(食卓の崩壊)
先日、某新聞の一面に医食同源を主張する私にとっては、本当に驚きの記事が掲載されていた。
“お金と時間をかけたくない”との事で、ある大学教授が朝、昼、晩の三度の食事を1日300粒、約50種類のサプリメントでまかなっているという。
美味しいものを食べたいという欲求がなく、空腹感はカップめんとスナック菓子で満たすとの事。
また、食事写真調査「にっぽんの食卓」でも、カップめん、パン、飲み物がパソコンの前に置かれた光景が複数寄せられたらしい。
なぜここまで世界一の長寿食と言われてきた日本の食生活が崩れてきたのだろう。
本来、食を楽しむというのは心のリラックスにつながるのでは?
食事を目で見て楽しみ、臭いを楽しみ、味を楽しみ、食感を楽しみ、そして会話を楽しむ。これが本来の食のあり方ではなかったのか?
かつてアメリカに少し住んでいた時、一番のコミュニケーションの場は食事だったように思う。各国の食文化を知り、一緒に多国籍の料理を食す事によって、お互いの距離がグンと近くなった。食こそ人と人を自然に結ぶ最高に人間らしい行為のように感じる。
(食の乱れは精神の乱れ)
精神的に安定している時は、過食にもならず、少食にもならず食生活も安定する。
また、食事のバランスが良いと精神も安定するように感じる。
様々な患者さんの問診で食事の事をお聞きすると、つくづく「食生活と精神状態」には深い関係がある事を実感する。
ストレス食いと言われるように、満たされない事や緊張しすぎた時などは、ひどく過食になる傾向が多く見られる。
また、緊張状態が続くと必ずと言っていいほど、特に女性は甘い物に手が出る。最近は男性も?
甘い物は心身ともに緊張を緩める作用があるからだ。
その最たる物はチョコレートだ。イライラが募っているところ、月経前と重なったら、チョコレートを数枚ぺろりと平らげてしまう女性もかなり多くいる。
(月経前の肝の高ぶり)
月経前は肝が高ぶる。肝が高ぶるとは、その度合いは人によるが、簡単に言うとヒステリックになるということ。
人にあたったり、物にあたったり、やたら綺麗好きになったり、過食になったりなど精神の不安定がみられる。
過食は肝の高ぶりを下げようとする為だ。(食べ物を口~食道~胃へと下に降ろすので上に上がった肝の気が下がる)
また、うつ病で来院される患者さんは100%と言っていいほど、油物や肉食に食事が偏ったり、食べ過ぎたり食べなかったり、お菓子でお腹を満たしたりと、食生活の大きな乱れが男女ともに見られる。
食の乱れは生活の乱れ、生活の乱れは精神の乱れと言わざるを得ない状況だ。
(過食症と拒食症)
かつて、ある若い綺麗な患者さんがこられた。常に外では緊張していて、家に帰ってきたら発狂するというのか悩みだった。
発狂というのは本当で、家中の物を投げて破壊するというのだ。
自分でも止められないらしい。
食事を聞くと、痩せたくて拒食症になった後、痩せるだけ痩せたら、急に過食症に変貌したとの事。拒食症の時はうつ的になり、過食症になってから攻撃的になったという。
「食事はどんな物を好んで食べていた?」と聞くと、過食になってから「今迄、あまり食べなかった肉食、油物、甘いものばかり食べてます」という。運動も全くしていない。
自然界をみても草食動物はおとなしく、肉食動物はどう猛だが、思いっきり運動している。
彼女が発狂するのも無理はない。過ストレス、肉食、過食、運動無しなのだから。
発散できずにたまった過剰エネルギーが、爆発する。
脈や舌の赤さ、各種つぼなど見ると、肝の高ぶりが顕著に全てに現れていた。
この方は何回か鍼に通う中、今では全く発狂も無くなり完治された。
最近もこの様な患者さんがよく来られる。
(自分を褒めて)
食の乱れは精神の乱れと簡単に言っても、多くは、バックに家族の愛情などの問題が大きく関与してくるので複雑なものが多い。
過食症もいろいろあるが、食べるだけ食べたら、指を突っ込んで吐く行為をする。
これは、満たされない感情を食で満たし、そして自分のトラウマとなっている思いを吐き出す行為だと考える。精神のバランスをとるための一種の自己防衛なのだ。
これは昔、友人が過食症になった時、とことん付き合って学んだ。
胃は荒れて可愛そうだけど、精神を安定させる為にはこの行為が必要だった、というより、過食症になるしかその時は方法が無かったからしていたのだと思う。
自己否定を繰り返す友人に、肯定で返す私。何年もかかったが、自分を受け入れ肯定できた時に、過食症は無くなった。
生き物は全て、常に生きよう、生きようとしている。だからこそ、バランスが崩れたら常に戻そう戻そうとしている。生きようとしている者にとって、自己否定こそ最大の敵と感じる。一気に身体と精神のバランスを大きく崩すからだ。
一度、自分を上から客観的にみて、「ああ、何て健気に一生懸命に生きてるのか」と褒めてあげて欲しい。
(学術交流)
先週、中国は広州中医薬大学から老中医と若手医師が来日された。
私の所属する鍼灸グループ北辰会と広州中医薬大学による学術交流が昨年締結され、今回第2回目の交流会を日本で行う為だった。
北辰会が、大学と学術交流を持てた意義は非常に大きく、北辰会藤本代表の実践理論の深さを示す証明ではないかと感じる。
特に、代表の舌診学の臨床理論においては、中国広州側も注目し驚嘆している。
今回の学術テーマもこの舌診学を中心として行われた。
(舌診学)
舌診学は、舌を診て、内臓の状態を知り、診断治療の判断のひとつとしていくものだ。
特に陰と陽のバランスの崩れを判断する事に優れている。
東洋医学は外に現れた現象を見て病の本質をさぐる事を特徴としているが、中でも舌は、「唯一見える内臓」と位置づけ重要な診断材料となっている。
ここで皆さんでも分かる範囲で舌診について簡単に紹介したい。
(正常な舌は?)
・舌自体の色は、鮮やかなピンク。
・舌の形は、真っ直ぐ出せて、大きすぎず、小さすぎず、厚す ぎず、薄すぎず。
・舌上の苔は、白い苔がうっすらと付いていて、少しく潤って いる。
赤ちゃんや健康な子供の舌を見れば、上記の様な舌が見れるはず。
(やや病気(陰陽の偏り)を暗示する舌は?)
熱性体質の舌
・舌自体の色、または、舌の裏の色が真っ赤か暗い赤。
・舌が乾燥している。
・舌上の苔が黄色または茶色
・舌の中央の苔がはげていて赤い。
寒性体質の舌
・舌自体の色、または、舌の裏の色が薄い赤または淡白。
・舌上の苔が白く厚い苔が生えていて、潤っている。
・舌がやや腫れて回りに歯型が付いている。(尿が出にくい等 で水邪が身体に溜まっている人に見られる)
(気が上に上がっている人の舌(多忙やストレス過多))
・舌の先が特に赤い。
・舌の先、または、舌の両サイドに赤い点々が多くある。
・上記の赤い点々が、黒くなっている人は長期に渡り過度のス トレスがかかっている。
(癌など重症な疾患に見られる舌)
・舌上の苔が濃い茶色または真っ黒。
・舌上の苔が分厚くまばらに付いていて触ると剥げるもの。
・舌の色が真っ赤で、苔が全く無く、乾燥している。
・舌自体が収縮して出せない。
・舌が極度に曲がって出る。
・舌の色が薄い紫色や白色で力無く萎えてる。
・舌の表面が乾燥していて沢山のひび割れが入っている。
(舌と法則性)
これらは、舌診のほんの一旦だが、正気(生命力)と邪気(病気の勢い)の盛衰を知る上で舌診学は非常に重要で、無くてはならないものだ。
今回の講義の中でも、代表は、癌をはじめ慢性消耗性疾患の舌上と舌裏の関係を医者と協力し、CTやMRIの画像と照らし合わせその治癒の解析をされた。
多くの重症患者を診る医者が、この様に真剣に舌を見ていけば、そこには必ず法則性がある事を発見するに違いない。
実際、北辰会でも沢山の医者が東洋医学の勉強会に参加し、舌診を臨床現場で活用している。
また、専門家でなくても、ある程度の知識さえあれば、自分の身体の状況の一端を、舌を日常見る事で知る事ができる。
現実には、まだまだ、舌診を取り入れている鍼灸師は少ないが、この優れた舌診学が今後広まっていくことを切に願っている。
(豊岡の母)
先週日曜日に、豊岡市へ往診に行った。
たった月1回の治療で、患者さんに満足して頂ける治療が出来るのか、と悩みながら始めたこの往診もまる3年を過ぎた。
診療所となる自宅を快く貸して下さる中和さんには、どれ程感謝しても感謝仕切れない。
午前中から夜まで、沢山の患者さんを嫌な顔ひとつせず、母のような太陽の笑顔で迎えてくださる。慢性白血病とは思えないほどお元気で、毎日毎日人のために豊岡市中を走り回っておられる。豊岡の母、中和さんの姿に沢山のことを教えて頂いている。
徹底した「大誠実」の精神の持ち主だ。また私は、その事を学ぶ為に行くように運命付けられているとさえ思う時がある。
(知ることの大切さ)
往診から帰る途中、同じ豊岡市内の患者さんのお宅を訪ねた。
一人暮らしのご年配のご婦人で、C肝から肝硬変に、現在肝癌で病院を出たり入ったりされている。
隣近所もいるのかしら?と思う程、静かな電灯も少ない暗いところに、ひとつ明かりのついたアパートの窓が見えた。
入るなり「もう死んだほうがいい!」と嘆かれながらも、涙を浮かべて喜んでくださった。
私は、患者さんが、どこで、どの様な暮らしをされているのか、患者さんの取り巻く環境や人間関係はどうなのかを知る事が、治療をする上でどれ程大切かを日々痛感している。
中々時間は取れないが、出来る限り一度は、重症の患者さんのご自宅を訪問させていただくようにしている。
この患者さんは、病院では看護士さんをちょっと困らせているらしいが、一人ここで懸命に過している姿は健気の一言に尽きる。
相手の事を知れば知るほど、人間は優しい気持ちになれるのではと感じる。
勿論、相手の全てを知る事は出来ないが、“知っていこうとする心”は傲慢にならない為の医療者としての必要不可欠の精神と考えている。
(医療者と患者の距離)
先日テレビで、地域医療のパイオニアと共に高度医療技術も学べる病院として研修生が殺到する人気の某病院が紹介されていた。
そこで勤務するある医者が「患者さんを診るというのは、臓器を診るのではない。その患者さんがどのような生活をしているのか、生活全体をみて病気の原因を考える事」といわれ心から感銘を受けた。西洋医が東洋医の言葉を話すようになって来た。
また、研修生に畑仕事をさせるなどして、農家の多い患者さんの実際の生活を知る努力をしていた。ある研修生は、「大学病院とは全く違って、医者と患者の距離が非常に近い」「病院を拠点に往診に行く事で、地域住民と同じ視点を持ち続けたい」と素晴らしい豊富を語っていた。
(共感する心)
広島市立大学前学長の藤本黎時氏の、「未来を開くキーワードは“共感する心”同情ではなく、謙虚に相手の心に耳を傾けるという“共感”です」との言葉は心から納得できる。
多忙になると一人一人丁寧に、とは中々いかないのが今の医療の現実かもしれない。
しかし、人は誰でも一言に喜んだり、反対に悲しんだりする繊細な感受性を持っている。ましてや、心と身体は密接につながっている事を考えればその重みは大きい。
どこまでも、可能な限り相手の心に耳を傾けていける自分でありたい。
そして、今後益々それができる(きっかけとなる)、往診が重要視される時代が来るように思えてならない。
(葛藤との闘い)
最近、何人かの友人達が、親の認知症による介護の問題に直面している。
いつのまに自分達もそんな年齢になったのかと思う間もなく、その現実を身近に見て目が覚めた。
11月11日は「いい日いい日」ということで「介護の日」に設定され、連日のように各新聞に介護に関する記事が掲載されている。
「介護の日々は“葛藤との闘い”」「介護とは結局のところ“排泄物の処理”に尽きる」との言葉が飛び込んできた。
毎日、被介護者と真剣に向き合うが故に、憎しみ、怒り、悲しみ、憤りといったあらゆる感情が入り混じって噴出するのが介護の現実。故に全くよく言い当てた一言だと感じた。
(認知症は自己防衛)
私は専門家ではないが、少し考えてみた。
認知症は「急激な変化」に対応する能力の欠如や低下にあるのでは?と。
いや、もしかしたら、むしろ急激な変化に対応する為の自己防衛(生きる為)の姿なのかもしれない。
ある友人のお父さんは、頼りにしていた伴侶である奥さんを亡くした後、発症した。
奥さんが亡くなった事を受け入れたくない、認めたくない。
そして実際認めていない。
でも現実に奥さんの姿はない。
このギャップに無気力になって、動かなくなり、話さなくなり、考えなくなる。
手足も口も頭も使わなければ退化してくるのは必然だ。
(東洋医学で考える認知症)
東洋医学では、認知症を「心神の不安定」と「腎精の不足」の両面から捉えていると考える。
反対からいえば、この両面がしっかりしていれば、認知症にはなりにくいということだ。
・腎精の不足
東洋医学では「人の生成~発育~衰退」の流れには、腎気(腎の気)が大きく関与すると古典「素問」にある。ここでは、両親の精から授かった生殖の「精」は、生まれ持った「エネルギーの本」と考える。
このエネルギーの本である精は、腎気から作られるとされる。
腎気はエネルギーの本である精を作り出すのだ。
生まれつき、この精が不足していると、未熟児だったり、先天性の疾患があったり、発育不全、または不妊症などになる。
加齢のためこの精が不足してくると、白髪になる、腰痛、精力が無くなる、気力が無くなる、忘れっぽくなる、骨がもろくなる、尿が出にくい、漏れる、頻尿などのいわゆる老化現象を引き起こす。
・心神の不安定
東洋医学では、精神的に意識がはっきりしている状態を「心神の安定した状態」と表現する。実はこの心神の「神」も古典によれば、「父母の両精、相合して神を為す」とあり、
上記の「エネルギーの本である精」が「精神の安定の本である神」を作るとされている。
(精と心神)
鍼の師匠はこの「精」と「心神」の関係について、分かりやすく次のように述べている。
「精をしっかり保つ為には「心神」が常に安定しなくてはならない。
くよくよ考えたり、マイナス思考をすると「精」が消耗する。
ところが、「心神」を正しく保ち、毎日充実した生活を送っていると「精」が逆に増してくるのである。(中略)
反対に、もともと腎が弱く「心神」を上手く制御できない場合がある。正常な判断ができなくなったり、すぐに切れたりする。上に上に気が上がってカッカするのを制御できなくなる。(中略)実は、これをうまく制御しているのが腎なのである」と。
このように、東洋医学によれば、根本的には、加齢等による腎精の弱り(不足)が心神を不安定にさせ、また環境の変化や精神的なショックなどにより、心神が不安定になる事で腎精の不足を増すという、この悪循環が、認知症の様な症状を引き起こすと考えていいのではないか。
(ならば腎精を守らなきゃ)
・普段からプラス思考の癖をつけよう。(考え方も癖のもの)
・適度な運動(特にウォーキング)習慣を身につけよう。
・塩分を控えよう。
・冷たい物の多飲多食や身体を冷やす事を出来るだけ避けよ う。
・山芋、栗、黒豆、黒ゴマなどの腎によい食物を多く摂取しよ う。 ・
・過度の房事(セックス)は避けよう。
・夜更かしは止めよう。
(風邪と抗生物質)
ほとんどの風邪に抗生物質などの抗菌薬は効果がない事を知っていますか?
先日、ある新聞に小児科の開業医等で作る日本外来小児科学会の調査で、熱があっても0~5%の患者にしか抗生物質を出さないドクターは30%、一方95~100%の患者に出したドクターは14%とあった。
これは、数年前と数値が全く逆になっている。
「ほとんどの風邪に抗菌剤は効かない、という常識が浸透してきたことの表れ」と書かれてあった。
風邪の殆どはウイルスが原因なので細菌の増殖を抑える抗生剤では効果が無いということだ。
(子供の風邪)
ドイツ、スイスなどに在住している友人たちが言うには、「現地に住んで何と言っても驚いたのは、高熱で咳が止まらない子供を病院に連れて行っても「安静にしていたら治ります」と薬が全く出ない」との事だった。
何年も住んでいる今では、薬無しは常識に思えると言う。
うちの鍼灸院にも、大人子供かかわらず、風邪で来院される患者さんも多く来られる。
最近、子供たちが同じような症状でやってくる。
それは、咽痛は少ないが高熱で食欲不振というものだ。咳がひどい子もいる。
診ると40°を超える熱なのに乾燥して汗が全く出ていない。
あるお母さんは、いつも抗生物質で熱を下げているけど、発汗せず、またすぐ発熱するの繰り返しだという。
今回、私に「薬無くても大丈夫でしょうか?」と不安で真剣な目を向けられた。
(風邪の治療)
数回、刺さない小児鍼で散鍼=さんしん(皮膚表面を軽く刺激すること)した。
「これで水分をよく飲ませて安静にしていたら、大量に発汗しますから何度も着替えてください。それで熱は下がって元気になりますよ」と伝えた。
自宅に帰るなり多量に発汗し、着替える事4~5回。翌日元気に運動会も参加できましたと本当に驚いておられた。
また、双子ちゃんの子供さんで、2人とも高熱を出すと必ず中耳炎になって大変な騒ぎになるらしい。それも年に何回も起こるという。鍼に通い出してから1度だけ軽く熱を出しただけで中耳炎にも全くならなくなった。
子供は本当に正直で、元気さはその行動やツボの反応(特に熱感)ですぐ分かる。
特に、ぐったりしているが、目がしっかりしているものは大丈夫。目がにごってトロンとしているものは医者に任せたほうがいいと判断している。
いずれにしても、大人子供ともに普段、元気であればあるほど高熱が出る。
それは、東洋医学では、普通(強い伝染性以外)の高熱は邪気に対抗する力=生気が本人にあるから出るのだと考えるからだ。
(耐性菌って?)
耐性菌にかかると薬を使っても病気が治らなくなる。
これは、抗生物質などの薬の乱用によって、菌が薬に対して抵抗力を持ってしまい薬が効かなくなるのだ。
菌も生き延びるのに必死なのだろう。殺そうとするほど強い菌が生まれて来るようだ。
有名な耐性菌には、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)がある。
なんと日本人は65%の人がこのMRSAを持っているらしく「世界ワースト1」になっている。
またペニシリン耐性肺炎球菌(PRSP)は中耳炎などを引き起こすらしい。
先日の新聞によれば、このPRSPの各国の割合は、日本70%、フランス40%、アメリカ25%、イギリス5%、ノルウェー、ドイツは5%以下との結果だった。
抗生物質の処方が多い国ほど耐性菌の割合が高いのだ。
院内感染による入院患者の死者が各地で増加していることが大きな問題になっているが、これは耐性菌が増加したことによることは周知の事実だ。
(ピロリ菌)
現在、胃の内視鏡検査で日本人の7割近い人からピロリ菌が見つかり、ピロリ菌を滅菌するために同じ抗生物質がどこの病院でも必ずと言っていいほど処方されている。
胃のつかえや、食欲不振などの症状が改善され重宝されているようだが、このピロリは、経口感染するらしく、滅菌してもしても…果たしてどうなるのか?と疑問が残る。
それも、医者曰くは、ピロリ菌は数の多さは問題でなく、「いるか」「いないのか」が問題らしい。
今の常識が、とんでもない非常識になる事がよくよく見受けられる今の医療の体制をどう見極めていくかが益々問われていくと感じる。