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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2012年12月25日(火)

Vol.118土地柄を考える

先日、東京での研修会に参加。そこで問診(医療面接)についての講義を受け、改めて新宿という土地柄に興味を深くした。講師は竹下有先生。現在、新宿駅前にて開業されている。

新宿駅周辺は誰もが知る日本有数の繁華街でその集客人数は日本一。新宿駅の一日の利用者数は世界一でギネスにも認定されているらしい。

先生がこんな新宿の話をされたわけではなく、講義の中で、その土地で生きておられる患者さんと先生とのやりとりが非常に面白く、思わず土地柄について考えさせられた。

その土地には柄があるもの。私の院は、神戸と大阪の丁度真ん中。患者さんが神戸の人か大阪の人かは結構直ぐに分かってしまう。勿論大雑把に。
そこに生きる人々の情念というか…それぞれの土地は、そこに住む人達が発する喜怒哀楽の吹き溜まりになり、その土地特有の傾向性を作っていく。

庶民的な土地、さっぱりとした土地等々。そして人は無意識に自分にあった土地を選んでそこに根を張っていく。何処に住むかはその人を知る上でもチョット参考になる。

新宿は大都会。希薄な人間関係の中にも人の温かさとエネルギーを感じる。人との繋がりが淡白だからこそ湧いてくる温かさかもしれない。反する程にエネルギーが強くなるように。

自分の土地、西宮はどんな柄なのか。案外、あっさりしている町。だからこそ自分の熱さとのバランスを保っているように感じる。

2012年12月19日(水)

Vol.117気とのお付き合い

よく患者さんから「ここに居ると気が休まります」と嬉しいお言葉を頂く。何かゆっくりした気が流れているのだろう。
「気が休まる」の他にも、気を抜く、気が滅入る、気が強い弱いなどなど、気の付く言葉は日常多く使われる。私達の仕事はある面、患者さんの気を感じるスペシャリストであるかもしれない。

患者さんからは、日々様々な気が発信されてくる。ピリピリした気、荒々しい気、不安で一杯な気、意気消沈した気等々。それは、話さなくても身体全体から発している。むしろ話さない方が分かる場合がある。

そこで、必要になってくる事は、その発信された気とどの様にお付き合いするかという事。

どこかの本に、国立博物館の文化財を修繕する係りの方が、布の修繕をする時に、後から新しい布を足す場合、その新しい布が古い布より強いとかえって傷つける事になるとあった。新しい布と古い布の力関係に差があってはならないと。精神が弱っている人に元気一杯励ましてはいけないという事にも繋がる。

患者さんから発信された気の受け止め方もちょっと似ている。どの様な気が発信されても、先ずはその気とぶつから無い。つまり、発信された気に寄り添って、そのまま受け止める事が必要なのかも。

これは、ただ単に相手に合わせるという事で無く、むしろその反対で、こちらが常に変わらないという強い主体性を伴う。
すると、イライラした気などが吸収されて、最終的にはゆっくりした気に溶け込んでいくのを実感する。

最近、誰かを捕まえて、1時間位黙ったまま、気の交流だけで対話をしてみたいと思う。こんな事に付き合ってくれる人は居ないと思いつつ…興味が尽きない。

2012年12月17日(月)

Vol.116心の境界線

多重人格、躁うつ病、心身症等、精神が慢性風邪を引いてしまっている方が多く来院される。風邪とは誰でもかかる可能性が高いという意味で。

患者さんとの出会いもユングが提唱した共時性(意味のある偶然)というのか、他人事ではない。今、学ぶ必要性をひしひし感じている。

先ずは自分をもっと知ることからと、早速、大好きな臨床心理学者の河合隼雄先生の本を五冊ほど購入した。先生の本は手に取るだけで私をワクワクさせる。このワクワク、表現する事が難しい自分の想いをピタリと言い当てられた時の爽快感と同じ。

思うに、先生は無意識の世界を開発される名人というのか…いや、無意識よりもっと深い世界まで連れて行って下さる。

そこで、仮に、意識と無意識の間の境界線というものがあるとすれば、心の慢性風邪の方は、この境界線が細くてか弱いのかもしれない。

だから、意識上にその人にとっての強烈な何かが侵入してきたら、深い層まで揺り動かされて、ゴチャゴチャになって混乱状態に。

私は昨年の11月から400日間、毎日このホームページ上に心の感じたままに詩なるものを掲載してきた。すると、読んで泣かれる人がとても多くて驚いた。患者さんの中には開いた途端涙が止まらなくなるので、今は見るの止めときますという方もおられた。

何故かな…もしかしたら、この境界が弱くて意識と無意識が混ぜこぜになるのかもと考えた。
これらの詩はある意味、私のストレス発散の為に綴ってきたもの。ストレスというのは、無意識下の思いが境界線を押し上げているというストレス。この圧力によって詩なるもの(詩人の方ごめんなさい。私のは詩とは言えない。)が湧いてくるように思える。

ともかく意識と無意識の境界、この境界線が強いと深みまで行ってもまた戻ってこれる。つまり、自分の無意識の部分の意味を知っても大丈夫ということ。

これらは、全ては憶測かもしれない。でも、私はこの境界を強くすれば、心身症の方の凄い潜在能力が開発されるのではと感じる。

さて、鍼でそれが出来るのかどうか。出来ると信じる人が鍼を持てば出来ると確信している。

2012年12月11日(火)

Vol.115奔放な豚の病?

日曜のお昼頃、患者さんからお電話があった。
様々症状を話され、わたし脳梗塞かも…と不安げな声。脳梗塞では無いと思いますが、カッとならないように、足元を冷やさないようにとお伝えした。が、その日の夜ご主人からお電話があり、妻が倒れて動けなくなっているとのこと。やはりカッと怒った直後だったらしい。東洋医学でいうところの奔豚(ほんとん)証かなと思ったが、急に血圧が高くなって切れる事も考えられる。直ぐ救急車を呼ぶことと、来る迄の応急処置等をお伝えした。
でも何度電話しても救急車を呼ばれてない。何故?何回目かで本人が途切れ途切れの小さな声で電話口に。聞き取りにくかったのでご主人に代わって下さいとお伝えした。その時のご主人を呼ぶ大きな声に、完全にホントンだとホントに確信し少し安心した。

最近このような患者さんが非常に多い。
奔豚証は、東洋医学では、少腹部から胸や咽喉に向かって、気が発作的に突き上げるもので、一種のヒステリー症状の事。原因は簡単に言うと、土台である腎の臓が弱って下半身が不安定な所、イライラし過ぎて怒りの火(肝火)が上って倒れるというもの。

感情の爆発は急激に気を上に引き上げ卒倒してしまう場合が多い。特に血圧が高くなり易い中年以降や寒い時は注意が必要。ご本人にも、「これは奔放な豚って書いて奔豚(ホントン)と言います。ヒステリー症状のひとつなんですよ」とお伝えした。笑顏で帰って行かれ先ず一安心。

この医療に携わっていていつも考える事は、患者さんの情動の問題。また、こちらも患者さんの感情とどの様に向かい合うかということ。
育ちも環境も年齢も違い、当然、性格も考え方も全く違う。こちらが何やかやと言ったところで湧いてくるのが感情というもの。が、その鬱積された感情が様々な身体の不調和を生み出す根源だから厄介者。

その患者さんは次の日来院され、長年の様々なご苦労をお話ししてくださった。かなり複雑で込み入っていたが、ただ私は話を聞くだけ。すると、話されながら、ご自分でドンドン気持ちの整理をされ、最後は解決法まで語られた。全て分かっておられるのだと感心した。こうして自分で気づく事が何より必要ではないか。
そして大切なのは、辛い気持ちを心から理解してあげる事。自分の事を本当に分かってくれる人が1人いれば皆救われるのだから。

問題によっては、比較的直ぐに解決できるものと、長くかかるものとある。この患者さんの問題は長くかかるようにみえて、早く解決するのではと感じた。解決というのはその問題に、ご本人が振り回されなくなるという意味。私にできることは、しっかり鍼をして気のバランスを整えていく事と、患者さんにとって、ずっと変わらない理解者でいるという事だと感じている。

2012年12月8日(土)

Vol.114大勝利の御一家

日々臨床に携われる事は、楽しくもあり厳しくもあり本当に充実しているもの。1人では経験でき得ない様々な人生を患者さんから沢山教えて頂いている。患者さんには、いつもいつも感謝の気持ちしかない。

今日、二年ぶりに来られた患者さん。彼女は右臀部に巨細胞腫ができて出産と同時に歩く事が出来なくなってしまった。入院を余儀なくされお子さんとは会えない日々。病が親子を引き裂いた。長く辛い治療が続いた。また同時期に彼女のお母さんが乳がんに。幸せな家庭は闘いの日々に一転した。

光となったのは彼女の71歳のお父さん。全てを背負って闘いに臨まれた。家の事、赤児のお世話、病院の送り迎え等々。この二年間愚痴もなく、ひたすら家族を励まされながらご自分を鼓舞されてこられたのではと推測される。

今日、彼女は松葉杖をついて来院され、「やっとこれました!」と微笑まれた。嬉しくも本当に重い一言だった。乳がんのお母さんもチョットふっくらされてお元気だった。お子さんは可愛い中にもしっかり者のお顔になって。そして、お父さんが無農薬ですよとご自分の畑で収穫された葉っぱ付きのお大根と里芋を沢山持ってきて下さった。

お父さんのお背中に涙が出て言葉を失った。大切な人達の病魔を打ち破って、大勝利された御姿。病は、時に本人以上に周りにも辛さと苦しみを与えるもの。支えておられるお父さんが、お疲れの中にも本当に謙虚に誇らしげに映った。目に焼きついて一生忘れられない。

私は何も出来なかったのに、遠方からこうして勝利のお姿を見せに来てくださり、また治療されて帰られる御一家。元気を頂いたのは私の方だった。

何ものにも負けない精神力を持ったひとりがいれば、必ず再び笑顔が戻ってくる事を教えて頂いた。勝つことは負けないことの連続なんだと心から感じた。御一家が、益々お元気で幸多きことを祈りつつ。

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