東洋医学の思想は、果てしなく深遠で魅力的。どこまでも興味が尽きない。
自然と身体と心は一体で、切っても切れない関係としている。
更に東洋思想は、人間の身体を小宇宙と捉え、未知なる宇宙をも包含している壮大な思想だ。
臨床において、この未知なる人間の内面に何処まで迫っていけるかを日々考えざるを得ない。
身体と心を切り離しては考えられないからこそ、鍼を媒介として術者の心も患者さんに通じてしまう。あまりにもストレートに。
また、心身共にバランスを崩している患者さんの、どんな精神状態にも、真の安心感を与えていけるか厳しく問われる。
それらは、ひとえに術者の技術にかかっている。
技術は、形あるものと無いものを含んでいるように思う。本当に奥深い。
先日、師匠、藤本蓮風先生がブログの中で、
「諦めてはいけない。(略)不可能を可能にする夢に生きる。毎日、患者さんに、病に、正面から取り組む。(略)諦めてはいけない。」(臨床というもの33抜粋)
また、「この行為を揺るぎない真実に導くには理論と論理が不可欠。」(臨床というもの31抜粋)と言われていた。
臨床50年を経てこられた師匠の一言一言が目の前に迫ってくる。
この両方の言葉を日々忘れずに精進したい。
ここ数ヶ月、様々な方が書かれた精神疾患に関する本を乱読している。週2~3冊の勢いで。
患者さんにも周りにも余りにも多い現代病ともいえる疾患故、避けて通れないと感じて。
読み進めてるうち、私も含めて大なり小なり、略全員が罹患していると思ってしまったから面白い。
他人事では無かったという…(勿論、入院や通院が必要不必要などの違いはあるけれど)
持って生まれた資質、環境、出会い、社会状況等々原因は複雑に絡み合っているものの。
今日、其れらの本の中でも統合失調症についての本を手にした。すると、数ページの所で、涙が出てきそうで読めなくなり本を閉じてしまった。
その上、そこで紹介されていた懐かしい曲、レッド・ツェッペリンの『天国への階段』をYouTubeで聞こうとしたら、丁度、有線放送から流れてきたという偶然。ちょっと驚いた。
涙は、五年前に亡くなった私の双子の兄を思い出したからかも知れない。彼は統合失調症だった。
私は心理学を勉強する前から所謂、統合失調症がどの様な病かを彼を通して何十年も見てきている。
双子の為か、何故か不思議な言動も理解?は正直できないものの、違和感無く受け入れられるばかりか、そこに怖い程の純粋さをずっと感じてきた。
兄は、常に私にとって笑いと感動を与えてくれ、ある意味尊敬の対象だった。(勿論、大変な疾患なので罹患しない、未然に防ぐ事がいいに決まってるが)
今日途中で読めなくなった本の著者も、統合失調症患者さんに対して全く私と同じ感情を抱いておられた。
私の心の琴線がそこにタッチしたのだと思う。
隠れうつ、アスペルガー症候群等等、色々病名は付けられるものの、人間は本来あまりにも純粋故に、高等動物である程、益々増えていくだろうこれらの疾患だと予測出来る。
この疾患をどう捉えるかが、今後の大きな課題と考える。
昨年11月から書き始めた「Written by」の詩も写真も今日で丁度、200編になりました。
毎月のアクセス数は約2万。
最近は毎日1000以上のアクセス数を更新してます。
私自身がこの反響に本当に驚いている程です。
こんな拙い詩を毎日読んでくださる貴方と貴女にどれ程感謝したらいいのでしょうか。
本当にありがとうございます。
亡き母の誕生日に100編記念の詩集を発刊してから特に、様々な感想を頂いております。
耳に入ってくるのはいい反響ばかりで恐縮ですが、涙が出て止まらない、小さな事が馬鹿らしくなってくる、何か不思議な香りがする詩、優しくなれる等等、嬉しいお言葉を頂いています。
おひとり、書いてる事は本当の思いですか?とシビアに尋ねられました。本当ですよ。と答えてもチョット信じてもらえず。
では、今日本当の事をいいますが、本当はもっともっと表現したい気持ちに溢れています。200編の詩は全て私の心の一部分です。偽りは書く事が出来ないですね。
そして、書けば書くほど、人や自然を愛する心が更に溢れてきてます。この溢れる思いをもっと表現したい。
全公開ですので、あまり過激に表現するとどうかなという、ためらいもあって、もっと過激な?思いは違う場所に封印してます。時々封印をときましょうか?
たまにそうします。
時々、自分自身の熱を自分で持て余す程です。だから、こうして書いて熱を冷ましてる様な気がしてます。
何処まで続くか分かりませんが、そのうち書かなくなると思います。それまで、どうぞお付き合いください。
どんな気持ちで読んで下さっても嬉しいです。
もう少しだけ表現しようと思います。
皆さんの心の滋養に少しでもなりますように…
最近、私と一緒に働いてくれている若手スタッフに新しい挑戦を提案した。
少し遠方の患者さんが会場を提供するので、是非往診をお願いしたいとの事。
月二回の往診のうち、一回をスタッフだけで行ってもらう事にした。
事前事後の打ち合わせをしっかりすれば、毎日毎日共に学んでいる同志として、任せられるとの確信と、苦労して貰いたい=成長して欲しい、との思いから始めることにした。
初めての往診から帰ってきた2人を出迎えた。
2人とも何とも爽やかな顔。
頑張ってきたのだと安堵した。
初回、6人の患者さんを2人で施術。翌日、患者さんお一人お一人の報告会を行なった。
中々、素晴らしい報告会になった。配穴は勿論大丈夫。
何より良かったのは、治療を通して自分を見つめられた事。
そして、普段話さない事を患者さんから引き出してくれていた。
そこから、患者さんの心理状態と、こちらの対応の仕方などを皆で検討。
話し合う事で私自信がとても勉強になった。
疑問に感じていた事が一気に解決した。感謝。
2人の誠実なスタッフ、切磋琢磨し合って、お互いに素晴らしい臨床家に成長したい。
人との縁というのは本当に不思議で不思議でワクワクしてくるもの。
この仕事に就いてからか、私の内面=精神が耕かされていくのを日々実感しています。これは、患者さんのお陰としか言いようがないのですが。
でも、反面困ったことに、内面=精神が耕かされるほど、本来の強い感受性が益々強くなっていくようで。
感受性が強くなればなる程、相手の深層(相手も気づいてない部分=魂)の部分まで感じてしまう時があります。
それに困るというのは、少し感じ過ぎて過興奮によって疲れる事が稀にあります。
今までの体験から、澄みきった魂には、自然と涙が出てきます。
かなり遠くからでも、身近でも濁っていると、私にバリアが張られる感じがするのです。魂の澄んでる濁ってるは、私の涙とバリアによって判断されてるもので、かなり勝手ですが。
最近、私の周りには男女問わず
私の内面を耕かせてくれる、不思議な縁で繋がってる人達が、様々な角度から集まってきています。
皆、出会うべくして出会ってるとしか言いようがありません。
昨日も不思議な縁を感じる患者さんがこられました。
今大きな責任と使命を感じています。
これもきっと通過しなければ多くの人を救えないと、
見えない何かが私を揺さぶっている…そんな気がしてならないのですが。
師匠の「心と身体と魂の救済を目指す」との理念は、私の後半生、大きな意味をもっていく。その覚悟を決めようかと最近特に思っています。