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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2012年6月30日(土)

Vol.96スタッフの脚

東洋医学を学んでいると、ツボの反応を診るのは当然の事として、人の服装、色調、髪型、仕草、立ち方、歩き方、字体まで自然と目に付く様になってくる。

この医学では、何度も言うように心と身体、魂の領域まで繋がっていると考える。
つまり、大きくいえば体表から魂に至るまで一本に繋がっていると捉える。故に、その人の内面は目に見える所に必ず現れるもの。

特に最近、人の動作に注目してしまう。よく師匠が相手の真似をすると、どの様に痛んでいるか分かるぞ、足の悪い人が来られたら同じ様に歩いてみるといいと言われる。

また、師匠は、患者さんは勿論、弟子たちの立ち居振る舞いも何気に観察している。男っぽいか女性っぽいか等の大きなカテゴリーから、ゴミの拾い方にいたるまで観察し、その人自身を感じておられる。人間観察の達人らしく。

私の院には、彼等のブログでも紹介しているように、若手の男女スタッフが働いてくれている。
何も言わずとも、患者さんに対する配慮は大したもので、感謝の声も多く嬉しく思っている。

そんな彼等の私の注目場所は、足(脚)。脚に注目すると、男性スタッフは何処かしら女性っぽく、女性スタッフは何処かしら男性っぽい。今日も正座と立て膝だったし。

男性スタッフの松本が、最近ブログを更新。(ご覧あれ)
コウノトリの里に行った時、コウノトリの巣の上で鳥になりきっていた写真を公開した。
私はこの写真を見て笑いが止まらず。ある鍼灸師は、これは卵を産んでる姿だ、と。(爆笑+納得)

2人の脚をはじめとする動作から、男性スタッフは「男中の女」、女性スタッフは「女中の男」かなと。

職場での私にとっては、これはありがたい事で、男性としての威圧感は無く、女性もテキパキして、バランスがとれていると感じている。

自分の事はさて置き、何気に人の挙動を観察すると、様々な発見がある。

2012年6月23日(土)

Vol.95特殊能力

普通は見えないものが見えたり、動かないものが動いたり、予言が悉く的中したり、世の中には、本当?って思う現象を語る人がおられる。
実際にその事は嘘で無い。現実にある。

特に心身一如とする東洋医学においては、人間の内面を深く追求せざるを得ないので、多少はスピリチュアル的な感覚が鋭くなってくるが、どこまでも理論プラス感性を磨く事を重視している。

実際、私自身にはその様な所謂、特殊能力などさらさら無く、極たまに夢が正夢になったりするくらいで人並みの感覚でしかないし、持ちたいという願望もない。

東洋医学では、この様な特殊能力は、肝の臓と、特に本能、感覚を主る肺の臓に何らかの偏りがあるためとする説もある。
実際その様な患者さんに接するとそれらの臓のツボに強い(実際は弱い)反応を示しておられる。

それはそれとして、昨日読んだ尊敬する臨床心理学者の河合隼雄先生の著書には、非常に考えさせられた。

まず、先生は「源氏物語」の中にある超自然性、怨霊とか…について、「あんなのは全く現実だと思う」と断言されている。

そして、精神病の患者さんに、冗談半分で「あなたは絶対治らないだろう」と言いながら、しかし、「偶然ということがあるから、僕はそれに賭けているからやりましょう」と言う。
実際に皆が信じられない様な偶然が起こって治癒していくらしい。
「その現実を語れば、皆がそれはおかしいおかしいと信じない。皆が「現実はこうあるべきだ」という、ものすごくけったいなことを信じているのですよね」と先生は言われる。

そして、先生は、「ぼくは何をしているかというと、偶然待ちの商売をしているのです。みんな偶然を待つ力がないから、何か必然的な方法で治そうとして、全部失敗するのです。僕はなおそうとなんかせずに、ただずっと偶然を待っているのです。」と言われていた。

私の中では河合隼雄先生故に、これらの発言はある面カルチャーショックだったし、反面、先生に対するひとつの謎が解決した様だった。

その謎というのは、かなり前の何かの対談で、河合隼雄先生は、どの様な暴言や脅しを執拗に大声でかけてくる患者さんに対しても、一切心が動かないと言われていた事だった。

動かないというのは、本当に動かない事で、自分が強いとか、冷たいとかでは勿論無くて、ご自分の主観が一切入らない、そのままの患者さんを感じていくというような意味だった。私はこの一言から河合隼雄先生という方に非常に深く興味を抱いた。

河合先生ほど、人間を愛し人間を知悉しておられた型破りな臨床心理学者はおられないと思うし、先生からすれば普通の事、私からすれば特殊能力を持たれた方と言いたくなるような偉大な先生だった。

何が普通で何が異常なのかもう一度考えてみたくなった。

2012年6月20日(水)

Vol.94師匠の手

昨日、毎週行われる鍼灸の勉強会「火曜会」での事。
師匠から、今日は手の原穴診(げんけつしん)をするから、モデルになるようにと指示があった。

原穴診は「体表観察」のひとつで、東洋医学において、臓腑を含めた臓腑機能の異常な状態を診るのに優れている。

共に学ぶ火曜会メンバー約20名全員が、順番に両手各六箇所の原穴を触っていく。

色んな手、色んな気(迫)、色んな触り方、色んな感情に至るまで、触られている方はビンビン感じてしまう。一度にこんな沢山の感覚を味わえて、とても勉強になった。
(この動画は「鍼狂人の独り言」で後日放映予定)

反面、触られ過ぎてバランスが崩れていく感覚も味わう。心小腸経ラインがズキズキと痛くなって、最後にはお臍周辺に動悸が打ってきた。

途中、師匠の質問に、お腹が今朝から少し緩いですと答えると、足のツボを触られた。
すると、珍しく「難しいなぁ~」との師匠の言葉。
「あ、触られ過ぎて狂ったな!」と言われ、両手の労宮(掌)で同時に私の小腸経ラインを覆われた。

何ともあったかい、ほわっとした柔らかい手。
片方ずつ、圧のかけ方も微妙な動かし方も違っていて、たった数十秒だったのに、あっという間に左右上下バランスを調整されてしまった。

その直後、足のツボにハッキリ反応が現れたよう。

師匠の手、治療を普段から受けてはいるものの…
約60万人の病める方を診てこられた師匠の手。
何十年もかけて作ってこられた手。涙が出るような手だった。

昨日は、将来本当に目指すべき「癒しの手」が、私の生命に刻まれた一日になった。

2012年6月13日(水)

Vol.93臨床現場で

東洋医学の思想は、果てしなく深遠で魅力的。どこまでも興味が尽きない。

自然と身体と心は一体で、切っても切れない関係としている。
更に東洋思想は、人間の身体を小宇宙と捉え、未知なる宇宙をも包含している壮大な思想だ。

臨床において、この未知なる人間の内面に何処まで迫っていけるかを日々考えざるを得ない。

身体と心を切り離しては考えられないからこそ、鍼を媒介として術者の心も患者さんに通じてしまう。あまりにもストレートに。

また、心身共にバランスを崩している患者さんの、どんな精神状態にも、真の安心感を与えていけるか厳しく問われる。

それらは、ひとえに術者の技術にかかっている。
技術は、形あるものと無いものを含んでいるように思う。本当に奥深い。

先日、師匠、藤本蓮風先生がブログの中で、
「諦めてはいけない。(略)不可能を可能にする夢に生きる。毎日、患者さんに、病に、正面から取り組む。(略)諦めてはいけない。」(臨床というもの33抜粋)
また、「この行為を揺るぎない真実に導くには理論と論理が不可欠。」(臨床というもの31抜粋)と言われていた。

臨床50年を経てこられた師匠の一言一言が目の前に迫ってくる。
この両方の言葉を日々忘れずに精進したい。

2012年6月6日(水)

Vol.92精神疾患を考える

ここ数ヶ月、様々な方が書かれた精神疾患に関する本を乱読している。週2~3冊の勢いで。
患者さんにも周りにも余りにも多い現代病ともいえる疾患故、避けて通れないと感じて。

読み進めてるうち、私も含めて大なり小なり、略全員が罹患していると思ってしまったから面白い。
他人事では無かったという…(勿論、入院や通院が必要不必要などの違いはあるけれど)
持って生まれた資質、環境、出会い、社会状況等々原因は複雑に絡み合っているものの。

今日、其れらの本の中でも統合失調症についての本を手にした。すると、数ページの所で、涙が出てきそうで読めなくなり本を閉じてしまった。
その上、そこで紹介されていた懐かしい曲、レッド・ツェッペリンの『天国への階段』をYouTubeで聞こうとしたら、丁度、有線放送から流れてきたという偶然。ちょっと驚いた。

涙は、五年前に亡くなった私の双子の兄を思い出したからかも知れない。彼は統合失調症だった。
私は心理学を勉強する前から所謂、統合失調症がどの様な病かを彼を通して何十年も見てきている。

双子の為か、何故か不思議な言動も理解?は正直できないものの、違和感無く受け入れられるばかりか、そこに怖い程の純粋さをずっと感じてきた。

兄は、常に私にとって笑いと感動を与えてくれ、ある意味尊敬の対象だった。(勿論、大変な疾患なので罹患しない、未然に防ぐ事がいいに決まってるが)

今日途中で読めなくなった本の著者も、統合失調症患者さんに対して全く私と同じ感情を抱いておられた。
私の心の琴線がそこにタッチしたのだと思う。

隠れうつ、アスペルガー症候群等等、色々病名は付けられるものの、人間は本来あまりにも純粋故に、高等動物である程、益々増えていくだろうこれらの疾患だと予測出来る。

この疾患をどう捉えるかが、今後の大きな課題と考える。

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