(嘔吐との闘い)
亡き母が、確か仕事が出来なくなる前月だったと記憶する。
珍しく仕事中に、トイレに駆け込む母の姿に、すぐ私は「もしや母はトイレで嘔吐しているのでは?」と悟った。
ただならぬ嫌な予感が、私の身体を駆け巡ったことをはっきりと覚えている。
トイレから出てきた母は何も言わず、何食わぬ顔でまた診察を始めた。
他のスタッフは何も気づいていない様子。
母に「さっき吐いてた?」と小声で聞くと、母は無言で「うん」と、キリッとした顔で頷いた。患者さんには、絶対心配かけてはならない。これは鍼灸師だった母の一貫した信念だった。
嘔吐・・・・母は疲れていても嘔吐する事など滅多に無かった。というより全く無かった。
何か消化器系に異常でも・・・?
それから、半年後に母はすい臓がんで亡くなった。
(大きな後悔)
消化器系の癌は往々にして食事を取ることが困難になる場合が多い。
ましてや、すい臓がんとなると・・・約一ヶ月間、母は食事を取ることが出来なかった。
スープだけでもだめですか?と聞くと、医者は、「いい匂いをかくと胆汁が溢れて嘔吐しますので・・・」と、本当に残酷そのものの答えだった。
ある日、母に「人間1ヶ月何も食べないとどうなるかわかる?」と聞かれた。
私は「大丈夫、大丈夫!」と答えるのが精一杯だった。
「残酷だね・・・」との母の言葉に何も言えなかった。
こんな小さな母との会話が、今でも、私の大きな後悔となってしまった。
(食べることの意味)
今日、テレビで「食の崩壊」との特集があった。
最近では、お腹が空くから仕方なく食べるという若い女性も多いらしく、朝は菓子パン、昼はお菓子。ハンバーガーのみの晩御飯もあるらしい。
お腹が膨れさえすればいいと、ある大学教授は主食はカップめんとお菓子。後はサプリメント一日300錠を頬ばっているとのこと。
ある心療内科の先生は、食事の環境が心に及ぼす影響は大であると言われた。
若い、うつ病患者さん20人全員が、家族で食事を囲んだことがない。または会話がなく、集まれば口げんかばかりという環境だった。
小さい頃、食卓でのコミュニケーションが無かったことが、対人関係を作れない原因だと指摘していた。
(生きていることの証)
また、違う病院では、脳卒中で寝たきり、殆ど身体を動かす事が出来ない男性に、少しずつおかゆを食べる訓練をしていた。
その男性は話すことも出来ないが「食べることは生きている証」と涙ながらに奥様に訴えておられた。
更に、違う麻痺の患者さんにも、食べる訓練を1年すると、なんと言葉と笑顔が出るようになった。
「ああ、おいしいね~」「食べ終わった!やったね!」「バンザイ、バンザイ!」とハッキリ。
何とうれしそうな笑顔だったか。
本当にこちらが驚かされる程の回復振りだった。
毎日、当たり前と思って食べている健康人には想像もつかないだろう。
食事を取るという、この行動がどれ程「生きていることの証」として大きな力になっているか、それは、私の考えなど遥かに超えていた。
(食べる事で愛し愛される人に)
私の尊敬する、料理家、辰巳房子さんは、食に関して非常に重要な発言をされていた。
「食べるということは、実は、常に絶え間ない刷新が行われていると言う事です」と。
それは、必要なものを食べることによって、「自分の生命の手ごたえ」を感じることが出来、それは、自分を信じることに繋がっていく。
自分を信じることが出来れば、あらゆる物事を信じることもできる。自分を信じ、人を信じる中で、真の揺るがない「希望」が生まれる。
その「希望」こそ人を愛したり、愛されたりという、人間にとっての土台になる。という趣旨の話だった。
(白米に真心を込めて)
まさに先述した全身不随の男性の食べることは、「生きていることの証」そのものなのだ。
病で苦しみ、ベットに寝たきりで、いつ治癒するかとも分からない日々の生活の中で、「食を奪われるということは、生きる希望そのものが無くなってしまうという事だったんだ」と私は、この番組を見ながら、母の言葉を思い出さずにはいられなかった。
健康な人には絶対に分からないことだろう。
食べることは呼吸と同等。無くてはならない行動だ。生きている証なのだから。
母が何も口に出来なかったとき、「真っ白なご飯が食べたいわ」と言っていたあの真っ直ぐな言葉を思い出して、今日も仏前にてんこ盛りの白ご飯をお供えした。
私の母との後悔の会話があったから、今度食べれない患者さんにお会いした時は、違った心で接していけると感謝しながら。
(闘いの始まり)
13歳で神経性胃炎、その後も胃炎を繰り返してきた千夏ちゃんが、我が鍼灸院に来られたのは今年2月18日だった。
始めて会った時から、「先生とは縁を感じる」「出会えて嬉しい」と言ってくれていた。
細身で色白、女優さんのように綺麗な人だった。ただひとつ気になったのは、眉間のしわ。
かなり心配性で怖がりのよう。自分でもちょっとしたことが気になり、ひとつの事をずっと考えてしまうタイプと。
食欲が無く、背中が痛むとの事だった。
検査の結果は、胆嚢ガン末期。医者からは後3ヶ月との宣告を受けた。
ガンとの壮絶な闘いが始まった。
(ご主人の情熱)
しばらくして往診に行かせて頂いた。
ご主人との初めての出会い。山のようなサプリメント、何十万もする漢方薬、ビタミンC療法、温熱療法、勿論抗がん剤等等、あらゆる方法でガン撃退のため、仕事も休まれ取り組んでおられた。
申し訳なかったが不必要なものは除去させていただいた。
彼女は「先生ありがとう、もう飲むものが多すぎて・・・・よかった!」と言っていた。
検査の結果を見るたび、ご主人は当然の事ながら一喜一憂されていたが、彼女の弱っていく姿に「先生の言うとおり、勇気を持って抗がん剤は中止します」と言われた。
ガン撃退に情熱を注がれてきたご主人にとって、これがどれ程の勇気だったか計り知れない。しかし、こちらに生命力があればガンに抵抗出来ることは必然なのだ。
むやみに闘う力を削いでしまってはガンに負けてしまう。我が師匠の教えだ。
(生命力は数値にでない)
今年45歳になったばかりの彼女。しっかりした高校生の娘さんと天真爛漫な小学生の息子さんがおられる。
彼女とご主人の要望で、出来る限り自宅で。病院へは通院しながらの治療とした。
自宅でガン患者さんを最後まで診るという事が、どれほど大変なことか、私も身を持って知っている。それも、様々な諸事情で、ご主人ひとりでの看護だった。
苦しむ姿を子供に見せたくない、其の前に自分が苦しいのは絶対嫌、最後は眠るように逝きたい。
正直なお二人の強い強い願望だった。
しかし、そんなに簡単に死を容認できるはずもない。また、する必要も無い。
どこまでも、生きる力こそが、生命力こそが大事なのだから。
彼女は、一切の医者の言葉を覆し、生きて生きて生き延びた。
そして生命力は数値に出ないことを証明してくれた。
(玄関の袋)
ある日、玄関に、袋に一杯詰まった空のアルコール瓶が置いてあった。
男性でありながら、ご主人の、このような献身的な看護は見たことが無いほど徹底していた。
いつも強気そうに振舞っていたご主人だったが、本当は子供たちよりも、誰よりも怖かったに違いない。
送られてくる数値の紙も、見れない時も有った。(見ない方がいいというか・・・)
規定量を越える安定剤とアルコールしかご主人を眠りにつかせる事は出来なかった。
ガンの嫌らしさは、じわじわと身体を蝕んでいくところだ。
大切な人が、愛する人が、目の前で徐々に弱っていく姿を見ることがどれ程過酷なことか。
胸を引き裂かれるとは本当にこの事だ。
患者さん本人は勿論のことだが、それ以上に周りの人の心痛と体力の消耗は計り知れない。
絶対に経験した人にしか分からない事だ。
(生命力、人智計りがたし)
彼女の生命力は、私もご主人も皆が驚くべきものだった。
何度も下血しても、また復活した。足が浮腫になってもまた細くなった。腹水が溜まったらガン性疼痛が無くなった。
せん妄症状が出てもまた正常に戻り息子に「宿題ちゃんとした?」と聞いていた。今日人生の中で一番美味しいメロン食べたのよと笑顔。眠ったと思ってご主人と話していたらパッと目を開けて「先生、全部聞いてましたよ」とにっこり。
9月30日のことだった。
亡くなる1週間前から殆ど尿も出なかったのに、自分で唇にリップクリームを塗ったり、お茶を飲んだり笑ったり、意思の疎通もしっかり出来た。ご主人を心配して「パパ大丈夫?」との言葉には、さすがのご主人も大泣き。すると、びっくりするほどしっかりした声で、「ありがとう、もう泣かないでね。大丈夫だから」と彼女の声。
(死を容認)
いつ頃だったか、ある日、彼女の顔を覗くと何とも清々しい晴れやかな顔があった。
いつもあった眉間のしわも無くなり、本当に穏やかな顔だった。
私は直感した。彼女は自分の死を受け入れたんだと。
その後、彼女とご主人は、涙を共に流しながら、二人の思い出、出会えたことへの感謝、今生の別れの無念さを語り合ったとのこと。
それでも、私たちは、一秒でも長く彼女が生を全う出来るように全力で看護、治療をさせて頂いた。
彼女は穏やかな顔で「鍼っていいな~」の言葉を残してくれた。病気の彼女から何か貫禄のような逞しさを感じた。
(10月3日お別れの瞬間)
午前の仕事が終わったらすぐ駆けつける予定だったが、今熟睡しているとの連絡を受け、夜に伺うことにした。
夜9時、到着したと同時に彼女が目を覚ました。
「先生、先生、」と二回呼んでくれ、昨日まで熱い熱いと騒いでいたとは思えない程、穏やかな時を持った。
手足が冷えてきたので、息子さんと娘さんに、「お母さんの手足を手で温めてあげて」と言った。
死がすぐ間近に迫っているというのに、部屋には何とも言えない穏やかな空気が漂っていた。
血圧測定不能、脈拍は24、皆で手足を擦ると40くらいまで上がった。
間もなく口呼吸が止り、彼女はす~っと静かに目を閉じた。
午後11時30分を指していた。
家族全員が見守る中、静かに眠るように・・・あまりにも美しい見事な旅立ちだった。
怖がりだった彼女が、癌を乗り越え、癌に打ち勝った姿だった。それは、ご主人、ご家族もがんと闘いきった勝利の姿でもあった。
ご主人は、「妻は先生が来るのを待ってたんですね」と。
そこに涙は無かった。
千夏ちゃん、8ヶ月間の素晴らしい出会いをありがとう。
また、どこかで会える日まで、ゆっくり休んでください。
あまりにも安らかな尊い最期・・・・心から感動しました。
沢山のことを教えてくれて、本当にありがとう。
最後に、世界一の素晴らしいお父さん、お母さんから生まれてきた、ももちゃん、けんちゃん、本当によく頑張ったね。
二人の成長をお母さんはずっと見ているよ。
そのことを忘れないで。
(目眩(めまい)急増)
10日ほど前から、目眩(めまい)、それに伴う嘔吐、耳閉感、耳鳴りなどで来院される患者さんが急増している。
東洋医学では、単にめまいといっても様々な理由が考えられている。
その中でも、回転性のいわゆるメニエール氏病といわれるものは、簡単に言えば、強烈なストレスで肝が高ぶって発症するが(気が上に上がる)、その前後に例えば右肩ばかり凝るなど左右のアンバランスを持っている人に起こりやすい。
また、ストレスによる肝気の高ぶりが、何らかの原因で弱っている胃腸に影響を与え発症したりもする。
とにかく、天井がぐるぐる回るあの怖さは経験した人にしか分からないだろう。
(気候と関係?)
なぜこの時に急増するのか。
これは、気候と密接に関係があると言わざるを得ない。
ひとりや二人で無いからだ。
今年は残暑も無く、このまま涼しくなるのかと思われるほど、気持ちのいい気候が続き、扇風機も片付けようと思っていたところ、丁度10日ほど前から、また蒸し暑くなりクーラーに逆戻り。しかし、其の暑さも日中のみ。朝晩は比較的涼しい毎日だ。
この様な、気候変動(寒い→急激な暑さ)は容易に肝気を上へ上へ昇らせてしまう。
したがって身体の上の部位の症状が出やすいのだ。
頭痛や肩こりもしかり。上の部位だ。
(湿気こそ元凶)
其の上、今回の暑さは湿気を伴っている
湿気こそ、脾胃を弱める元凶だ。
乾燥を好む脾胃は、ハワイなど乾燥地域に行くと、日本では胃がもたれてしまうお肉などがドンドン入ってしまう。
脾胃(ひい)=胃腸機能を指す。
脾胃を弱める原因は、湿気、過食、ストレスであることは現たる事実だ。
湿気は限りなく身体をだるくし、眠くて眠くて仕方なくさせる。
経験済みの人多いのでは?
また、このように湿気に熱(湿熱)を伴っていると、膿(うみ)疾患が多くなる。
実際、蓄膿症、麦粒腫(めばちこ)、身体の各所の膿、にきびまでもが悪化する。
気候と身体の変化は気っても切れない関係であることは、臨床家であれば一目瞭然感じることだ。
(兄デビュー)
私の兄もベテランの鍼灸師として開業している。その傍ら、こつこつと「気象と身体の関係」を研究し続けて何十年。
その努力には心から敬服する。
この度、日本発!世界初かも。10月の初旬に「内経(だいけい)気象学入門」との専門書が出版されることになった。
気象を考慮せずして病の原因、その変化、そして的確な治療方法は見出せないと言っていいほど大切な分野だ。
(新型インフルエンザ)
昨日も、新型インフルエンザに関するテレビを特集していた。生物学的に変化しにくいウイルスである事などは分かってきているらしいが、なぜ子供に多いのか、健康な人にも死者が出るのはなぜか、など分からないことが未だ多すぎるとのコメントだった。
私の鍼灸の師匠藤本蓮風氏は予てから、今回のインフルエンザは温熱病といって、暑さや湿気を好み、其の条件が整っている所に素早く入り込み、悪さをすると警告している。
湿熱の強い亜熱帯地域、陽気の強い子供、基礎疾患のない大人、この大人は、もしかすると野菜不足で身体に熱を溜めている大人など、非常にウイルスは喜んで食らいつく。
それは、温熱のウイルスなので温熱の人、湿熱の気候、湿熱の地域を好むからだ。
特に今回の症状は、ひどい肺炎をおこすとのこと。
肺の臓は、東洋医学では、陽気の強い蔵とされる。したがって、肺炎など起こしやすい。潤肺と言って、肺は潤っていることが非常に大事な臓なのだ。
全てが、理にかなっている。
誰も言っていないこの事実を教えてくださったのが、臨床家、藤本蓮風先生だ。
実際に、重症患者さんと日々真剣勝負で向き合っている臨床家の言葉ほど確かで輝きを放っているものはない。
兄の今回の出版も、先生が「気象学をやってみなさい」との一言から始まった。
師匠は、私にとっても兄にとっても感謝しても仕切れない存在だ。
兄の本の出版を誰よりも切望していた亡き母の嬉しそうな顔が浮かんでくる。
(広州中医薬大学と北辰会)
明日から鍼灸の師匠が中国は広州へ出発される。
目的は、我が北辰会と提携を結んでいる広州中医薬大学の鄧鉄涛(とうてっとう)終身教授が、中国政府より「国医大師」の称号を受けられ、そのお祝いに向かわれるためだ。
何事も「縁を結ぶ時」とは偶然が重なり不思議な時の一致があるもの。
いや、この偶然は必然だと後になれば分かることが多い。
2007年北辰会の中国語の杉本先生から「中医の100年」というドキュメンタリー番組のビデオを見せていただいた。
その中で、2003年のSARS事件が取り上げられていた。
西洋医学の医者たちが苦戦する中、中医師の鄧鉄涛先生が「中医学のチャンス到来!」と高らかに宣言され、中医(中国医学)で見事に世界パンデミックを防ぐ一役を果たされた。
ご高齢でありながら、中医に対する情熱と確信漲る若々しいご尊顔の鄧鉄涛先生の存在を感動を持って知った。
数日後、師匠の蓮風先生が、鄧鉄涛先生の書物を開かれていた時、その本の中に、偶然にもご自分の名前を発見された。
蓮風先生は、舌診学の書籍を出版されるなど、多くの臨床経験の中からその法則性を見出し、舌診学を発展させたスペシャリストだ。
鄧鉄涛先生は蓮風先生の舌診学の素晴らしさに着目され書籍の中で紹介されたのだ。
こうして中国語の先生を仲介に、交流の話はすごいスピードで進み、2007年9月24日学術交流を結ぶに至った。
2年前、私も広州中医薬大学に行かせて頂き、交流模様を感動と期待を持って拝見させていただいた。
(国医大師)
中国語の杉本雅子教授によれば「国医大師」選出とは、2006年10月の中国共産党第16期中央委員会第6回全体会議で出された方針「中医薬事業発展の支援」から始まった中医振興策の一環として設定されたらしい。
「国医大師」の主な条件は、①臨床経験55年以上で、②人品高尚で皆に讃えられ尊敬されており、③強い責任感と使命感を持って中医薬の発展に際立った貢献をし、④卓越した学術成果を収めており、学術経験を惜しまず後継の人に伝授している人物などなど・・・
とにかく人格技術共に大いに素晴らしいことが求められる。
広大な中国でなんと今回初、選出された人物はたったの30人。
(中西医結合病院)
実は中国では中医(鍼灸や漢方薬)中心治療ではないか、とのイメージを持っておられる方が多いと思うが、現実には西洋医学に傾いている傾向がある。
よって、多くの優れた中医の医者達が、後継の若者にその秘伝とも言うべき技術を教えることなく終わってしまうという危機にあるのが中国の現状だ。
私が7年ほど前、中国の「中西結合病院」と名づけられている病院に見学に行ったときのこと。
文字通り「中西結合病院」とは中医師と西洋医師が同じ病院内で治療を行うというものだが・・・・
現実は同じ病院内というだけで、お互いが話し合って協力してしているかというと大いに疑問だ。
西洋医学と東洋医学では、医療の考え方の土俵が全く違うので、当然のことながら、どっちがいいという単純な論争ではなかなか前に進まない。
人間の内面まで見つめようとする優しい目と、人間の本来持っている驚異的な治癒の素晴らしさに対する尊敬の心。
(勿論病の根治が出来ることは当然のこととして)
このふたつを兼ね備えた医者こそが、今、最も患者さんにとって重要な要素であることは、すでに患者さん自身が一番感じているところだと実感する。
偶然ではない北辰会と中国との交流は、鍼灸の世界を益々見直さざるを得ない時代に入っていく助走だと信じたい。
今回の訪中、一行の無事故と、更なる充実した人間交流の場となるように心から祈りたい。
(喜びの報告)
先日6月10日に嬉しい報告があった。
43歳で初産。普通分娩で陣痛が始まってから45分の安産だったようで、主治医の先生も驚かれていたようだ。
鍼のおかげだと本当に喜ばれていたとの事。
彼女は、古い患者さんで主訴は不妊症ではなかったが、卵巣膿腫や子宮内膜症を患っておられ中々妊娠が難しい状態だったので喜びもひとしおだ。
今年、出生率が3年連続上昇しているとの報告に合せてか、我が鍼灸院も出産ラッシュ?で嬉しい限りだ。
つい最近では、ちょうど1年前不妊症で来院された41歳の患者さんが初妊娠された。
以前、7~8回ほど不妊治療での出産失敗を経験。
その後、黙々と1年間週1回の鍼灸治療を続けられての今回の朗報だ。淡々としている彼女が「鍼って本当にすごい!」と感動されていた。私にとっても、何よりうれしい一言だ。
今が一番大事な時なので慎重に治療を続けている。
また、3年ほど前、妊娠9ヶ月目で破水した折、B群溶連菌がお腹の子供に感染して亡くなるという信じられないような辛い思いをされた患者さん。その後、何回も何回も人工授精にトライするも妊娠せず来院された。
一度不妊治療を止めて身体も心もバランスを整えましょうよ。と提案しながらも当然のことながら焦り、苛立ちが募っておられた。
しかし、意を決して「3ヶ月間だけでも鍼灸だけに専念して欲しい」と伝え、丁度治療に来られて4ヶ月目に妊娠し、今年10月には出産予定だ。どれ程共に喜んだことか。
10月赤ちゃんのお顔を見るまでは真剣勝負だ。
(東洋医学での不妊症)
東洋医学では、不妊のことを「不孕(ふよう)」と呼び、「妊娠適齢の女性が避妊を行わずに、結婚後3年以上を得ても妊娠しないことを指す」と定義している。
この不妊症については多くの文献があり、不妊の原因を大きく6つほどに分けているが、その原因は精神的なものも含めてかなり複雑になっている。
いずれにしても、「腎の機能の衰え」がバックにあることが明確にされている。
腎の機能とは、簡単に言うと、「先天の元気」といって父母の精を根本に生成される、生まれながらに持った生命力のこと。両親のこの「腎の機能」が衰えていると、先天的な疾患を持ったお子さんが生まれやすく、また、加齢などで「腎の機能」が衰えてくると、腰痛、骨・歯がもろくなる、白髪が増え髪につやが無くなる、尿に問題が出てくるなど、老化現象のような症状が出現し易くなる。
また、最近は男性の不妊も多く、ご主人も共に治療されている夫婦も少なくない。
(一条の希望の光を)
現在も、不妊治療で患者さんが様々な理由で来院されているが、最近の妊娠成功例は皆さんの大きな希望になることは間違いないと感じる。
しかし、それでも、今、妊娠していない人は「私だけが、出来ない・・・」と焦りが募るのが本音かもしれない。それほど、現代の大きな問題になっている不妊は、深刻で複雑な問題との闘いでもある。
不妊症だけでなく、様々な病の底には実は、複雑多岐にわたる人には言えないような精神の葛藤が潜んでいる場合が多い。
このお一人お一人の患者さんの心の中に、ほんの少しでいい希望の光を差し込んでいく事がどれほど重要かを日々実感している。
また、鍼灸には、気休めでない本当に希望を実感していただけるだけの効果が厳然とある。
私も、どれ程、患者さんからそのことを学ばせて頂いているか計り知れない。
(精神のバネを強く!)
とにかく病気になって一番怖いのは、精神までも蝕まれてしまうことだ。
大げさかもしれないが、病魔とは精神を破壊してしまう魔物ではないかと感じる。
重症であればある程、自分の精神の力を信じて、信じて、信じ抜いてほしい。
精神さえ破られなかったら、その人は病気になったことに大きな意味を見つけることができ、また、必ず同じ苦しみに悩む人の希望になることは間違いないと思うから。
同じ苦しみを味わった人にしか、その本当の苦しみは分からない。
精神が一旦は倒れそうになったとしても、倒れてもまた立ち上がる。
どんな問題も跳ね返すことの出来る、この精神の柔軟なバネを私も患者さんと共に鍛えていきたい。
そして私は鍼灸にはこの精神のバネを強くする力があると信じている。