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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2010年7月28日(水)

Vol.54熱中症

(油断大敵!)
毎日の猛暑に、皆さんの「熱いですね~」の挨拶には本当に実感がこもっている。
7月19日以降の一週間で、9000人以上の人が熱中症のため救急車で搬送され、100人以上の人が熱さで命を落とされている。連日、熱中症対策が報道されているにも関わらずこのような状態とは。油断大敵、想像以上に身体はダメージを受けている。
39.4℃を記録した岐阜県での日差しは、聞くところによると刺すような痛さとの事。
熱風が吹いて来るらしい。地表の温度は50度以上になっている。
これは日本だけでなく世界中に起こっている現象だ。モスクワ近効では28箇所で森林火災。その煙により大気が汚染されスモッグが発生。市民はマスクを着用しているらしい。
この暑さは、チベット高気圧、6000メートル高気圧、太平洋高気圧などの3段重ね高気圧によるらしく、いわば、上から下まで高気圧に覆われている状態なのである。

(東洋医学での熱中症)
東洋医学では、熱中症のことを「中暑(ちゅうしょ)」といい、暑さに中(あたる)と読む。
また、中暑が酷くなったものを「傷暑(しょうしょ)」といい、暑さに傷られると表現する。
脱水症状で意識障害で亡くなる人はこの「傷暑」のためである。
初期症状は、人により様々だが、頭痛、ムカムカする、身体がだるい、食欲不振、などで熱中症と自分で気付かない人も多い。
最近、熱中症の初期症状で来院される患者さんが多くなっているが、ご本人は熱中症の自覚があまりないらしい。腹部の1本の鍼で、すっきりしましたと言ってくださる。
酷くなると、嘔吐したり頭がくらくらして立ってられなくなり、意識が混迷してくる。
熱中症で怖いのは、熱のため身体の中の水分が蒸発していくことだ。
高血圧や心筋梗塞、血栓ができやすい身体の人などはより注意が必要だ。
いかに身体の中に陰液(必要な水分)を吸収し潤いを保たせるかが鍵となる。

(熱中症にかかりやすい人)
亡くなった方は、やはり年齢が上の人が多い。それは、年齢がいくと水分の吸収や代謝能力が低下するためと考える。
例えば、切花でも切りたては水揚げもいいが、旧くなるといくら新しい水に変えても水揚げが悪くなるのと同じで、吸収力が低下する。よって、老人など津液(身体の水分)が不足していたり水分吸収がしにくい人、アトピーなどの熱疾患にかかっている人、過労や睡眠不足で身体が疲れている人等は熱中症になって当たり前と思っていいくらい注意をしなければならない。
自分の体質を知ってこそ、より注意ができ、ましてや死ななくても済むのにと悔やまれてならない。冷やしすぎても今度は脾胃や腸に負担をかけ下痢などが起こり体力を消耗しかねない。自分の身体のバランスを自分自身である程度とっていけるように自分の身体を知って欲しい。

(熱体質の人、気を付けて)
以下、丸が多い人ほど注意が必要。
1、60歳以上で血圧が高いほうだ。
2、普段から便秘傾向だ。
3、普段から野菜不足だ。
4、普段から肉食で油っこいものが好きだ。
5、よく化膿したりする体質だ。
6、普段から冷飲を好むほうだ。
7、普段から暑がりで汗が多いほうだ。
8、尿の色が濃い黄色だ。
9、最近暑くて食欲減退している。
10、普段からお酒かタバコを好む。
11、炎症や湿疹など痒みの疾患にかかった事がある。
12、普段から寝不足だ。
13、普段から口内炎ができやすい。
14、普段からイライラする事が多い。
15、最近、生理が早く来る(月2回など)
16、普段から目が充血しているほうだ。
17、夜足が異常にほてることがある。
18、普段から過食傾向だ。
19、舌が赤く乾燥している方だ。
20、排便時、肛門に灼熱感がある。

9と12番以外は全て熱傾向で、この夏身体の津液が不足しやすい傾向にあるといってよい。注意できる事は出来る限り実践して(野菜を多く取るなど)、疲れを溜めないように睡眠を十分にとり、バランスのいい食事に気を付けよう。
また、ヨーグルトや瓜系のもの(スイカ、きゅうり、冬瓜、メロンなど)、果物などは身体の熱を冷ますため普段から多く摂取するように。
また、梅干など塩分摂取も忘れずに。
そして、部屋の温度を30度以上にすることなく、保冷剤やアイスノン、水枕など使用して、賢明にこの酷暑を乗り越えていって欲しい。自然の猛威は人間の智恵を乗り越えられないと確信している。

2010年6月7日(月)

Vol.53苦しんだ人こそ幸せに

(ヘレンケラーと偉大な福島氏)
ヘレンケラー生誕100周年の同じ年、18歳で盲聾者となった福島智さんを、夜中うつらうつら見ていたテレビで始めて拝見した。思わず私は飛び起き、見入ってしまった。
ほんの少しの時間だったが「生きている事の意味を見出せばそれは絶望ではない」といった一言が深く心に残った。
福島さんは現在、東大の教授をされている。盲聾者の大学教授は世界初。
最近、新聞の広告で福島さんの著書「生きるって人とつながることだ!」が紹介されていたので早速購入し一気に読ませていただいた。
福島さんは、1962年神戸市生まれ。4歳で右眼を摘出し、9歳で完全失明、18歳で聴力も完全に失った。
当時、彼は「これから、どうやって生きていけばいいのだろう。私はまるで、暗黒で真空の宇宙空間に放り出されたような、そんな魂の凍りつくような孤独感に包まれていた」と振り返られている。
福島さんは、お母さんが生み出した「指点字」(他者が彼の手の甲に指で点字を書くというもの)で他者とのコミュニケーションをとられている。
そのご苦労は想像することすら出来ないが、彼は、本当に明るく驚くほどの楽観主義者である。人生を楽しく自他共のために最高に有意義に生きておられることが本の随所から伝わってくる。

(自然に豊かな人生)
彼の精神の核心を貫くような一文を見つけ心から感動をした。
「健常者と同等・互角に生きることは(たとえば行動力や生産性において)無理であっても、それが人生においてどれほどの意味を持つだろう。健常者と「同じ」に生活できることが目的なのではなく、盲聾者がそのハンディと共に自然に豊かな人生を送るためにこそ必要なのだと思う。障害の有無は、人生の豊かさとは独立した要因だ」との福島氏の言葉だ。
「障害の有無は人生の豊かさとは独立した要因」・・どれほどのつらさを越えて生命の根底から湧き出た言葉であるか。ひとりの人間の持つ無限の強さを感じてならない。

(身体から精神を緩和)
最近、私の鍼灸院に、摂食障害やうつ病、または、強烈な頭痛に何十年も悩まされる等の患者さんが多く来院される。その症状はどれも今に始まったものではない。患者さんは、身体の不調と比例して、ほとんど100%と言っていい程、そのバックボーンの一端を知れば、小さい時からの、または長年の様々な精神の葛藤を抱えている。まさに、長い間の精神の抑うつが身体の不調を引き起こしているのだ。
私は、そんな長年の精神の抑圧を緩和させるために、身体の面から鍼灸治療を施している。それが可能なのが本当の東洋医学の力だ。
実際、摂食障害の患者さんは、鍼をすると頭がすっきりするといわれる。
また別の摂食障害の患者さんを知る親戚の方が、何年ぶりに彼女の笑顔を見たでしょう!とその変化に驚かれている。

(発想の転換)
私は、問診をしながら、悩みと懸命に闘っておられる患者さんに対して、「偉いなぁ(強いなぁ)」と感じることが多い。
しかし、実際、患者さん達は、私の心とは裏腹に自分を責めてばかりおられる。自分を責めると可能性の芽が伸び伸びできなくなる。
福島氏とは、病の種類が違うかもしれないが、ここまで人間は強くなれるのだ、ということを、誰人も彼を通して知っていくべきではないかと感じる。
著書の中で福島氏は、「私は常に「他者」によって生かされてきた。中略・・本来、人が「他者によって生かされている」ことは誰にも共通していることであり、そのような人間の「もろさ」や「弱さ」の自覚が、他者への共感や優しさにつながると思うからである」と言われている。
卑下することも無く、傲慢にもなり得ない。この人間に対する厳しいまでの平等な精神に感銘する。
肉体的であれ、精神的であれ、そんな自分の力ではどうしようもない悩みや葛藤を持っている(持っていた)ことこそが、福島氏がいう「他者への共感」が本当に出来る人だと思えてならない。

(苦しみは使命の異名)
福島氏18歳、聴力が徐々に無くなっていく時、彼は実家のピアノの鍵盤に向かっていた。同じ鍵盤を叩いているのに、音程が変化していく。あのぞっとするような悲しげな響きは今も忘れられないと言われている。
その3ヵ月後、完全に聴力が無くなった。この3ヶ月の間に彼が友人に送った手紙(著書の中から)を最後に紹介したい。
「僕にもし生きるうえでの使命というものがあるなら、それは果たさねばならない。そして、それをなすことが必要ならば、この苦しみのときをくぐらねばならないだろう。僕の使命が、この苦しみがあって初めて成り立つものだ、と考えることにしよう」
もし自分が地に倒れたと思ったら、この言葉をつかんでその地からまた逞しく立ち上がっていきたい。誰人も立ち上がっていけると信じる。

2010年4月28日(水)

Vol.52生命力は自分の中に

(自然の驚異)
4月14日アイスランドのエイヤフィヤトラヨークト火山が大爆発した。
噴火の映像を見ると「地球も生きている」との感を強くする。
島の殆どが、火山と氷河で覆われているアイスランドでは、高温のマグマが氷河にぶつかって蒸気爆発するらしい。専門家によれば、今落ち着いているどころか、隣にあるもっと大きなカトラ火山もいつ爆発してもおかしくないとのことで油断は出来ないらしい。

それにしても、今回の爆発では、世界800万人に影響があり、航空業界では1日あたり約380億円の損失、総損失は約2800億円以上になるらしい。
アメリカテロを上回る損害との事。しかし、自然のなせる業、どうしようもない。
人間の小ささを時に自然は痛いほど教えてくれる。
しかし、また自然の驚異から人間の英知も磨かれ、いかに自然と共存していくかを模索していく切っ掛けになるに違いない。

(依正不二=環境と人間)
このように地球も生きている限り、人間と同じく様々な表情を見せてくれている。
仏法の言葉に「依正不二(えしょうふに)」といって地球環境(依報)と人間世界(正報)は二つであって二つでない(不二)と説かれている。
つまり、環境と人間は、切っても切れない密接な関係があり、この二つは根底では繋がっていると捉える。数年前、ニューヨークで大清掃運動が始まって町が綺麗になったら、犯罪数がうんと減少したとの報告があった。
人間の心と環境はつながっている証拠だ。自然を守っていこうとする本来の人間らしい心が、自然を守る行動になり、自然も人間もお互いに調和し守り合う結果を生む。当然のことなのだが・・・

(心身不二=精神と人間)
東洋医学でも、人間の精神と身体の関係は上記のように、不二で切ってもきれない密接な関係があることは数千年も前から言われている。
最近、パーキンソン病を患い手も足も震えが止まらない患者さんが来られている。
彼女のバックボーン、それは苦労の連続で今もなお様々な問題が山積している。
「心を乱すと震えがひどくなるでしょう?」と言うと、「そうなんです。でもいつも色んな事に振り回されてイライラしていつも心が乱れるんです。どうしたらいいのか?」と言われた。
パーキンソンだけでなくアトピーや様々な疾患もストレス(緊張)がかかると悪化する傾向が日常かなり多く見られる。
「入院して身動きできないご主人を思うと、あなたは美味しいものも食べられて、歩けて、話せて幸せですね」というと、「本当ですね、私、毎日毎日愚痴しか言ってなかった。感謝しないと・・・」と。

(プラス感謝)
「心が乱れる」ではなくて、「心を乱す」張本人は実は自分自身。
乱れた心に「プラス感謝」が入ると、停滞していた「気」が全身をめぐり出し、症状も加速度的に良くなっていくことは本当によく見られる事実だ。
このパーキンソンのご婦人もいっぺんに表情が変化した。
眉間の濃いしわが無くなり柔和に。この心の変化こそ、悪循環していた環境を、今度はいい循環に、幸せな循環に方向転換していく舵を握っている。

病気が不幸なのではなく、心が萎えていくことが悲しい。
病気は時に深い生き方を教えてくれ、味わったことの無い優しさをも感じさせてくれる時がある。病気をも人生の味方に。
どんな問題をもいい方向に舵を向けていけるのは、ひとえに本人の「生命力」にかかっているのではないか。環境をも変えていける自分の心(生命力)を沸き立たせて。

どんな人間にも、先日の火山の如く、すごい生命力があると信じてやまない。
その生命力を引き出すために、悪循環の方向転換を心身両面からさせて頂くために、臨床家として日々感性を磨いていきたい。
そのために、自然に感動し、人間に感動できる1日1日であり続けたい。

2010年3月1日(月)

Vol.51女子フィギュアと精神のバネ

(同じ人間)
冬季五輪の花形、日本をはじめ世界中の人々を魅了した女子フィギュアスケートの浅田真央とキムヨナ両選手。皆が二人の姿に両手を合わせ、我が事のように成功を祈り胸を高鳴らせた。
キム選手が浅田選手のすごさを認識し、「なぜ真央と同じ年に生まれてきたのか」と語っているほど、二人の縁は深く強い。
19歳とは思えない精神力と身体能力の高さは両選手とも天晴れだ。

私は、特に表彰式台でお互いを称えあい抱擁している姿に感動した。
演技の時以上に二人の顔が輝いて見えた。
キムヨナ選手の自叙伝に、この輝きの理由の一端を見つけた。
彼女は「よい競技が出来た時と、そうでない時の気持ちは誰より自分自身が知っている。人々は私たちにライバルという名を付けたが、私たちは同じフィギュアスケーターという同じ道を進む人間である」と述べている。
キム選手は誰より浅田選手の気持ちを理解し、その気持ちを全身全霊で抱擁したからこそ19歳とは思えない心の豊かさが輝きとなって表れたのだと感じた。
「同じ人間」・・・なんて謙虚で優しさが溢れた言葉だろう。

(精神のバネ)
我々も医療を施す側、そして、患者さんはそれを受ける側。
ともすれば、弱者に対して何かを施すというイメージだが、しかし、実際医療現場に立っていると患者さんは弱者どころか、その逞しい精神に尊敬の念をもって手を合わせたくなる事のほうが遥かに多い。

調子のいい時は、誰もが自分に自信と希望を持って進んでいける。
しかし、思っても見なかった悪いこと(病気も含めて)に遭遇したとき、自信と希望を失わずにいけるか否か。
ここに私は“精神のバネ”とも言うべき、その強弱の大切さを感じる。
倒れてもまた立ち上がっていける柔軟性のあるバネ。
身体は蝕まれていても、精神のバネがしっかりしている人は、病にさえ意味を見出し、同じ病で悩んでいる人の為にも頑張ろう、と希望の方向へ立ち上がっていける。
精神のバネが伸びきってしまっては、もうだめだ、もう無理だ、と立ち上がる意欲が出てこない。

(最年長の患者さん)
今月で101歳になる患者さんのSさん。先月転倒して左手首と左大腿骨を骨折され、現在リハビリ真っ只中だ。
車椅子に座って黙々と食事をされていたSさんに「美味しいですか?」と声をかけた。
「美味しいですよ」とにっこり。甘えも弱気も入り込む隙間の無いその言葉に、病院の食事ではもの足りないだろうと持参したお寿司を思わず引っ込めてしまった。
「お元気そうですね!」と言うと、「ありがとう、ありがとう、空元気よ~」かっかっかっと大笑。
「人には絶対迷惑をかけたくない、元気に退院する」との強い心を短い言葉から感じた。
101歳でもSさんは精神のバネがしっかりしている。
まったく愚痴が無いのだ。

(励ましは万の力)
では、そんな精神のバネを強くするにはどうすればいいのか?
患者さんから学んだ私の浅い考えでは、津波のように押し寄せる苦しいこと、つらいことを乗り越えた分、精神のバネは強くなるのでは・・・
「鉄(くろがね)は鍛え打てば剣(つるぎ)となる」との名言の如く。

そしてその波を乗り越えるために、絶対といっていいほど「励まし」が必要だと感じる。
励ましは、相手が病という大波に立ち向かっている姿を称え、尊敬していく精神からほとばしる言葉だとも感じる。
医療現場に立させてもらう人間は、病と闘う患者さんを尊敬し、励ましを送っていける存在であってこそ、「先生」と呼ばれるにふさわしいのかもしれない。

ともあれ、浅田選手は、「銀は次へのステップ!」と言っていた。
まさに強靭な精神のバネをもって既に大きく飛翔している一言だと感動を持って聞いた。

2010年2月13日(土)

Vol.50通じ合う気の不思議

(乗馬から学ぶ)
ここ1~2年、鍼灸の師匠に勧められ乗馬に挑戦している。
人間の体温より少し高い馬の温かさや、バランス感覚を養うなど、健康にはもってこいとの事。動物はかわいいものの、触れることが苦手な私にとって、この挑戦は決死の覚悟だった。
長~い顔に、ドデカイ目・・・最近やっと2人きり(馬と私)になっても怖さがなくなってきた。そんな矢先の夕食時、「はやく!」といわんばかりに馬が私の肩をがぶり!
草食動物なのであまり痛くはないものの・・・また数日前、おそるおそる馬に近づくと、いつもはおとなしい馬が、突然目をむいて振り向き、私を威嚇する。
馬は本来おとなしく、そして臆病な動物。
故に、特に敏感に人間の「心」、「気」を察知するのかもしれない。
再度、こわごわ横を通り過ぎた。また馬が威嚇。触ってもいないのに怖いと意識しただけで馬に完全に気持ちを読み取られてしまう。
怖いという「気」がこんなに通じてしまうなんて、ある面「すごいな~」と感心した。

(怖がるツボ)
治療現場でも時々こんなことがある。背中に鍼をしようと、鍼先を向けただけで患者さんのツボがビクッと動く時がある。
患者さんは下向きで寝ているので鍼を全く見ていない。
なのに、鍼を向けただけでツボが動くのだ。
これは、患者さんのストレス発散が全くできておらず過剰になり、神経過敏になり過ぎたため起こる。ツボもカチカチ、緩みが全く無くなった状態で、東洋医学では邪気(じゃき)が実(過剰)と表現する。
腹部を触ると大人なのに異常にくすぐったかったり、時には触れることすらできない人もいる。
日常でも、神経が立ちすぎてピリピリしている人の近くに寄っただけで、こっちまでぴりぴりしてしまう事があるように、邪気が盛んになり過ぎ、発散できていないと、このような反応を起こしたりする。
ツボがビクッと動くのは、その邪気が鍼を怖がって逃げている状態。といっても信じてもらえるかどうか。しかし、事実なのだ。よって、このような患者さんに鍼をする時は、のんびりゆっくりせず鍼先を初めはツボの方に向けず、素早く邪気を捕まえるように硬結したツボに鍼をするようにしている。邪気との戦いといっていい。
治療後、過敏な反応はまったく無くなり、患者さん自身が驚いている程だ。

(精神とツボのバランス)
ツボの状態は精神の状態と比例する。つまり、日常生活において、精神的にも余裕がなくイライラしがちな状態になっていると、ツボもカチカチに硬結してしまう。
また、カチカチに固まったツボを長く放置しておけば、今度は反対に弛緩(ゆるみ)の方に向かっていく場合がある。ツボが緩みすぎている人は、「正気」が弱っていると表現し、そんな人の側に寄ると、ヒヤッとして何かが吸い取られる感じがする。
このような「邪気が実」の反対は、「正気が虚」という。

硬すぎず、緩みすぎず、ツボにおいても全ては絶妙なバランスこそ重要と考える。
それは即、精神のバランスにも通じるからだ。
精神のバランスを崩しているからこそ、身体にその症状が表れる。心身不二だ。(心と身体は2つばらばらのものではなく、密接に繋がっているということ)
鬱症状や反対にイライラし過ぎになるなど精神のバランスを崩したときは、鍼灸で身体から治療していくと、自然と精神のバランスもとれていく。
それがよい方向に向かっているかどうかは、本人は基より、ひとつはツボにその状態を尋ねてみるとよく分かる。

(心持ちの大事)
いずれにしても、治療する側の精神状態のバランスがいかにとれているかはとても重要。
治療現場にいったん立ったなら、尚のこと。こちらの精神がぶれていたら患者さんの精神のブレ、身体のバランスの乱れを正確に受け止めることは到底できない。
鍼灸の師匠、藤本蓮風先生は、鍼を持って患者さんを診させて頂くときは、「心持ちの大事といって雑念、邪念のない素直な気持ちで接していきなさい」といつもいわれる。
例えば、「盗人が井戸に落ちかけた子供を見て、我を忘れて助ける。痛いと思うとき、知らず知らずのうちに痛むところに手がいっている。なんとか楽になってほしいという一念でわれを忘れて治療するとき、「何か」が出てくる」という。
また、その「何か」とは、「そのような心で接していくと、本来人間が持っている治療家の本来的自我(仏性)が輝く」といわれている。これは、師匠が著した「弁釈鍼道秘訣集」という、ある意味鍼灸の哲学書とも言うべき著作の中に書かれてあることだ。

こちらの人間的な精進が不可欠な東洋医学(すべての医療でもいえるのでは?)
まだまだ反省することばかり。心で思ったことが即、相手に通じてしまう(それは広くいえば、距離の近さ遠さも関係ないのでは)目には見えない気が通じてしまう、この不思議な事実を謙虚に受け止め、縁深き患者さんの元来持っている本来的自我=最高の人間性さえも光り輝いていくように、技術、人格ともに自分磨きを続けていきたい。
本来人間は完全無欠なものと捉える東洋医学の哲学を基盤において。

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