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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2010年12月28日(火)

Vol.62生きたようにー素晴らしい最期

(生涯現役の99歳)
先日テレビで、尊敬する日野原重明先生を拝見した。
99歳の先生は、今だ現役の医師として働き、主にガン患者さんの終末期医療に携わっておられる。
先生のカクシャクとされた御振る舞い、柔和なお顔、耳の良さ、青年のような笑顔、どれをとっても本当に素晴らしく一言一言、釘づけになって聞き入った。
「頑張れでなく共感を」「大切なものは目に見えない」
「また会いましょうという気持ちで『さよなら』と言います」
「子ども達にも死について考えて欲しい」平易な言葉、しかし、あまりにも難しい。先生はすべて実践の中で、ひとりの心の中にそれらの言葉を消えない光として灯されている。

すい臓ガン末期で家族にも心を閉ざしていた男性に語りかけられる先生。その対話は自然で無理がなく、笑いがあり、微塵も説得されない。
出会いから8日後、男性は亡くなる。奥さんは「亡くなる前に夫に笑顔が戻ったことが救いです。」「夫は確かに先生の出会いから変わりました。先生に言われた言葉で死を恐がらなくなったというか・・・あの世がある感じに・・・」と感謝されていた。

(少女のように純粋なNさん)
平成22年の今年、私も尊い4人の患者さんの最期に立ち合わせて頂いた。ここでは語りつくせない、忘れられない感動を患者さんとそのご家族から頂いた。

3月30日、私と同じ歳のHさんが長い闘病の末、多臓器不全で逝かれた。亡くなる数日前、長い時間色々な話をした。彼女はラジオからご当地グルメの数々の情報を入手。驚くほど詳しかった。病気以外の話をこんなに長くした事は無かったかな。
「先生、私ね、ラジオから美味しいもの一杯食べてるの」と本当にうれしそうな顏で笑っていた。病気で殆ど何も口に出来なかった人とは思えないほど綺麗な輝く笑顔が忘れられない。なんて強い人なのかと私は尊敬の心で彼女のやせ細った手を握り不思議なくらい愛しい気持ちに満たされていた。
まるで彼女の言葉のような歌詞、私に教えてくれた植村花菜さんの「トイレの神様」を聞くと彼女の笑顔が浮かんでくる。

(何があっても負けないHさん)
4月27日、64歳のHさんは16年間のガンとの闘病に打ち勝った。主治医の「後一週間です」から始まり、後1ヶ月です、今年一杯です・・・6、7回にわたる死の宣告。
ある日、主治医が「今日調子はどうですか?」と尋ねた。
彼女は「生きます!」と返事をしたという。「不思議だ、本当に生命力が強い。もう分かりません」と先生が根をあげた。
亡くなる直後でもふっくらとした柔和なお顔はガンの人とは思えない。「娘の為にも負けません」と言われ、その娘さんも「母は私の命より大切に思えます」と、まさしく二人三脚の闘病だった。全てに安心し切ったお顔で逝かれた。親子の絆の深さに・・・合掌。

(永遠の絆で結ばれたご家族)
11月、脳挫傷で植物人間になったMさんが逝った。
今年の始め、職場で転倒され、頭を強打。
彼女は10ヶ月という長く深い一日一日をご両親と共に生きて生きて生き抜いた。私も、鍼灸の師匠にアドバイスを頂きながら往診に通わせて頂いた。目が動き、涙がこぼれ、喜怒哀楽がはっきりと分かるようになった。
11月18日の告別式の日。今まで見た事の無いほどの美しい彼女が色取り取りの素晴らしい花々に囲まれて眠っていた。
結婚式での花嫁のような笑顔の彼女から目を離すことが出来ない程美しかった。そのお顔にご両親は癒され大事なひとり娘さんの死を受け入れられた。お父さんは静かに「本当に多くの事を娘は教えてくれました」と語られた。
御両親の愛情、介護は言葉では表現する事はできない。

(何があっても感謝のSさん)
12月4日、母の代から鍼灸治療を受けて下さっているSさんが逝かれた。4つの心臓疾患と胆嚢炎を患い重症だった。
御本人もご家族も鍼灸に絶対の信頼をおいて下さり、最後はICUにまで入れて頂き治療をさせて頂いた。
80歳になろうとするSさんは、驚くほどの生命力で生き抜いき、どんな時も「ありがとう、感謝しかないです」と言われる。母を捨て身で守る娘さんの献身的な看護は目に焼きついて離れない。
長年一緒に暮らした、たった一人の母を失う事への悲しさは私にも痛いほど分かる。Sさんは、何度も何度も鍼灸治療で立ちなおり、食事も出来る様になった。奇跡的なことだった。11月18日、ICUの中で娘さんと私の3人で両手を挙げて万歳した。私にとってもその時の感動は一生忘れられない。
医者も看護師も驚く中、娘さんの腕に抱かれて静かに息を引かれた。

どの患者さんも見事な人生の総仕上げをされたと感じる。
誰もが驚く最期の美しいお顔がその事を証明しているようだった。鍼の素晴らしさをも教えて下さり感謝しかない。
また、いつかどこかでお会いできる事を楽しみにして・・・合掌。

最後に、この1年もコラムを愛読してくださった皆様に心から感謝申し上げます。

2010年12月17日(金)

Vol.61心が折れそうになる時

(精神と身体の関係)
人間の精神と肉体は切っても切れない関係、一体不二と捉える。これは東洋医学の根本思想である。
「怒り過ぐれば肝を傷(やぶ)り、思い過ぐれば脾を傷り、悲しみ過ぐれば肺を傷り、恐れ過ぐれば腎を傷り、喜び過ぐれば心(しん)を傷る」と。
古代から「人間の感情」と「臓腑の関係」を明確に表現している。
これらの感情は日常的に何かの縁に触れて現れるが、その度が過ぎたり、その感情が長期に渡る時、人は身体に変調を訴える。

実際、肝臓を病んでいる人はイライラし易く、ちょっとした事でカッとなる。
また、考え事や嫌な事をいつまでもお腹の中に持っていたら、脾(胃腸)を煩い、胃が痛んだり、ひどいと胃潰瘍などができてしまう。
更に悩みが長期に渡るとガンの発生も容易となってくる。
また、阪神大震災時でも見られた様に、恐れすぎ驚きすぎて腰を抜かして立ち上がれなくなった人も多かった。腎と腰は密接な関係にあるからだ。

(尊敬すべき患者さん)
今年も沢山の患者さんとの出会いを持たせて頂いていた。精神と身体のバランスの不調和がひどく、綱渡り状態で通って来てくださる患者さんもおられる。

Aさんは、病欠後、久しぶりの出勤時、心神からくる痛い足を引きずって廊下を歩いていると、上司から「ここはリハビリセンターじゃない!」と言われてしまう。「仕事の後、鍼灸院に行くのを唯一の希望に頑張りました」と一言。

様々な心配事が募り、常にイライラ。とうとう震えが止まらなくなるパーキンソン氏病になったKさんは、私より御年配。人生の大先輩が「感謝できる自分になります」と語られる。

障害を持った息子さんと長年の葛藤の中、身体にさまざま痛みを訴えるIさん。来院されるごとに、両手をとり先生の一言に勇気をもらいます。と言ってくださる。

長年の心身疲労によって、過呼吸・不眠・手の振るえ、全身痛など、精神不安と闘うOさん。流動食しか口に出来なかった半年間、「半年振りにおにぎりが食べれたんです」と本当にうれしそうな顏。

脳梗塞の患者さんが、また違う悩みを持つ患者さんを励ましている姿。
アトピーがよくなれば家族のように喜び合う患者さんなどなど、待合室から笑い声や泣き声やらが聞こえてくることも珍しくない。
鍼灸院は、庶民ならではの温かい人間交流の場になっている。

これらは、大げさに聞こえるかもしれないが、毎日の生活の中で「心が折れそうな時」鍼灸治療で救われる患者さんの何と多いことか。皆必死で生きておられる。実は、患者さんが喜ばれる姿に、私の方が救われているようだ。
みなさんがこの鍼灸治療の証明者となって下さっている。
健気な患者さん達に、感謝の気持ちしかない。

(薬中心から自然治癒力中心医療へ)
身体の変調の底には、必ずといっていいほど精神的な葛藤を抱えている。
そこを見つめずして本当の医療になりうるのか・・・薬がどんどん増えていく医療には疑問を感じる。
心療内科にだけ任せていいのか・・・患者さんが多すぎる今、日本ではカウンセリングも高価でまだまだ薬中心になっている。

自分は患者さんの心の訴えを敏感に感じるには程遠く未熟としか言いようがない。だからこそ、常に患者さんから謙虚に学び修行を積んでいきたい。
患者さんと共にこの素晴らしい医療を、患者さんの中から自然治癒力をダイナミックに引き出せる東洋医学をどんどん広めていくために。

「折れそうになる心」を経験した人が、今度はその優しさを必要としている人のために役立たせて欲しいと心から思う。

2010年10月30日(土)

Vol.60医療原点の日④~母への追悼

(死の瞬間)
晩秋の優しい光と澄んだ空気が忘れられない11月26日、兄からすぐ戻ってくるようにとの連絡を受けた。
全員に見守られ、母の今世での最期は、あまりにも静かだった。
闘病の激しさからか、母の顏は90歳を越える老齢者のように痩せていた。私は母の首にしがみつき頬を合わせ止まらない涙と共に、1時間、いや2時間程離れることが出来なかった。
ふと母の顏をのぞくと、その顏は驚くほど若返り、頬は丸くふくよかに、目と口に本当に優しい笑みを湛えていた。
身体は柔らかく顏はあまりにも艶やかで、兄と何度「え?呼吸してる?」と顏を見合わせたことか。
母の人生の大勝利と病魔に打ち勝った厳たる姿がそこにはあった。
今でも、その顏を思い出すと不思議に優しさが心の底から込み上げて来る。

(がん治療を考える)
不思議にも、母の死後、ガンの患者さんに接する貴重な機会に多くめぐまれている。
皆それぞれに語り切れないほどの思いを抱え、ガンに負けず尊い人生を歩んでおられる。その強靭な精神力には感服しかない。
鍼灸院では有り難いことに、おひとりおひとりの不安な思いや、共に今までの人生を振り返る機会を充分に持つ事が出来る。
この鍼灸治療は、精神を含めた身体全体の治癒力を限りなく高め、暴れるガンを鎮めていく方法である。そして、その患者さんが、ガンと闘えるだけの体力(正気)がどの程度あるのかを検討し治療を進めていく。
生易しいものでは勿論無いが、どこまでも、こちらの正気(生命力)を中心に邪気(ガンなど身体を犯す不要産物)と闘っていくのである。
3大療法の抗がん剤、放射線、摘出手術によって、いかにガンを攻撃するかに集中治療する西洋医学では、そんな流暢な事はいってられないと揶揄されるかもしれない。
しかし、「ガンは消えた。しかし患者さんは亡くなった」との声にはどのように応えていくのか。
それは、人間の全体(精神活動も含む)を診ないで、ガンのみを診ている最たる証拠と言わざるを得ない。
3大療法の使い方に疑問を感じているのは私ひとりではないと確信する。愛してやまない大切なひとりの人間に対して、抗がん剤の分量、時、期間など様々に検討するのは勿論の事、人間の生命を最大限に尊重し、誰人にとっても後悔なくひとりの人間を大切にしていく医療こそ、皆が渇望する、見失ってはならない原点だと感じる。

(使命を感じて)
現在、私の鍼灸の師匠、藤本蓮風先生は、多くのがん患者さんと真っ向から立ち向かわれ、驚くような成果を挙げておられる。
藤本蓮風先生の優れた診察方法である気色診、舌診、腹診、脈診などの総合診断は、患者さんの身体に余計な負担をかけずに本当に多くの情報を得ることが可能である。
この偉大な先生との出会い、そして、母がガンで亡くなった事実。
これらは、「がんにならないよう、しっかり予防していきなさい」そして、「ガンで苦しんでいる人を救っていきなさい」との母が与えてくれた私の使命だと感じてならない。
鍼灸治療の真のすごさは、実は医者も見離した末期の中の末期の患者さんを救う医療であると私は心底信じている。
それは、心(魂)と身体を切り離しては考えられない医療だからこそ可能なのではないか。
医者も手の付けようが無い・・・結局、技術も何も通用しない精神(魂)の領域では、人間自身を診ていく東洋医学こそが本領を発揮できる。
そして、そのために一番試されるのがこちらの人間である事を考えれば厳粛な気持ちならざるを得ない。
母の7回忌、兄は母が待ち望んだ20年来の研究書、鍼灸治療「内経気象学入門」の発刊をもって、そして私はこのコラムを使命への決意に変えて偉大な鍼灸師橋本和に捧げたい。

2010年10月22日(金)

Vol.59医療原点の日③~母への追悼

(生きることの意味)
母は、医者から不可能ですと言われた自宅への帰宅を果たした。皆、入院している人にとって、一番の望みは自宅に帰ることではないかと感じる。
自宅に戻ってきた母からは、喜びと共に死への覚悟を感じる発言もあった。生まれた限り、いつかはどんな人も必ず死ぬ。しかし、若く元気なうちは死を意識して生きる人は少ないのかもしれない。
どのような生き方を日々刻むのか、何を残して死ぬのかということは、高等な精神を保ち、必ず死に直面する人間にとって避けられない課題のはず。
母の同業者への手紙には、「私はただひとりになってもこの予防医学を叫び続けていくことが使命です」
「雑音を気にせず自分らしく生きる納得の人生を選び抜きます」「人は皆、死の準備のために生きている」と、死を見つめての今の生がそこにはあった。

たとえ病気になったとしても、その病気を意味あるものにする。してみせる。そんな決意を私も母の死に直面して誓った。宇宙には何一つ無駄なものは無いのだから。
人生に直面する全ての事も大きな意味があるに違いない。

(人間の魂に触れる)
母が亡くなる2~3日前のこと、母は殆ど会話が出来ない状態だったが、気丈に「ありがとう、ありがとう」と口を動かしていた。
死を予感していた私は、母の一切の心配を無くし、安心させてあげたいと常に心を砕いた。
母の腕をさすっていたある夜、母が「痛みが全く無い・・どんな治療よりあなたの手は効果抜群ね」と嬉しそうだった。

どんな気持ちで人間に触れるのか、その気持ちに微塵の不純物も混じっていないかどうか。全身全霊の無私の精神だけが、相手の魂にまで届くのかもしれない。
私はここに医療の原点を見出したい。

2010年10月16日(土)

Vol.58医療原点の日②~母への追悼

(激痛との闘い)
2004年5月母が亡くなる半年前、私は母と一緒に韓国へ旅行に行った。
韓国ドラマ「ホ・ジュン」に魅せられ、一度行きたいとの母の希望からだった。ホ・ジュンが少女を診察している大きな像の前で一緒に写真を撮った。母はホ・ジュンの優しい眼差しとそのふくよかな手に魅了されていた。
その時既に母の身体はガン性疼痛に蝕まれていた。
韓国から帰った直後、母は仕事も出来ないほど腹部と背中、足の痛みに苦しんだ。
総合病院など様々なところで検査を受けたが、初めに行った病院で心臓の疑いをかけられ、大病院への紹介状も次々と循環器系に回わされた。心臓の負荷試験をし、血液検査をするも何の異常もなく、結局、最後に「繊維筋痛症」との診断を受けた。6月からその痛みは更に激しく、私は兄と一緒に鍼をしたり、冷蔵庫で冷やしたタオルを熱感のある背中や腹部に数分ごとに取り替えた。それは夜中も続き、私の手もひどい水膨れになる程だった。膵臓は胃の後ろにあり、そのすぐ後ろには腹腔神経業という神経の束がある。
母のガンはその神経の束にまで浸潤していた。その痛みはどれほどのものであったか、母の忍耐力は半端ではなかった。

(本当の病魔との闘い)
それから4ヵ月後、近所のクリニックで膵臓ガンであることが分かった。それは亡くなる1ヶ月半前のことだった。
多忙を極めた20年前、急性膵炎で生まれて初めて緊急入院した時、膵臓あたりに影が有ったらしいが再度の検査で見つからずそのまま帰宅していた。
「この膵臓ガンは、約20年前にできた物と思われます。」と医者は言った。
ガンの憎さは、その強烈な痛みと、徐々に容赦なく身体を蝕む増殖能力だ。しかし、人間の精神力はそんな憎きガンさえ微動だにせず、打ち勝つことの出来る強靭さを持っていると私は信じている。
母との病院での1ヶ月半の闘病生活は、ここに書き切れないほど貴重な体験となって私の生命に刻まれた。
ガンは、肝臓、肺、腎臓など全身に広がった。師匠と連携を取りながら兄と懸命に病院で治療した。主治医も西洋医学では手の打ち様がなく、「どんどん鍼をしてあげて下さい」と快く勧めて下さった。

(宇宙のリズムの中で)
病院では凄まじいガンとの闘いと共に、不思議にも弾ける笑いがあった。
母の一言一言は皆の心を通じて笑いへと変わった。
また、何も口にすることが出来なかった母が、私の食事を気にして、「退院したら、頭の良くなるご馳走作ってあげるね」等と話してくれた。実際、家に「頭の良くなる料理」という題の本が置いてあったのには苦笑いだった。
あんなに辛かったのに、なぜあんなに笑いがあったのか。
実は、私は、母のガンが発見されたその日、9月30日から、全てにわたって「宇宙のリズム」の中に入っていくような感じがしていた。
私の「宇宙のリズム」という表現は、何が起こっても全て自然のままに進み、そこには何の不自然さも無い、極論すれば、善への回転・・・本当にそんな感じだった。不謹慎な表現なのかもしれないが、素直な気持ちだった。
その後の母との闘病生活は、今、考えても息苦しくなる程、心身共に私にも苦痛を与えたが、実際、全ての事が母にとって最高の方向に向かっていった。苦悩の中にも、私は、その宇宙のリズムに感謝の気持ちで手を合わせていた。

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