素晴らしい先輩達に育てて頂いた思い出は数え切れない。何気ない一言に内面を見抜かれて檄を飛ばされた事、一緒に笑って泣いて、一緒にお風呂に入って行動を共にして下さった。時には、先輩の良いと所と悪いとこ両方見た方がいいよと言われ、先輩の悩みまで打ち明けて下さった事も。
まさに20代は手塩に掛けられて育ってきた。
今、人を育てる事の難しさと重要性をひしひしと感じている。。
私の人を育てる事の考えの一端は、
第一に、人材を探し出すこちらの眼が重要。
第二に、人を愛する心がこちらにあるかどうか。
第三に、愛しながらも人を客観的に見る冷静な眼を持つこと。
結局相手ではないかなと感じてしまう。
今、桜が満開を迎えている。先輩がかつて私に、桜は咲きたいと思って咲いてる、でも、春が来て温暖にという条件が調わないと咲かないもの。人も同じで、成長したいとの思いと、成長させたいとの両者があって初めて桜のように満開になると語られた。
でも、人を育てると言っても、そんな奥がましい事でなくて、自分自身が生き生きと、好奇心一杯日々ワクワクして、何歳になっても輝き成長してる事が一番大事なことなのかもと最近は感じる。
昨日、志を同じくする鍼灸師仲間が集って研修会が開かれた。
夏季研修会に向けてどのように後進の鍼灸師に伝えていくかをポイントにした勉強会だった。中心は体表観察。内臓の異常が体表(身体にあるツボや皮膚、舌、脈、顔色等の事)に現れる論に重点がおかれた。
我が鍼灸グループの理念のひとつに、「東洋医学における身体と心、魂の救済を目指す」とある。人間の深層、魂の領域までを常々考え感じていこうとするメンバーと鍼を互いにする事の愉しさは格別だった。
いつも鍼をする立場の私が体表観察や鍼を受けると、様々な事が発見でき、手技を越えて見えるものが大きい。
ツボの触れ方、脈の取り方などなど、身体に触れる事の怖さと重要さをいつも感じる。
今回、ある先生に脈をとられただけで、まず心が驚くほど安定し、安心感に満たされた。多分、その先生の意識を超えた魂の部分と、私の魂が感応したのだと直感した。インパクトの大きい体験だった。
体表に触れる事、師匠はその魂の根本は「愛」と表現された。
愛を患者さんは、我々を通じて確実に感じておられる。
気負い無くありのまま、魂から滲み出てくる愛こそ本物と信じて精進したい。
母の時代からの患者さんが2月25日朝亡くなられた。
秋田県出身、秋田美人の代表の様に美しい方。
シワもシミも殆ど無く、白い髪は薄い紫色に染めておられ、真っ白な肌に頬は薄っすらピンク色。
本当に綺麗好きで、節約家。ティッシュ一枚使うのもきちんと折り畳んで両面を使われてた。若い頃は看護師として活躍され、その後、和裁で家計を助けておられた。
関西の生活の方が長いのにず~ず~弁は健在。このお陰で随分馬鹿にされたと大笑されていた。
鍼灸治療をして40年近く。親子二代で診させて頂いた。
口癖は、「一生死にたくない。働きたい!」だった。そして、「もし死んでも心はずっと続くからね」と、永遠の生命観にたった発言をよくされていた。
私は彼女から愚痴を聞いた事が無い。最後の最後まで「ありがとう、ありがとう」と感謝の言葉しかなかった。
ご自分でもいつ逝かれたか多分わからない程眠るように安らかで、お顔を拝見してその美しさに感動して涙が溢れ出る程だった。
年齢がいく程、心根がその人の顔に出ると言われる。
まさしく綺麗な心のままに生き抜かれた方。
そこにはどれ程の努力と忍耐があったのか、想像して深く合掌させて頂いた。
どの様な人か推し量るひとつに「眼」を挙げたい。
やはり皆、仕事をしている時の眼は真剣でそれなりに魅力を感じる。
昨年、胸がグンと高鳴るような眼の人をメディアで知った。
ニューヨーク在住のアートディレクターの石岡瑛子さん。
彼女の仕事中の眼差しに釘づけになった。年齢を感じさせない魅力を感じた。
それも恐れ多いが、亡き母の雰囲気そのままで、特に眼差しがそっくりだった。
一度、ニューヨークに行く機会があれば訪ねて行きたいと思った程、印象に残る方だった。
先月末、彼女が73歳で膵臓がんで他界された事を知り驚いた。母とほぼ同じ年齢、同じ病だった。妥協を許さない真剣勝負の眼に、その御苦労が偲ばれた。
自分で仕事中の眼は見る事はできない。それでも、患者さんとは眼と眼がしょっ中合う。
患者さんが私を見る眼は、真っ直ぐで真剣そのもの。
いつもそんな正直な眼に応えていきたいと思いながら脈をとらせて頂いてる。
将来、石岡さんのように胸が高鳴ると言ってもらえる様な眼になることを目標に…
ご冥福を心から祈りたい。
今日、見たことの無いような大きな虹が空いっぱいに広がっていた。
ちょうどYさんの告別式に向かう途中のことだった。
昨年9月、Yさんの奥さんから悲壮な声のお電話を頂いた。
医者から癌末期でホスピスへ行くようにとの指示だった。
あれから自宅へ帰って鍼灸治療をしましょうと提案させて頂いた。
この三ヶ月半、どれほど壮絶な命のドラマがあったか、人間の本当の尊さを目の当たりにした毎日だった。
Yさんはどれほど辛くても奥さんを見つめて「かわいそうで、かわいそうで」といつも呟かれていた。
12月半ば頃、今日は先生に質問があります。「もう、死んでもいいですか?」と聞かれた。
私は、「一秒生きることがどれ程貴いことでしょうか。生きて生きて生き抜いて下さい。自分の為に、奥さんの為に。」とお応えした。
Yさんは、「本当に心に染みます。分かりました。」と笑顔を見せて下さった。
Yさんは、痛みもなく、会話もでき、バイタルサインも問題が無かった。亡くなる数日前、私はガン克服宣言をしましょうと提案した。皆んな笑顔になった。
亡くなられる前日、改めて言いたいことがありますと、真顔で「先生、本当にありがとうございました。」と心に刺さる一言を頂いた。
翌朝、静脈瘤が破裂して大量の吐血。なのに、その後、意識もしっかり会話も可能だった。夜、9時半に再度伺ったと同時に、奥さんに手を握られながら本当に静かに眠るように逝かれた。12月30日は忘れられない日になった。
ガンと最後の最後まで闘い抜かれた御姿。だから今日の虹のようにきっとYさんの生命は晴れやかだったのではと感じた。今日のお顔がそう語っていた。
Yさんご夫婦、一緒に走ってくれたスタッフ、そして誰よりもいつもご指導頂き見守って下さった師匠に感謝しかない。