医療に携わる者が一番大切にしないといけない事は何か。
それは、相手の立場に立てるかどうかではないか。
今、癌末期の方の往診治療に行かせて頂いている。
9月から自宅に戻り現在に至るまで、見違える程お元気になられた。
真っ白だった髪と眉は黒くなり、顔色も良く、眼に光が出てきた。
「強い抗癌剤で一気に10年老けたんです」との奥様の言葉が「15年程若返りました」に変わった。
そんな中、訪問医は来る度に、病状をご夫婦に懇切丁寧に説明して帰る。病状をそのまま伝えるのが医者の仕事なのか!
医者の一言一言に生きる気力を失いかけるお二人。
容赦なく追い討ちをかける医者の言葉に怒りが湧いてくる。
私の鍼灸の師匠、藤本蓮風先生は今、ブログの中で「身体と心と魂」について書いて下さっている。
「心」、そしてもっと心の深い部分の「魂」の領域まで、身体はつながっている。
身体しか見ていない医者の何と増えたことか。
身体と心、魂はつながっているとはっきり自覚してこそ、患者さんの前に立つ資格があるのではないかと感じる。
人が亡くなった時、「心の中に生きている」とか、「魂は死んでない」「ずっと残った人を見守っている」など様々いわれる。
実際、その通り亡くなった人は、大事な人の中で本当に生き続けている事を実感する。
今日で母が亡くなってまる7年が経つ。鍼灸を愛し、実践し続けて50年。
母が亡くなった11月には、毎年毎年、不思議な事がたくさん起こり本当に驚いている。
そのひとつに、三回忌の11月、7回忌の11月と節目節目に一日71人の患者さんが来て下さる。
まる7年目の昨日も患者さんがピッタリ71人来院された。母が亡くなったのは丁度71歳。不思議な一致は偶然とは思えない。
また、母の下で11年間手伝っていた私は、言わなければ私達が親子ということに気づかないほど特に似ているわけでもなかった。
それが、母が亡くなり私が始めてからは一変した。
母を知る多くの人に、恐いほど私は和先生に似ていると驚かれる。
声、間のとり方、触り方、話し方、カーテンの開け方まで・・・・昨年も、遠方から母を知る男性が来て下さった。男性が寝ているブースに入ると、その方は目頭を押さえて嗚咽されていた。どうされましたか?と尋ねると、あなたの声が和先生と同じで、そこに生きておられるようで・・・と懐かしんで涙されていた。
母を知る懐かしい患者さんが揃って訪れるのは11月。待合室は母の話題で賑やかになる。本当に不思議な月。
何年経っても母のために沢山のお花が届いたり、懐かしんで来院されたり、反対に悲しすぎて今もここに近寄れなかったり、と母は亡くなっても最高に幸せ者だと毎年感じる。
ひとつだけ母の時と違う事は、私の代になってガンの患者さんが多く来院されるようになったという事。
ガンで亡くなった母が身をもって残してくれた7年前の思いは、私の中で一生消える事のない毎日だった。
昨日のことの様に私の命に刻まれてしまっている。
母はここに生きていると実感してならない。私にちゃんと大きな課題を残して。
ここ、私の命の中で生き続けている母・・・今度は本当にどこかで、また母に出会った時は褒めてもらえる様に今日からまた技術も精神も共に磨いていきたい。
「あの患者さんどうしてるかな?」と心に思うと、その方からお電話が入る事がよくある。心で思っているとばったり出会ったりと、誰もが経験する所だ。
以心伝心―元々、禅からきた言葉らしく、文字や言葉で表されない仏法の真髄を師から弟子の心に伝える事を意味したらしい。
先月、ある方からお電話があった。名前を聞いても直ぐには分からず、お声を聞いてやっと思い出した。その方は、友人の親しい先輩で、8年程前に皆で食事をしたきり音信不通になっていた。その方も、私が何処で鍼灸をしているのかも、していないかも分からない状態だったらしい。
地獄の底にいた時、何故か私が心に浮かんできて。と、調べてお電話下さった。
その方のご主人は多発性肝臓癌から仙骨に転移。全く歩けない状態だった。
医者からは余命を宣告され、病院も出される事になっていた。
すぐに駆けつけた。相談の末、自宅に戻って鍼灸治療することを決意された。
現在、私の鍼灸の師藤本蓮風先生にアドバイスを頂きながら、治療を進めている。かなりの効果をあげ喜んで頂いている。何より絶対の信頼を寄せて下さっている。
こちらが感謝しなければならないほどだ。
その方にとっても、私にとっても、お互いに縁をしたという事実。本当に意味が深いと考えざるを得ない。
全身全霊共に生きて行きたいと心に誓う。
闘いはこれからだから。
週末、通信教育スクーリングで東京は八王子の大学へ向かった。ここは、私の命のリセットの場所。
緑に囲まれたキャンパスで懐しい友人達との再会。
疲れが一変に吹き飛んだ。
授業が終わったら、皆と始まる本音トーク。年齢もバラバラ。
なのに笑ったり、泣いたり本当に元気を満タンに貰える。ただただ感謝。
二日間の「日本教育史」の授業の中で、昭和4年生まれのご婦人が、戦争の体験を語ってくださった。「戦争そのものより、敵が攻めてくる事より、怖い事がありました」と。
そのご婦人のお父様は、背が低かったため戦争には行かず地域の人達を助けておられた。お父様は、空襲で焼けた家々を皆でバケツリレーする毎日に、こんなことをして、何の役に立つのかと戦争に反対。この発言が特攻警察の耳に入り、友人と共に連行される。
「しばらくして父は、友人をおぶって帰って来ました。その方は、父の背中で亡くなっていました」と。拷問だった。
80歳を超えられても尚、学ばれる御姿と、その凛とされたお声に思わず落涙してしまった。
一方、20代の若い女性が韓国留学中に友人から、「憎み合ってても、何の解決にもならない。次の時代を一緒に作っていこう」と言われ、真の韓日友好を実現していくと熱く語っていた。
日本のこれからの教育はどこに向かっていくのか、様々考える事が多い二日間だった。
学びは、考える機会を多く与えてくれる。
教育と私の今携わっている仕事はあまりにも密接。
善良な庶民の為に政治があり、苦しむ人の為に医者がいる。この当たり前が、逆転している所に私の怒りはある。
この休日、世界的建築家、安藤忠雄さんの地中美術館で有名な、香川県は直島に行って来た。
昔ながらの家々、懐しい路地裏、手つかずの山々の緑、色とりどりの小さな花達…
以前、私のところで勤めていた女性が、この直島に魅了され開業したところ。
彼女もまた生き生きと輝いていた。
瀬戸内海には静かな美しさがあり、時間がゆったり流れているようだった。
同時に、沢山の若者達も観光に訪れ、エネルギーに満ち溢れていた。
静と動の見事な調和。人間と自然の融合。本当に素晴らしい島だった。
今日、鍼灸の師、藤本蓮風先生が講義の中で、『無為自然』と、『練達自然』の話に触れられた。修行を積んだその先に、真の無為自然があるとの大切な話だった。
我々の修行は、鍼の技術と、鍼を持つ自分の精神の修行。
「心の癖、心を修正していく事だ。それもワクワクしながら愉しくやるんだよ」と言われた。
修行の場所。それは、「逃げることの出来ない毎日の現実生活の中しかない、逃げられないから訓練になるんだ」と。全く同感だった。
改めて、人生の中でやるべき使命のために、真の無為自然を体得する為に、希望に向かって修行を積む事を決意した。
こんなに素晴らしい鍼の世界。縁のある人々と共に、感動し合いたいとの衝動が心の奥底から湧いてくる。