「25歳まで、診療所の前に極楽湯がある事しか知らんかった。鍼灸の事だけを考えていたからなぁ。前は極楽湯、後ろは地獄鍼、わぁはははっ!!!」
と私の肩をバシバシ叩きながら大笑いする。私は、こんな豪放磊落な鍼灸の師匠が大好きだ。
(母と師匠)
師匠のことは、亡き母から、そして兄からよく聞いていた。
母も兄も同じ師匠を持つ鍼灸師。
特に、母は毎日のように師匠の講義のテープを、何をしてても聞こえるように爆音で流していた。
ある日、母が師匠の本を抱きながら寝ていることもあった。
母は18歳で鍼灸の免許を取得してから亡くなるまで鍼灸を愛しこの道一筋に生き抜いた。そんな母が、50歳を過ぎてから今の師匠に出会い、今までの全ての鍼灸のやり方をあっさり捨てたのだ。
「この先生は本物!」と何回聞かされたか。また、研修会から帰ってきた母が「先生すごい人なんだけど、お口も悪くてね~。今日、三ばばトリオって言われちゃった!」と苦笑いしていた。(母を含めて年齢の重ねた三人の先生が仲良く勉強していたので)この時、私は違う職業に従事しており、さほど興味も無くその言葉を聞き流し、その先生の風貌を少し想像したりした。
きっと長~い白髪(はくはつ)の仙人のような人なんだろうな・・・・
(想像を超えて)
鍼灸の道を決意し、専門学校に入った時から、私はなんのためらいもなく、母、兄が尊敬するこの先生の北辰会の勉強会に参加し、治療所にも見学に行かせて頂いた。
初めてお会いした時の気持ちは今でもはっきり覚えている。
勉強会は恐いほど熱気にあふれ、皆真剣そのものだった。
そして、師匠には不思議なことに「懐かしい気持ち」でいっぱいになった。
お声や話をいつも聞いていたからなのか・・・生の師匠は、人を引きつける迫力と情熱が全身からほとばしり、白髪(はくはつ)どころか、乗馬やスキーなどのスポーツで日焼けした精力漲る若々しい風貌だった。
その名、北辰会代表藤本蓮風先生。鍼灸医14代目、20歳で開業され現在までに65万人以上の患者さんの治療にあたられている。昨年12月、PHP研究所から出版された一般向け人気書籍「鍼1本で病気がよくなる」をもって出版書籍は16冊に上る。
師匠の下には、様々な重症患者さんが遠方からも来院されている。来られた時は下向き加減、帰られる時の患者さんの元気そうな笑顔。
実際に1本の鍼のすごさ、師匠の人間を感じる繊細さを目の当たりにする。
(日々感謝)
恐れ多くも、私が感じる師匠を一言で表現すれば、鍼灸を誰よりも愛する人間観察の達人。そして妥協無く厳しく、分からないように優しく繊細。
現在、師匠の下に若いお弟子さんが続々と集まってくる。
それも、20代前半の人たちが師匠に触発され、すごい向上心を持って様々なことに挑戦されている姿に、師匠の求心力のすごさを感じる。
あまりにもストレートな師匠なので、誤解も多々生じる事もあるが、全て患者さんの病と真剣に向かい合い、鍼灸の本当の力を感じてもらいたいがため。
どれほど師匠が鍼を愛しているのかが分かれば、その厳しさも一言の意味も大きな意味がある事を感じとれる。
今鍼灸師として自分があるのはただただ師匠のおかげ、未熟すぎて反省だらけだが感謝以外ない。
(師匠の挑戦)
今年4月から師匠は「鍼狂人の独り言」としブログを立ち上げられた。
研修会に行く度に、どれ程精魂込めてブログを書かれているかを目の当たりにする。1ヶ月経った現在も毎日楽しんで書かれている。
そのブログに、笑ったり、涙したり、元気になったり、考えたり、様々な感情が湧いてくるから楽しい。
「読まなくていいから人気ランキングをクッリクせよ!」との笑ってしまうような発言も、鍼灸を広めたいとの一心からだ。
師匠に出会って8年、今日も研修会に行き、ふと師匠の事を書きたい衝動にかられた。勿論、ほんの氷山の一角であり、失礼な発言もお許し頂きながら・・・御健康と益々のご活躍を心から祈りつつ。
(油断大敵!)
毎日の猛暑に、皆さんの「熱いですね~」の挨拶には本当に実感がこもっている。
7月19日以降の一週間で、9000人以上の人が熱中症のため救急車で搬送され、100人以上の人が熱さで命を落とされている。連日、熱中症対策が報道されているにも関わらずこのような状態とは。油断大敵、想像以上に身体はダメージを受けている。
39.4℃を記録した岐阜県での日差しは、聞くところによると刺すような痛さとの事。
熱風が吹いて来るらしい。地表の温度は50度以上になっている。
これは日本だけでなく世界中に起こっている現象だ。モスクワ近効では28箇所で森林火災。その煙により大気が汚染されスモッグが発生。市民はマスクを着用しているらしい。
この暑さは、チベット高気圧、6000メートル高気圧、太平洋高気圧などの3段重ね高気圧によるらしく、いわば、上から下まで高気圧に覆われている状態なのである。
(東洋医学での熱中症)
東洋医学では、熱中症のことを「中暑(ちゅうしょ)」といい、暑さに中(あたる)と読む。
また、中暑が酷くなったものを「傷暑(しょうしょ)」といい、暑さに傷られると表現する。
脱水症状で意識障害で亡くなる人はこの「傷暑」のためである。
初期症状は、人により様々だが、頭痛、ムカムカする、身体がだるい、食欲不振、などで熱中症と自分で気付かない人も多い。
最近、熱中症の初期症状で来院される患者さんが多くなっているが、ご本人は熱中症の自覚があまりないらしい。腹部の1本の鍼で、すっきりしましたと言ってくださる。
酷くなると、嘔吐したり頭がくらくらして立ってられなくなり、意識が混迷してくる。
熱中症で怖いのは、熱のため身体の中の水分が蒸発していくことだ。
高血圧や心筋梗塞、血栓ができやすい身体の人などはより注意が必要だ。
いかに身体の中に陰液(必要な水分)を吸収し潤いを保たせるかが鍵となる。
(熱中症にかかりやすい人)
亡くなった方は、やはり年齢が上の人が多い。それは、年齢がいくと水分の吸収や代謝能力が低下するためと考える。
例えば、切花でも切りたては水揚げもいいが、旧くなるといくら新しい水に変えても水揚げが悪くなるのと同じで、吸収力が低下する。よって、老人など津液(身体の水分)が不足していたり水分吸収がしにくい人、アトピーなどの熱疾患にかかっている人、過労や睡眠不足で身体が疲れている人等は熱中症になって当たり前と思っていいくらい注意をしなければならない。
自分の体質を知ってこそ、より注意ができ、ましてや死ななくても済むのにと悔やまれてならない。冷やしすぎても今度は脾胃や腸に負担をかけ下痢などが起こり体力を消耗しかねない。自分の身体のバランスを自分自身である程度とっていけるように自分の身体を知って欲しい。
(熱体質の人、気を付けて)
以下、丸が多い人ほど注意が必要。
1、60歳以上で血圧が高いほうだ。
2、普段から便秘傾向だ。
3、普段から野菜不足だ。
4、普段から肉食で油っこいものが好きだ。
5、よく化膿したりする体質だ。
6、普段から冷飲を好むほうだ。
7、普段から暑がりで汗が多いほうだ。
8、尿の色が濃い黄色だ。
9、最近暑くて食欲減退している。
10、普段からお酒かタバコを好む。
11、炎症や湿疹など痒みの疾患にかかった事がある。
12、普段から寝不足だ。
13、普段から口内炎ができやすい。
14、普段からイライラする事が多い。
15、最近、生理が早く来る(月2回など)
16、普段から目が充血しているほうだ。
17、夜足が異常にほてることがある。
18、普段から過食傾向だ。
19、舌が赤く乾燥している方だ。
20、排便時、肛門に灼熱感がある。
9と12番以外は全て熱傾向で、この夏身体の津液が不足しやすい傾向にあるといってよい。注意できる事は出来る限り実践して(野菜を多く取るなど)、疲れを溜めないように睡眠を十分にとり、バランスのいい食事に気を付けよう。
また、ヨーグルトや瓜系のもの(スイカ、きゅうり、冬瓜、メロンなど)、果物などは身体の熱を冷ますため普段から多く摂取するように。
また、梅干など塩分摂取も忘れずに。
そして、部屋の温度を30度以上にすることなく、保冷剤やアイスノン、水枕など使用して、賢明にこの酷暑を乗り越えていって欲しい。自然の猛威は人間の智恵を乗り越えられないと確信している。
(ヘレンケラーと偉大な福島氏)
ヘレンケラー生誕100周年の同じ年、18歳で盲聾者となった福島智さんを、夜中うつらうつら見ていたテレビで始めて拝見した。思わず私は飛び起き、見入ってしまった。
ほんの少しの時間だったが「生きている事の意味を見出せばそれは絶望ではない」といった一言が深く心に残った。
福島さんは現在、東大の教授をされている。盲聾者の大学教授は世界初。
最近、新聞の広告で福島さんの著書「生きるって人とつながることだ!」が紹介されていたので早速購入し一気に読ませていただいた。
福島さんは、1962年神戸市生まれ。4歳で右眼を摘出し、9歳で完全失明、18歳で聴力も完全に失った。
当時、彼は「これから、どうやって生きていけばいいのだろう。私はまるで、暗黒で真空の宇宙空間に放り出されたような、そんな魂の凍りつくような孤独感に包まれていた」と振り返られている。
福島さんは、お母さんが生み出した「指点字」(他者が彼の手の甲に指で点字を書くというもの)で他者とのコミュニケーションをとられている。
そのご苦労は想像することすら出来ないが、彼は、本当に明るく驚くほどの楽観主義者である。人生を楽しく自他共のために最高に有意義に生きておられることが本の随所から伝わってくる。
(自然に豊かな人生)
彼の精神の核心を貫くような一文を見つけ心から感動をした。
「健常者と同等・互角に生きることは(たとえば行動力や生産性において)無理であっても、それが人生においてどれほどの意味を持つだろう。健常者と「同じ」に生活できることが目的なのではなく、盲聾者がそのハンディと共に自然に豊かな人生を送るためにこそ必要なのだと思う。障害の有無は、人生の豊かさとは独立した要因だ」との福島氏の言葉だ。
「障害の有無は人生の豊かさとは独立した要因」・・どれほどのつらさを越えて生命の根底から湧き出た言葉であるか。ひとりの人間の持つ無限の強さを感じてならない。
(身体から精神を緩和)
最近、私の鍼灸院に、摂食障害やうつ病、または、強烈な頭痛に何十年も悩まされる等の患者さんが多く来院される。その症状はどれも今に始まったものではない。患者さんは、身体の不調と比例して、ほとんど100%と言っていい程、そのバックボーンの一端を知れば、小さい時からの、または長年の様々な精神の葛藤を抱えている。まさに、長い間の精神の抑うつが身体の不調を引き起こしているのだ。
私は、そんな長年の精神の抑圧を緩和させるために、身体の面から鍼灸治療を施している。それが可能なのが本当の東洋医学の力だ。
実際、摂食障害の患者さんは、鍼をすると頭がすっきりするといわれる。
また別の摂食障害の患者さんを知る親戚の方が、何年ぶりに彼女の笑顔を見たでしょう!とその変化に驚かれている。
(発想の転換)
私は、問診をしながら、悩みと懸命に闘っておられる患者さんに対して、「偉いなぁ(強いなぁ)」と感じることが多い。
しかし、実際、患者さん達は、私の心とは裏腹に自分を責めてばかりおられる。自分を責めると可能性の芽が伸び伸びできなくなる。
福島氏とは、病の種類が違うかもしれないが、ここまで人間は強くなれるのだ、ということを、誰人も彼を通して知っていくべきではないかと感じる。
著書の中で福島氏は、「私は常に「他者」によって生かされてきた。中略・・本来、人が「他者によって生かされている」ことは誰にも共通していることであり、そのような人間の「もろさ」や「弱さ」の自覚が、他者への共感や優しさにつながると思うからである」と言われている。
卑下することも無く、傲慢にもなり得ない。この人間に対する厳しいまでの平等な精神に感銘する。
肉体的であれ、精神的であれ、そんな自分の力ではどうしようもない悩みや葛藤を持っている(持っていた)ことこそが、福島氏がいう「他者への共感」が本当に出来る人だと思えてならない。
(苦しみは使命の異名)
福島氏18歳、聴力が徐々に無くなっていく時、彼は実家のピアノの鍵盤に向かっていた。同じ鍵盤を叩いているのに、音程が変化していく。あのぞっとするような悲しげな響きは今も忘れられないと言われている。
その3ヵ月後、完全に聴力が無くなった。この3ヶ月の間に彼が友人に送った手紙(著書の中から)を最後に紹介したい。
「僕にもし生きるうえでの使命というものがあるなら、それは果たさねばならない。そして、それをなすことが必要ならば、この苦しみのときをくぐらねばならないだろう。僕の使命が、この苦しみがあって初めて成り立つものだ、と考えることにしよう」
もし自分が地に倒れたと思ったら、この言葉をつかんでその地からまた逞しく立ち上がっていきたい。誰人も立ち上がっていけると信じる。
(自然の驚異)
4月14日アイスランドのエイヤフィヤトラヨークト火山が大爆発した。
噴火の映像を見ると「地球も生きている」との感を強くする。
島の殆どが、火山と氷河で覆われているアイスランドでは、高温のマグマが氷河にぶつかって蒸気爆発するらしい。専門家によれば、今落ち着いているどころか、隣にあるもっと大きなカトラ火山もいつ爆発してもおかしくないとのことで油断は出来ないらしい。
それにしても、今回の爆発では、世界800万人に影響があり、航空業界では1日あたり約380億円の損失、総損失は約2800億円以上になるらしい。
アメリカテロを上回る損害との事。しかし、自然のなせる業、どうしようもない。
人間の小ささを時に自然は痛いほど教えてくれる。
しかし、また自然の驚異から人間の英知も磨かれ、いかに自然と共存していくかを模索していく切っ掛けになるに違いない。
(依正不二=環境と人間)
このように地球も生きている限り、人間と同じく様々な表情を見せてくれている。
仏法の言葉に「依正不二(えしょうふに)」といって地球環境(依報)と人間世界(正報)は二つであって二つでない(不二)と説かれている。
つまり、環境と人間は、切っても切れない密接な関係があり、この二つは根底では繋がっていると捉える。数年前、ニューヨークで大清掃運動が始まって町が綺麗になったら、犯罪数がうんと減少したとの報告があった。
人間の心と環境はつながっている証拠だ。自然を守っていこうとする本来の人間らしい心が、自然を守る行動になり、自然も人間もお互いに調和し守り合う結果を生む。当然のことなのだが・・・
(心身不二=精神と人間)
東洋医学でも、人間の精神と身体の関係は上記のように、不二で切ってもきれない密接な関係があることは数千年も前から言われている。
最近、パーキンソン病を患い手も足も震えが止まらない患者さんが来られている。
彼女のバックボーン、それは苦労の連続で今もなお様々な問題が山積している。
「心を乱すと震えがひどくなるでしょう?」と言うと、「そうなんです。でもいつも色んな事に振り回されてイライラしていつも心が乱れるんです。どうしたらいいのか?」と言われた。
パーキンソンだけでなくアトピーや様々な疾患もストレス(緊張)がかかると悪化する傾向が日常かなり多く見られる。
「入院して身動きできないご主人を思うと、あなたは美味しいものも食べられて、歩けて、話せて幸せですね」というと、「本当ですね、私、毎日毎日愚痴しか言ってなかった。感謝しないと・・・」と。
(プラス感謝)
「心が乱れる」ではなくて、「心を乱す」張本人は実は自分自身。
乱れた心に「プラス感謝」が入ると、停滞していた「気」が全身をめぐり出し、症状も加速度的に良くなっていくことは本当によく見られる事実だ。
このパーキンソンのご婦人もいっぺんに表情が変化した。
眉間の濃いしわが無くなり柔和に。この心の変化こそ、悪循環していた環境を、今度はいい循環に、幸せな循環に方向転換していく舵を握っている。
病気が不幸なのではなく、心が萎えていくことが悲しい。
病気は時に深い生き方を教えてくれ、味わったことの無い優しさをも感じさせてくれる時がある。病気をも人生の味方に。
どんな問題をもいい方向に舵を向けていけるのは、ひとえに本人の「生命力」にかかっているのではないか。環境をも変えていける自分の心(生命力)を沸き立たせて。
どんな人間にも、先日の火山の如く、すごい生命力があると信じてやまない。
その生命力を引き出すために、悪循環の方向転換を心身両面からさせて頂くために、臨床家として日々感性を磨いていきたい。
そのために、自然に感動し、人間に感動できる1日1日であり続けたい。
(同じ人間)
冬季五輪の花形、日本をはじめ世界中の人々を魅了した女子フィギュアスケートの浅田真央とキムヨナ両選手。皆が二人の姿に両手を合わせ、我が事のように成功を祈り胸を高鳴らせた。
キム選手が浅田選手のすごさを認識し、「なぜ真央と同じ年に生まれてきたのか」と語っているほど、二人の縁は深く強い。
19歳とは思えない精神力と身体能力の高さは両選手とも天晴れだ。
私は、特に表彰式台でお互いを称えあい抱擁している姿に感動した。
演技の時以上に二人の顔が輝いて見えた。
キムヨナ選手の自叙伝に、この輝きの理由の一端を見つけた。
彼女は「よい競技が出来た時と、そうでない時の気持ちは誰より自分自身が知っている。人々は私たちにライバルという名を付けたが、私たちは同じフィギュアスケーターという同じ道を進む人間である」と述べている。
キム選手は誰より浅田選手の気持ちを理解し、その気持ちを全身全霊で抱擁したからこそ19歳とは思えない心の豊かさが輝きとなって表れたのだと感じた。
「同じ人間」・・・なんて謙虚で優しさが溢れた言葉だろう。
(精神のバネ)
我々も医療を施す側、そして、患者さんはそれを受ける側。
ともすれば、弱者に対して何かを施すというイメージだが、しかし、実際医療現場に立っていると患者さんは弱者どころか、その逞しい精神に尊敬の念をもって手を合わせたくなる事のほうが遥かに多い。
調子のいい時は、誰もが自分に自信と希望を持って進んでいける。
しかし、思っても見なかった悪いこと(病気も含めて)に遭遇したとき、自信と希望を失わずにいけるか否か。
ここに私は“精神のバネ”とも言うべき、その強弱の大切さを感じる。
倒れてもまた立ち上がっていける柔軟性のあるバネ。
身体は蝕まれていても、精神のバネがしっかりしている人は、病にさえ意味を見出し、同じ病で悩んでいる人の為にも頑張ろう、と希望の方向へ立ち上がっていける。
精神のバネが伸びきってしまっては、もうだめだ、もう無理だ、と立ち上がる意欲が出てこない。
(最年長の患者さん)
今月で101歳になる患者さんのSさん。先月転倒して左手首と左大腿骨を骨折され、現在リハビリ真っ只中だ。
車椅子に座って黙々と食事をされていたSさんに「美味しいですか?」と声をかけた。
「美味しいですよ」とにっこり。甘えも弱気も入り込む隙間の無いその言葉に、病院の食事ではもの足りないだろうと持参したお寿司を思わず引っ込めてしまった。
「お元気そうですね!」と言うと、「ありがとう、ありがとう、空元気よ~」かっかっかっと大笑。
「人には絶対迷惑をかけたくない、元気に退院する」との強い心を短い言葉から感じた。
101歳でもSさんは精神のバネがしっかりしている。
まったく愚痴が無いのだ。
(励ましは万の力)
では、そんな精神のバネを強くするにはどうすればいいのか?
患者さんから学んだ私の浅い考えでは、津波のように押し寄せる苦しいこと、つらいことを乗り越えた分、精神のバネは強くなるのでは・・・
「鉄(くろがね)は鍛え打てば剣(つるぎ)となる」との名言の如く。
そしてその波を乗り越えるために、絶対といっていいほど「励まし」が必要だと感じる。
励ましは、相手が病という大波に立ち向かっている姿を称え、尊敬していく精神からほとばしる言葉だとも感じる。
医療現場に立させてもらう人間は、病と闘う患者さんを尊敬し、励ましを送っていける存在であってこそ、「先生」と呼ばれるにふさわしいのかもしれない。
ともあれ、浅田選手は、「銀は次へのステップ!」と言っていた。
まさに強靭な精神のバネをもって既に大きく飛翔している一言だと感動を持って聞いた。