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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2010年1月3日(日)

Vol.49対話の力

(志の大きさ)
この年末年始は、本当に沢山の友人知人と会い友好を深める多くの機会を持てた。
よき友人との対話程、人生を豊かにしてくれるものは無い。
感謝の思いでいっぱいだ。
その中で、アメリカに滞在し核不拡散、軍縮関係の研究機関に勤務している友人からは特に大きな触発を受けた。
彼女とは帰国するたびに会う機会を持たせて頂いているが、彼女の夢を実現しようと語る強い意志、輝く眼、現実を見据えた英知など等、一言一言に心から感動を覚えた。
自分自身も様々な悩みを抱えながらも、オバマ大統領と同じ意志、「核の無い世界」実現に向け人生をかけて日々闘っている彼女。その志の大きさに彼女の成長の鍵があるのだと感じた。
今年の彼女は眩しいほど成長していた。

(人間への信頼)
立場は全く違うが、対話の中で私たちの共通の認識は、「人間への信頼」こそ、何かを成す為に最も大事なことではないかということだった。
それは「対話」でしか本当には得られないのではと感じる。
相手を信頼するからこそ「対話」が生まれる。
不信や偏見からは「対話」という行為は生まれない。
自分の先入観や思い込みなどでは無い「対話」を大事にしている人を私は心から尊敬する。
対話によって、思ってもみなかった相手の良さや心の底の思いを知り、尊敬の念や相手に対する温かい心が湧いてくる。
「対話」は、お互いが最も優しくなれる最も人間らしい行為ではないか。
「対話」は人間だけに与えられた知的レベルの最高峰ではないか。

(対話は癒し)
ありがたいことに、東洋医学では人間の心と身体を切っても切れない関係として重視している。
つまり患者さんが心の中で思っている事や患者さんの性格を知ることによって、その人がそれによってどのような生活環境を作っているかを知ることができる。
そしてそれが、まさに病気の原因、または病気治しの大きなヒントとなってくる。
つまり、患者さんとの対話無くして、本当の治癒は無いといっても過言ではないのではないか。

ある本の中で、カナダ・モントリオール大学前学長のシマー博士が語っておられた印象深い言葉があった。「医師と患者の間に対話が存在すること自体が、癒しの力となります。
しかし、現実の医療の現場では、医療機器が主要な位置を占め、医師と患者の人間的な交流が軽視されているのです」と。
多くの患者さんが思い当たる事実ではないか。

また、シマー博士の言葉から、ある医者が「診察中、患者さんの顔を見ないで、電子カルテを記入するために、パソコンの画面ばかりを見ている医師がいました。たまりかねた患者さんが「先生は顔色ひとつ診てくれないじゃないですか」と文句を言った。医師は、しょうがないなという顔つきで、聴診器を手に患者さんの胸を診ようとした。しかし、手にしたのは、パソコンのマウスでした」という、苦笑いしてしまう話があった。

(人間力)
西洋医学の心ある多くの医師も、「まず患者さんとの間に、人間としての信頼関係を築くことが大事。それでこそ、治療も確かな効果が生まれる」と言われている。
21世紀は、薬さえ与えればいい、医療技術の進歩こそが大事という時代ではない。
ますます、人間中心主義がクローズアップされなければならないと感じる。
医者のためでも、お金のためでも無く、すべては「人間のため」になっているかどうかが問われる時代ではないか。

今年も、どのような患者さんとの出会いがあるのか、どれほどの患者さんが心身共に健康を湧き出させていけるか、心して治療現場に立ちたいと決意している。
ひとりの人間の生命力は人智では計り知れない。
その自らの生命力を開いていくお手伝いをさせて頂くのが「人間力」をもった鍼灸治療だ。
「人間力」とは、目の前にいる縁深きひとりの人に、徹して誠実に、尊敬の心で治療させて頂くことだと認識している。

2009年12月14日(月)

Vol.48“人を想う”ということ

今、目の前にまっさらのピンクのNARUMIの美しいマグカップが光っている。
今年10月の私の誕生日に後輩が送ってきてくれたものだ。
覚えにくい私の誕生日に彼女は15年近く毎年毎年お祝いをしてくれていた。

あれから1ヵ月半後の12月10日朝、その後輩は静かにこの世を去った。
まだ、40代。悪性リンパ腫から肝硬変だった。

マグカップが届いた頃、調度、彼女には退院許可が出ていた。退院許可といっても余命あとわずか。最期の時を家族と過して下さいという退院許可のようだった。

手紙には、いつもと同じしっかりした字で「悪性リンパ腫ですが、元気にしています。またすぐ良くなります」と全く終末期とは思えない文面があった。
この時、歩くのもままならない状態だったというのに。
彼女は私に、自分の病気を本当は伝えたかったに違いない。

彼女は信じられないほど人のために尽くす人だった。
相手のことを絶えず気遣って、気遣って、それは想像を超える程の気遣いだった。
お互い多忙のため、彼女からよく近況報告のお手紙を頂いた。
手紙のやり取りが少し続いたある日、切手を貼り、彼女の住所が書いてある新しい封筒とはがきが10枚づつ送られてきた。
私の手を煩わせないためだった。

すべて後から聞いた話だったが、悪性リンパ腫は全身に及び、昨年1月2日吐血、今年7月17日再度吐血をした。
2回目の吐血は数回にわたる大量出血だった。
意識朦朧となりながら駆けつけた妹さんに「お母さんには言わないでね。心配するから」と自分で血をかき集め隠そうとしていたという。

亡くなる一週間前、病院にお見舞いに行って私は唖然とした。
何ということか、あまりの彼女の様態の悪さに言葉を失った・・・死の影をはっきり感じた。
それでも、彼女は私の持参したお土産ひとつひとつを慈しむように手でさすりながら感謝してくれていた。何年ぶりか、2人でゆっくり話しができたのは。
彼女は、私が帰る間際、突然泣き出した。
こんな嗚咽をたぶん家族にも誰にも見せたことは無かったと思う。どんな思いだったか聞くこともしなかったが、
「よく頑張ったね」と心で言いながら、おでこやほっぺたをしばらく撫でてあげた。
妹さんが入ってきた時には、「退院したら鍼にいきますね」と毅然とした穏やかな顔に戻っていた。
2年前に会った時、あまりにもやせ細った彼女になぜもっと強く鍼を勧めなかったのかと悔やんだ。
しかし、人のために生きた彼女の最期は眠るように穏やかだった。

(永遠の生命)
人は死んで、今の身体はこの世に無くなったとしても、その人の生命はそのまま永遠に続くと聞いた。亡くなるとその人の生命が宇宙に溶け込んでいくらしい。
でも溶け込んでも、絵の具のように他の人の生命と交わることは無いそうだ。
自分の生命とは、自分が一生の間に思ったこと、行動したことの全てが自分自身の生命の深層に刻み込まれ、その人の生命を作っていくといわれている。
そして何かの縁に触れてまた、人間としてこの世に出現する。前世の生命状態のままで。
死んだら終わりという人がいるけれど、私は全くそうは思わない。
終わりで無いからこそ人は本来、より良く生きようとするのではないか。

私は彼女の想いがこもったこのマグカップを愛用しながら毎日彼女を思い出したい。
一生涯、彼女が私に寄せてくれた心に感謝し供養をしていきたいと思わずにはいられない。
その事が、彼女が教えてくれた“人を想うこと”の一部だと信じて。

2009年11月26日(木)

Vol.47母の命日に思う

(荘厳な夕日)
11月26日、母が亡くなってまる5年。褒められた記憶がほとんど無い程厳しい母だったが、最期に「あなたはどんな患者さんを診るのか楽しみね」「お母さん以上の名医になれるよ」と最大の励ましをくれた。

丁度、母を見送った後、17階の自宅から見た六甲山に沈む夕日は、今も尚、目に焼きついてはなれない。
この日の夕日は、母の鍼灸師50年の人生の総決算とも言うべき大勝利の姿をほめたたえてくれているかのように、厳かであまりにも雄大なものだった。
生前、常に「人は生きたようにしか死ねない」と語っていた母。
夕日と母の人生が重なり、母の見事な最期に拍手を送らずにはいられなかった。

(死は一時の休息)
母亡き後も、何人もの人の最期を見させていただいた。皆、夕日が沈むように今世の使命を終え、人生の幕を閉じ休息に入っていかれる。
何のための休息か。
それは次の生のためにエネルギーを充電しているのだと聞いたことがある。
次の生を今度は、はつらつと昇りゆく朝日の如く、若々しく力強く出発するために。

(科学が突き止めた真実)
先日、某新聞に、「最初は1つだった生物の命がいくつもの枝に別れ連綿と繋がって今に至る。だが、不老不死の生物はない。それが科学が突き止めたひとつの真実です」と分子生物学者の福岡先生の言葉があった。「科学は地球に壮大な輪廻があることも証明したのです」と。
全てが関わり合いながら、互いに助けをかりながら、今存在するこの事実。
そしてその存在は、必ず限りがあって生死生死を繰り返している。
なんというスケールの大きさか。
誰が欠けても何が欠けても今の存在は無い。
この考え方こそが、東洋思想の真骨頂だ。それを科学が証明してくれているとは。

(絶妙なるバランス)
人間の身体も知れば知るほど突き止めれば突き止めるほど、その絶妙なるバランスの見事さに誰もが畏敬の念を払わずにはおられないのではないか。
「薬の大製造工場は実は自分自身の中にある」と言われた著名な方がおられたが、本当にその通りだと実感する。いわゆる自然治癒力だ。
鍼はその力を最大限に引き出す手助けをする優れものだ。

先日も脳梗塞などで片麻痺の人のリハビリをする施設が紹介されていた。
楽しいことをする、自力を出す、そのためにバリアフリーではなく、バリア有りで廊下にはバラバラの高さのたんすを並べたり、頭にあたりそうなくらいの札をかけておいたり工夫満載。考えられないほどの成果を挙げていた。
楽しんで取り組める自発能動がいかに大切か。
自発でなければ、薬にばかり頼っていたら本当の自然治癒力が働かなくなってしまう。

(宇宙のリズム=慈悲の心)
ともかくも、科学の進歩は、不思議にも東洋医学の素晴らしさを引き出してくれているように感じてならない。
実際、世界的にも著名な生物学者であられる村上和雄先生は、遺伝子を研究すればするほどその驚くべき精妙さに驚嘆され、一体何が、誰が、このような仕組みを人間に与えたのかを考えざるを得ないと言われている。その不思議を先生は、「サムシンググレート」と名づけられた。
私の未熟な考えでは、その「サムシンググレート」は仏法の言葉で表現すれば「慈悲」に通じるのではないかと思う。
人を慈しみ、人を想い悲しむ心。この慈悲こそが宇宙そのもの、宇宙のリズムではないか。
大きな事を大げさに語るつもりは無いが、本来の人間の持つ慈悲の精神にのっとってこそ、より良き生き方が出来、それが荘厳な夕日の如く自分の人生の幕を閉じることになり、次の出発に繋がっていくのだと感じる。

母の命日は、私にいろいろと示唆を与えてくれる。只感謝しかない。

2009年10月30日(金)

Vol.46食は愛につながる

(嘔吐との闘い)
亡き母が、確か仕事が出来なくなる前月だったと記憶する。
珍しく仕事中に、トイレに駆け込む母の姿に、すぐ私は「もしや母はトイレで嘔吐しているのでは?」と悟った。
ただならぬ嫌な予感が、私の身体を駆け巡ったことをはっきりと覚えている。
トイレから出てきた母は何も言わず、何食わぬ顔でまた診察を始めた。
他のスタッフは何も気づいていない様子。
母に「さっき吐いてた?」と小声で聞くと、母は無言で「うん」と、キリッとした顔で頷いた。患者さんには、絶対心配かけてはならない。これは鍼灸師だった母の一貫した信念だった。

嘔吐・・・・母は疲れていても嘔吐する事など滅多に無かった。というより全く無かった。
何か消化器系に異常でも・・・?
それから、半年後に母はすい臓がんで亡くなった。

(大きな後悔)
消化器系の癌は往々にして食事を取ることが困難になる場合が多い。
ましてや、すい臓がんとなると・・・約一ヶ月間、母は食事を取ることが出来なかった。
スープだけでもだめですか?と聞くと、医者は、「いい匂いをかくと胆汁が溢れて嘔吐しますので・・・」と、本当に残酷そのものの答えだった。

ある日、母に「人間1ヶ月何も食べないとどうなるかわかる?」と聞かれた。
私は「大丈夫、大丈夫!」と答えるのが精一杯だった。
「残酷だね・・・」との母の言葉に何も言えなかった。
こんな小さな母との会話が、今でも、私の大きな後悔となってしまった。

(食べることの意味)
今日、テレビで「食の崩壊」との特集があった。
最近では、お腹が空くから仕方なく食べるという若い女性も多いらしく、朝は菓子パン、昼はお菓子。ハンバーガーのみの晩御飯もあるらしい。
お腹が膨れさえすればいいと、ある大学教授は主食はカップめんとお菓子。後はサプリメント一日300錠を頬ばっているとのこと。

ある心療内科の先生は、食事の環境が心に及ぼす影響は大であると言われた。
若い、うつ病患者さん20人全員が、家族で食事を囲んだことがない。または会話がなく、集まれば口げんかばかりという環境だった。
小さい頃、食卓でのコミュニケーションが無かったことが、対人関係を作れない原因だと指摘していた。

(生きていることの証)
また、違う病院では、脳卒中で寝たきり、殆ど身体を動かす事が出来ない男性に、少しずつおかゆを食べる訓練をしていた。
その男性は話すことも出来ないが「食べることは生きている証」と涙ながらに奥様に訴えておられた。
更に、違う麻痺の患者さんにも、食べる訓練を1年すると、なんと言葉と笑顔が出るようになった。
「ああ、おいしいね~」「食べ終わった!やったね!」「バンザイ、バンザイ!」とハッキリ。
何とうれしそうな笑顔だったか。
本当にこちらが驚かされる程の回復振りだった。
毎日、当たり前と思って食べている健康人には想像もつかないだろう。
食事を取るという、この行動がどれ程「生きていることの証」として大きな力になっているか、それは、私の考えなど遥かに超えていた。

(食べる事で愛し愛される人に)
私の尊敬する、料理家、辰巳房子さんは、食に関して非常に重要な発言をされていた。
「食べるということは、実は、常に絶え間ない刷新が行われていると言う事です」と。
それは、必要なものを食べることによって、「自分の生命の手ごたえ」を感じることが出来、それは、自分を信じることに繋がっていく。
自分を信じることが出来れば、あらゆる物事を信じることもできる。自分を信じ、人を信じる中で、真の揺るがない「希望」が生まれる。
その「希望」こそ人を愛したり、愛されたりという、人間にとっての土台になる。という趣旨の話だった。

(白米に真心を込めて)
まさに先述した全身不随の男性の食べることは、「生きていることの証」そのものなのだ。
病で苦しみ、ベットに寝たきりで、いつ治癒するかとも分からない日々の生活の中で、「食を奪われるということは、生きる希望そのものが無くなってしまうという事だったんだ」と私は、この番組を見ながら、母の言葉を思い出さずにはいられなかった。
健康な人には絶対に分からないことだろう。

食べることは呼吸と同等。無くてはならない行動だ。生きている証なのだから。
母が何も口に出来なかったとき、「真っ白なご飯が食べたいわ」と言っていたあの真っ直ぐな言葉を思い出して、今日も仏前にてんこ盛りの白ご飯をお供えした。
私の母との後悔の会話があったから、今度食べれない患者さんにお会いした時は、違った心で接していけると感謝しながら。

2009年10月8日(木)

Vol.45素晴らしいご夫婦

(闘いの始まり)
13歳で神経性胃炎、その後も胃炎を繰り返してきた千夏ちゃんが、我が鍼灸院に来られたのは今年2月18日だった。
始めて会った時から、「先生とは縁を感じる」「出会えて嬉しい」と言ってくれていた。
細身で色白、女優さんのように綺麗な人だった。ただひとつ気になったのは、眉間のしわ。
かなり心配性で怖がりのよう。自分でもちょっとしたことが気になり、ひとつの事をずっと考えてしまうタイプと。
食欲が無く、背中が痛むとの事だった。
検査の結果は、胆嚢ガン末期。医者からは後3ヶ月との宣告を受けた。
ガンとの壮絶な闘いが始まった。

(ご主人の情熱)
しばらくして往診に行かせて頂いた。
ご主人との初めての出会い。山のようなサプリメント、何十万もする漢方薬、ビタミンC療法、温熱療法、勿論抗がん剤等等、あらゆる方法でガン撃退のため、仕事も休まれ取り組んでおられた。
申し訳なかったが不必要なものは除去させていただいた。
彼女は「先生ありがとう、もう飲むものが多すぎて・・・・よかった!」と言っていた。
検査の結果を見るたび、ご主人は当然の事ながら一喜一憂されていたが、彼女の弱っていく姿に「先生の言うとおり、勇気を持って抗がん剤は中止します」と言われた。
ガン撃退に情熱を注がれてきたご主人にとって、これがどれ程の勇気だったか計り知れない。しかし、こちらに生命力があればガンに抵抗出来ることは必然なのだ。
むやみに闘う力を削いでしまってはガンに負けてしまう。我が師匠の教えだ。

(生命力は数値にでない)
今年45歳になったばかりの彼女。しっかりした高校生の娘さんと天真爛漫な小学生の息子さんがおられる。
彼女とご主人の要望で、出来る限り自宅で。病院へは通院しながらの治療とした。
自宅でガン患者さんを最後まで診るという事が、どれほど大変なことか、私も身を持って知っている。それも、様々な諸事情で、ご主人ひとりでの看護だった。
苦しむ姿を子供に見せたくない、其の前に自分が苦しいのは絶対嫌、最後は眠るように逝きたい。
正直なお二人の強い強い願望だった。
しかし、そんなに簡単に死を容認できるはずもない。また、する必要も無い。
どこまでも、生きる力こそが、生命力こそが大事なのだから。
彼女は、一切の医者の言葉を覆し、生きて生きて生き延びた。
そして生命力は数値に出ないことを証明してくれた。

(玄関の袋)
ある日、玄関に、袋に一杯詰まった空のアルコール瓶が置いてあった。
男性でありながら、ご主人の、このような献身的な看護は見たことが無いほど徹底していた。
いつも強気そうに振舞っていたご主人だったが、本当は子供たちよりも、誰よりも怖かったに違いない。
送られてくる数値の紙も、見れない時も有った。(見ない方がいいというか・・・)
規定量を越える安定剤とアルコールしかご主人を眠りにつかせる事は出来なかった。
ガンの嫌らしさは、じわじわと身体を蝕んでいくところだ。
大切な人が、愛する人が、目の前で徐々に弱っていく姿を見ることがどれ程過酷なことか。
胸を引き裂かれるとは本当にこの事だ。
患者さん本人は勿論のことだが、それ以上に周りの人の心痛と体力の消耗は計り知れない。
絶対に経験した人にしか分からない事だ。

(生命力、人智計りがたし)
彼女の生命力は、私もご主人も皆が驚くべきものだった。
何度も下血しても、また復活した。足が浮腫になってもまた細くなった。腹水が溜まったらガン性疼痛が無くなった。
せん妄症状が出てもまた正常に戻り息子に「宿題ちゃんとした?」と聞いていた。今日人生の中で一番美味しいメロン食べたのよと笑顔。眠ったと思ってご主人と話していたらパッと目を開けて「先生、全部聞いてましたよ」とにっこり。
9月30日のことだった。
亡くなる1週間前から殆ど尿も出なかったのに、自分で唇にリップクリームを塗ったり、お茶を飲んだり笑ったり、意思の疎通もしっかり出来た。ご主人を心配して「パパ大丈夫?」との言葉には、さすがのご主人も大泣き。すると、びっくりするほどしっかりした声で、「ありがとう、もう泣かないでね。大丈夫だから」と彼女の声。

(死を容認)
いつ頃だったか、ある日、彼女の顔を覗くと何とも清々しい晴れやかな顔があった。
いつもあった眉間のしわも無くなり、本当に穏やかな顔だった。
私は直感した。彼女は自分の死を受け入れたんだと。
その後、彼女とご主人は、涙を共に流しながら、二人の思い出、出会えたことへの感謝、今生の別れの無念さを語り合ったとのこと。
それでも、私たちは、一秒でも長く彼女が生を全う出来るように全力で看護、治療をさせて頂いた。
彼女は穏やかな顔で「鍼っていいな~」の言葉を残してくれた。病気の彼女から何か貫禄のような逞しさを感じた。

(10月3日お別れの瞬間)
午前の仕事が終わったらすぐ駆けつける予定だったが、今熟睡しているとの連絡を受け、夜に伺うことにした。
夜9時、到着したと同時に彼女が目を覚ました。
「先生、先生、」と二回呼んでくれ、昨日まで熱い熱いと騒いでいたとは思えない程、穏やかな時を持った。
手足が冷えてきたので、息子さんと娘さんに、「お母さんの手足を手で温めてあげて」と言った。
死がすぐ間近に迫っているというのに、部屋には何とも言えない穏やかな空気が漂っていた。

血圧測定不能、脈拍は24、皆で手足を擦ると40くらいまで上がった。
間もなく口呼吸が止り、彼女はす~っと静かに目を閉じた。
午後11時30分を指していた。
家族全員が見守る中、静かに眠るように・・・あまりにも美しい見事な旅立ちだった。
怖がりだった彼女が、癌を乗り越え、癌に打ち勝った姿だった。それは、ご主人、ご家族もがんと闘いきった勝利の姿でもあった。
ご主人は、「妻は先生が来るのを待ってたんですね」と。
そこに涙は無かった。

千夏ちゃん、8ヶ月間の素晴らしい出会いをありがとう。
また、どこかで会える日まで、ゆっくり休んでください。
あまりにも安らかな尊い最期・・・・心から感動しました。
沢山のことを教えてくれて、本当にありがとう。

最後に、世界一の素晴らしいお父さん、お母さんから生まれてきた、ももちゃん、けんちゃん、本当によく頑張ったね。
二人の成長をお母さんはずっと見ているよ。
そのことを忘れないで。

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