体験する為にもこの山を選んだからだ。
本当に想像を超える苦しさで、少し歩いては休憩しながら登っていった。
母の癌は肺にも転移していたので、何度かひどい呼吸困難に直面した。
今でも急激に酸素量が減った時の母の苦しさを考えただけで、本当に胸が苦しくなる。
(後悔のない言葉を)
膵癌が胆管を圧迫していたので母は食事を取ることが出来なかった。胆汁が溢れてきて嘔吐してしまうからだ。
「おうどんのお汁でもだめですか?」と聞くと、先生は「美味しいと感じたら胆汁がでるので・・・」と、過酷な返事だった。
でも母は病室で看病する私たちに「しっかり食事を取りなさい」と勧めた。
ある日、母は私に「人間1ヶ月何も食べれなかったらどうなると思う?」と。
私はその言葉が辛すぎて「大丈夫だよ~1ヶ月くらい」と冗談で答えた。
「残酷ね、それはつらいよ」の母の返事に胸が詰まって何も言えなくなった。
今でも母の写真の前に真っ白なご飯をてんこ盛りにしてお供えしている。
苦しんでいる人に対して、何て声をかけるのか。
仕事上、日常直面する大きな問題だ。
それはテクニックでもなく、言葉の上手下手でもない。
母のおかげで、後悔のない一言が言える人間に成長したいと日々思う。
(幸せな出発)
私にとっては、母と一緒に乗り越えた癌との闘いがあったから、今医療の現場に立たせて頂く資格を得たように感じる。
病魔との闘いは、あまりにも壮絶で、人の死の瞬間程、深く、激しく、尊い瞬間はない事を、一番大切な人を亡くして実感した。
母が亡くなる数日前、私は夜中病室で、母の腕を祈りながらさすっていた。
母は、「気持ちいい。痛みが全然無いよ。どんな薬より一番良く効くね」と本当にうれしそうだった。
亡くなる前日、母へ感謝の言葉を伝えると、半昏睡状態の母が大きくうなずいて、もごもご口を動かした。言葉にならなかったけど、私には「ありがとう!」と聞こえた。
入院してから感謝感謝の連続だった母は、なんて幸せな今世の締めくくりだったかと思う。
今あれから4年が経った。
まだまだ母に守られていると感じながらも、いつ、どこで、また母に出会うか、今私は本気でワクワクしている。
死は次の生の出発だから。姿は違ってもまた同じ母の生命で生まれ変わってくる。
鍼を見せたら目がキラキラ輝く。きっとそんな人に出会うと信じている。私が生きている間に。
(食卓の崩壊)
先日、某新聞の一面に医食同源を主張する私にとっては、本当に驚きの記事が掲載されていた。
“お金と時間をかけたくない”との事で、ある大学教授が朝、昼、晩の三度の食事を1日300粒、約50種類のサプリメントでまかなっているという。
美味しいものを食べたいという欲求がなく、空腹感はカップめんとスナック菓子で満たすとの事。
また、食事写真調査「にっぽんの食卓」でも、カップめん、パン、飲み物がパソコンの前に置かれた光景が複数寄せられたらしい。
なぜここまで世界一の長寿食と言われてきた日本の食生活が崩れてきたのだろう。
本来、食を楽しむというのは心のリラックスにつながるのでは?
食事を目で見て楽しみ、臭いを楽しみ、味を楽しみ、食感を楽しみ、そして会話を楽しむ。これが本来の食のあり方ではなかったのか?
かつてアメリカに少し住んでいた時、一番のコミュニケーションの場は食事だったように思う。各国の食文化を知り、一緒に多国籍の料理を食す事によって、お互いの距離がグンと近くなった。食こそ人と人を自然に結ぶ最高に人間らしい行為のように感じる。
(食の乱れは精神の乱れ)
精神的に安定している時は、過食にもならず、少食にもならず食生活も安定する。
また、食事のバランスが良いと精神も安定するように感じる。
様々な患者さんの問診で食事の事をお聞きすると、つくづく「食生活と精神状態」には深い関係がある事を実感する。
ストレス食いと言われるように、満たされない事や緊張しすぎた時などは、ひどく過食になる傾向が多く見られる。
また、緊張状態が続くと必ずと言っていいほど、特に女性は甘い物に手が出る。最近は男性も?
甘い物は心身ともに緊張を緩める作用があるからだ。
その最たる物はチョコレートだ。イライラが募っているところ、月経前と重なったら、チョコレートを数枚ぺろりと平らげてしまう女性もかなり多くいる。
(月経前の肝の高ぶり)
月経前は肝が高ぶる。肝が高ぶるとは、その度合いは人によるが、簡単に言うとヒステリックになるということ。
人にあたったり、物にあたったり、やたら綺麗好きになったり、過食になったりなど精神の不安定がみられる。
過食は肝の高ぶりを下げようとする為だ。(食べ物を口~食道~胃へと下に降ろすので上に上がった肝の気が下がる)
また、うつ病で来院される患者さんは100%と言っていいほど、油物や肉食に食事が偏ったり、食べ過ぎたり食べなかったり、お菓子でお腹を満たしたりと、食生活の大きな乱れが男女ともに見られる。
食の乱れは生活の乱れ、生活の乱れは精神の乱れと言わざるを得ない状況だ。
(過食症と拒食症)
かつて、ある若い綺麗な患者さんがこられた。常に外では緊張していて、家に帰ってきたら発狂するというのか悩みだった。
発狂というのは本当で、家中の物を投げて破壊するというのだ。
自分でも止められないらしい。
食事を聞くと、痩せたくて拒食症になった後、痩せるだけ痩せたら、急に過食症に変貌したとの事。拒食症の時はうつ的になり、過食症になってから攻撃的になったという。
「食事はどんな物を好んで食べていた?」と聞くと、過食になってから「今迄、あまり食べなかった肉食、油物、甘いものばかり食べてます」という。運動も全くしていない。
自然界をみても草食動物はおとなしく、肉食動物はどう猛だが、思いっきり運動している。
彼女が発狂するのも無理はない。過ストレス、肉食、過食、運動無しなのだから。
発散できずにたまった過剰エネルギーが、爆発する。
脈や舌の赤さ、各種つぼなど見ると、肝の高ぶりが顕著に全てに現れていた。
この方は何回か鍼に通う中、今では全く発狂も無くなり完治された。
最近もこの様な患者さんがよく来られる。
(自分を褒めて)
食の乱れは精神の乱れと簡単に言っても、多くは、バックに家族の愛情などの問題が大きく関与してくるので複雑なものが多い。
過食症もいろいろあるが、食べるだけ食べたら、指を突っ込んで吐く行為をする。
これは、満たされない感情を食で満たし、そして自分のトラウマとなっている思いを吐き出す行為だと考える。精神のバランスをとるための一種の自己防衛なのだ。
これは昔、友人が過食症になった時、とことん付き合って学んだ。
胃は荒れて可愛そうだけど、精神を安定させる為にはこの行為が必要だった、というより、過食症になるしかその時は方法が無かったからしていたのだと思う。
自己否定を繰り返す友人に、肯定で返す私。何年もかかったが、自分を受け入れ肯定できた時に、過食症は無くなった。
生き物は全て、常に生きよう、生きようとしている。だからこそ、バランスが崩れたら常に戻そう戻そうとしている。生きようとしている者にとって、自己否定こそ最大の敵と感じる。一気に身体と精神のバランスを大きく崩すからだ。
一度、自分を上から客観的にみて、「ああ、何て健気に一生懸命に生きてるのか」と褒めてあげて欲しい。
(学術交流)
先週、中国は広州中医薬大学から老中医と若手医師が来日された。
私の所属する鍼灸グループ北辰会と広州中医薬大学による学術交流が昨年締結され、今回第2回目の交流会を日本で行う為だった。
北辰会が、大学と学術交流を持てた意義は非常に大きく、北辰会藤本代表の実践理論の深さを示す証明ではないかと感じる。
特に、代表の舌診学の臨床理論においては、中国広州側も注目し驚嘆している。
今回の学術テーマもこの舌診学を中心として行われた。
(舌診学)
舌診学は、舌を診て、内臓の状態を知り、診断治療の判断のひとつとしていくものだ。
特に陰と陽のバランスの崩れを判断する事に優れている。
東洋医学は外に現れた現象を見て病の本質をさぐる事を特徴としているが、中でも舌は、「唯一見える内臓」と位置づけ重要な診断材料となっている。
ここで皆さんでも分かる範囲で舌診について簡単に紹介したい。
(正常な舌は?)
・舌自体の色は、鮮やかなピンク。
・舌の形は、真っ直ぐ出せて、大きすぎず、小さすぎず、厚す ぎず、薄すぎず。
・舌上の苔は、白い苔がうっすらと付いていて、少しく潤って いる。
赤ちゃんや健康な子供の舌を見れば、上記の様な舌が見れるはず。
(やや病気(陰陽の偏り)を暗示する舌は?)
熱性体質の舌
・舌自体の色、または、舌の裏の色が真っ赤か暗い赤。
・舌が乾燥している。
・舌上の苔が黄色または茶色
・舌の中央の苔がはげていて赤い。
寒性体質の舌
・舌自体の色、または、舌の裏の色が薄い赤または淡白。
・舌上の苔が白く厚い苔が生えていて、潤っている。
・舌がやや腫れて回りに歯型が付いている。(尿が出にくい等 で水邪が身体に溜まっている人に見られる)
(気が上に上がっている人の舌(多忙やストレス過多))
・舌の先が特に赤い。
・舌の先、または、舌の両サイドに赤い点々が多くある。
・上記の赤い点々が、黒くなっている人は長期に渡り過度のス トレスがかかっている。
(癌など重症な疾患に見られる舌)
・舌上の苔が濃い茶色または真っ黒。
・舌上の苔が分厚くまばらに付いていて触ると剥げるもの。
・舌の色が真っ赤で、苔が全く無く、乾燥している。
・舌自体が収縮して出せない。
・舌が極度に曲がって出る。
・舌の色が薄い紫色や白色で力無く萎えてる。
・舌の表面が乾燥していて沢山のひび割れが入っている。
(舌と法則性)
これらは、舌診のほんの一旦だが、正気(生命力)と邪気(病気の勢い)の盛衰を知る上で舌診学は非常に重要で、無くてはならないものだ。
今回の講義の中でも、代表は、癌をはじめ慢性消耗性疾患の舌上と舌裏の関係を医者と協力し、CTやMRIの画像と照らし合わせその治癒の解析をされた。
多くの重症患者を診る医者が、この様に真剣に舌を見ていけば、そこには必ず法則性がある事を発見するに違いない。
実際、北辰会でも沢山の医者が東洋医学の勉強会に参加し、舌診を臨床現場で活用している。
また、専門家でなくても、ある程度の知識さえあれば、自分の身体の状況の一端を、舌を日常見る事で知る事ができる。
現実には、まだまだ、舌診を取り入れている鍼灸師は少ないが、この優れた舌診学が今後広まっていくことを切に願っている。
(豊岡の母)
先週日曜日に、豊岡市へ往診に行った。
たった月1回の治療で、患者さんに満足して頂ける治療が出来るのか、と悩みながら始めたこの往診もまる3年を過ぎた。
診療所となる自宅を快く貸して下さる中和さんには、どれ程感謝しても感謝仕切れない。
午前中から夜まで、沢山の患者さんを嫌な顔ひとつせず、母のような太陽の笑顔で迎えてくださる。慢性白血病とは思えないほどお元気で、毎日毎日人のために豊岡市中を走り回っておられる。豊岡の母、中和さんの姿に沢山のことを教えて頂いている。
徹底した「大誠実」の精神の持ち主だ。また私は、その事を学ぶ為に行くように運命付けられているとさえ思う時がある。
(知ることの大切さ)
往診から帰る途中、同じ豊岡市内の患者さんのお宅を訪ねた。
一人暮らしのご年配のご婦人で、C肝から肝硬変に、現在肝癌で病院を出たり入ったりされている。
隣近所もいるのかしら?と思う程、静かな電灯も少ない暗いところに、ひとつ明かりのついたアパートの窓が見えた。
入るなり「もう死んだほうがいい!」と嘆かれながらも、涙を浮かべて喜んでくださった。
私は、患者さんが、どこで、どの様な暮らしをされているのか、患者さんの取り巻く環境や人間関係はどうなのかを知る事が、治療をする上でどれ程大切かを日々痛感している。
中々時間は取れないが、出来る限り一度は、重症の患者さんのご自宅を訪問させていただくようにしている。
この患者さんは、病院では看護士さんをちょっと困らせているらしいが、一人ここで懸命に過している姿は健気の一言に尽きる。
相手の事を知れば知るほど、人間は優しい気持ちになれるのではと感じる。
勿論、相手の全てを知る事は出来ないが、“知っていこうとする心”は傲慢にならない為の医療者としての必要不可欠の精神と考えている。
(医療者と患者の距離)
先日テレビで、地域医療のパイオニアと共に高度医療技術も学べる病院として研修生が殺到する人気の某病院が紹介されていた。
そこで勤務するある医者が「患者さんを診るというのは、臓器を診るのではない。その患者さんがどのような生活をしているのか、生活全体をみて病気の原因を考える事」といわれ心から感銘を受けた。西洋医が東洋医の言葉を話すようになって来た。
また、研修生に畑仕事をさせるなどして、農家の多い患者さんの実際の生活を知る努力をしていた。ある研修生は、「大学病院とは全く違って、医者と患者の距離が非常に近い」「病院を拠点に往診に行く事で、地域住民と同じ視点を持ち続けたい」と素晴らしい豊富を語っていた。
(共感する心)
広島市立大学前学長の藤本黎時氏の、「未来を開くキーワードは“共感する心”同情ではなく、謙虚に相手の心に耳を傾けるという“共感”です」との言葉は心から納得できる。
多忙になると一人一人丁寧に、とは中々いかないのが今の医療の現実かもしれない。
しかし、人は誰でも一言に喜んだり、反対に悲しんだりする繊細な感受性を持っている。ましてや、心と身体は密接につながっている事を考えればその重みは大きい。
どこまでも、可能な限り相手の心に耳を傾けていける自分でありたい。
そして、今後益々それができる(きっかけとなる)、往診が重要視される時代が来るように思えてならない。