皆さん寝て起きたときの夢を覚えていますか?
夢って不思議ですね。考えてもいなかった事が突然出てきたり、その展開が現実離れしていたりと・・・
以前、何かの本で読みましたが、ナチスのホロコーストが行われる数年前から、多くのユダヤの人々が酷い悪夢を見ていたとのデータが出ていたそうです。
こんな風に夢には、予知夢や深層心理、その時の精神状態などが反映される場合があるようです。
私は最近あまり見ないですが、たまに予知夢らしきものを見ます。決まって夜中4時に夢で目が覚めます。その時の夢は殆ど現実になり友人から驚かれる事がよくあります。
東洋医学では、朝4時は、肺の経絡と関係している時間です。また、五神といって各五臓ごとに神(しん)が宿るとされています。
肺の神は「魄(はく)」といって「本能・感覚・反射的動作」と関係があります。
因みに「肝は魂(こん)」「心は神(しん)」「腎は精・志」「脾は意・智」とされ、五臓が家で、神は主(あるじ)になります。つまり、肺という家が働くのは、魄という主がいるから。といった具合です。
ちょっと難しいですか?この辺は「心と体と魂」を一体化して診る東洋医学の面白いところなのですが。
また、夢や霊感などは、大体「肝―魂」が主に関与し、「肺―魄」「腎―精」も関与してきます。
特に「心神」と「肝魂」との間には密接な関係があり、「心神」が不安定になると「肝魂」が不安定に動き出し、夢遊や悪夢などを多く見るようです。中心は「心神」になるのでしょうか。(藤本蓮風著『臓腑経絡学』より)
何かあった時、心の動揺が少ない人は「心神」がしっかりしていると考えられます。心神がしっかりしていると他の臓の安定をとることも容易です。
心神が不安定になる要素は様々で、遺伝的なものから後天的なもの、環境(両親の関わり)甘やかされたり、愛情不足だったり、人間関係の善し悪し、問題の大きさなど人によって違いはありますが、今古典に基づいて研究している所です。
私の師匠は、よく患者さんに「怖い夢とか見るかもしれないからな」と術後声をかけられています。鍼が患者さんの深層の部分、魂に触れると沈んでいたものが浮いてきてそのような夢を見るのだと思われます。
沈んでるのは良くないですから浮かせてるわけです。
悪夢であっても夢を見ることは、自分の鬱積した内面の発散方法のひとつと考えればいいのだと思います。いい夢に越したことは無いのですが・・・
先日、いつも遠方から来てくださっている若い患者さんが、「先生、耳の中が膿んで医者から薬を5日間飲んでも治らなかったら切開して膿みを出しましょうって言われたんです・・・」と来院された。
薬は5日間それも毎日11錠も服用されていた。来られた時は、両耳閉、鼻声、微熱、起き上がったときの眩暈、肌荒れ等々何とも賑やかなもの。その上、薬のせいで食欲不振甚だしく舌を見ても弱りきっていた。
体表観察をすると、脈はビンビンと強く、右の背中の脾兪胃兪辺りが腫れ上がり、足の指の胃に関係するツボに酷い熱感がみられた。
彼女は、普段から湿熱体質だったため、初回は胃腸を立てながら熱をとる治療を試みた。
胃腸(脾胃)は東洋医学でも、「後天の元気」といい身体の中心的役割を果たす。胃腸が丈夫な人はいつ迄も若くよく食べれて生命力に満ちている。
薬、それも毎日11錠も出され胃がボロボロになった彼女は、精神的にも憂鬱になり、2回目の治療時、か細い声で「先生、治りますか?」と。
「必ず良くなるから大丈夫。薬でチョットやられちゃったからもう少しの我慢ね。」とお答えした。人によって治癒にかかる時間は違うことは当然の事。
東洋医学の治療院には、西洋医学の薬でも効果が無かったり、治りませんと医者から告げられた患者さんが多く来院される。
おまけに薬づけで大事な胃腸がボロボロになった方々が・・・・
余程、鍼灸に対する確信と見立て、覚悟が無ければ、この様な患者さんの不安の一言を払い除け、治癒の方向に向かわすことは出来ない。
師匠、藤本蓮風氏の著書『数倍生きる』の中に、「(略) 医療者はよほど高潔な心持ちが必要だ。大きく動かすのはその先生のエネルギーに基づく。(略)」とある。
この患者さん、4回の治療で完治した。ただただ、師匠に感謝し精進するのみ。
先日、久しぶりに韓国へ院内スタッフと行ってきた。韓国を知り尽くす私の友人(大先輩ですが・・・)にチケットからホテルの手配まで一切お任せした上、行きたい所を全て案内して下さり、私にとっても、どれ程楽ちんなお任せ旅行だったかと感謝しきれない。
今回は初のホ・ジュン博物館に行くことを何より楽しみにしていた。
ホ・ジュンは韓国ドラマでも有名で李氏朝鮮時代、医官として宮廷に勤務し王様の侍医として活躍された人物。
隠し子として出生したホ・ジュンがあの身分差の激しい時代に、その功績を称えられた事は奇跡とも言うべきことだった。(彼が内医院であると初めて記録に登場したのは34歳)
ホ・ジュンが編纂した25巻に及ぶ『東医宝鑑』は1613年に発刊されて以来、現在も脈々と読み継がれ、2009年7月にはユネスコ世界記録遺産に登録された。快挙!
この『東医宝鑑』は国内外の約180の医学書を整理し、1212種の薬材に関する資料、4497種の処方等ホ・ジュンの臨床等もまじえ収録されている。
また、この『東医宝鑑』は、当時の庶民に分かるようにと優しい文字が使われている。どこまでも庶民を愛するホ・ジュンに魅力を感じると共に、このことを通して、ホ・ジュンが身分差ゆえに味わってきた苦闘が推察され心打たれた。
博物館に入った途端、不思議にスタッフと共にホ・ジュンに見守られ励ましを受けているような感覚になった。
その他、韓国の旅は充実しエネルギーを沢山いただいた。
食べても食べても、もたれないバランスのとれた韓国料理をはじめ、韓国の友人との10年ぶりの再会、漢方薬の聖地、祭基洞(Jegi-dong)での様々な人との出逢い等々、短期間で韓国の文化やエネルギーに思う存分触れてきた。
当初、直撃予定だった台風も何処へやら、風も無く霧雨程度で気候にも恵まれた。
帰国後の仕事の充実ぶりは言うまでもない。エネルギッシュな国、韓国にチョンマルカムサハムニダ。(本当にありがとう!)
今日も奈良に居られる鍼灸の師匠、藤本蓮風先生の所に研修に行かせて頂いた。
こうして足繁く通って10年が過ぎた。
先ずは10年と決めて通っていたものの、今は、10年なんてまだ始まったところという感じがして…無期延長にしたいと思う。
10年、師匠の治療を拝見し、一貫した鍼灸に対する情熱は勿論の事、その技と感性の鋭さに今日も新鮮な感動を持って帰ってきた。いつも新鮮ってすごい事!
自分自身、治療を師匠から受ける事が1番の勉強にもなり、今の私の健康が有るのも師匠のお陰としか言いようがない。
今や大学病院から病院でも手に負えない重症患者さんが師匠の元に送られてくるまでに。
何故、こんなに師匠の鍼は抜群の効果が有るのかといつも思いつつ…
その答えの多くは、今、毎日更新して下さっているブログ「鍼狂人の独り言」の中に散りばめられている様に思える。
来週17日に一般書店にも並ぶ師匠の新書『数倍生きる』(探求社)を一足早く手にさせて頂いた。
ブログでは拝見していたものの、本として纏めたものを再度初めから一気に読み返してみた。
「あらゆる逆境もバネに」また、「燃え上がる生命の炎」等々、本の其処彼処に師匠の大生命力が感じられる。
中でも今の私の心にタッチしたのが、その168。全文ここに載せたい。
「いずれよりきたり、いずれにゆくのか。知らず。だが、今あり、今生きてることは確かだ。今をなくせば更に分からず。今懸命にいのちを燃やす。あらゆる思いが錯綜するが、結局ありがたい。これよりの出来事がたのしみ。己の多様性のために。手をあわせる。」
心の奥に染み入ってくる。
全て短い文で紹介されているので、また開いたその箇所が明日は心に響くのかもしれない。
生涯大切にしていきたい宝書に感謝は尽きない。
今日、師匠が御自身のブログの中で、「デリカシーを欠く人には永遠に生体の語り掛けを聞くことかできない」と言われていた。
何て的確で核心を突いた言葉かと何故か嬉しくなった。
最近、私もデリカシーという事を考えていた所だっただけに。
デリカシーを広辞苑で調べると「繊細さ。感情や感覚の細やかさ。」との意味。
これは医療全般に言える事で、医療人にとって必要不可欠の条件だと感じている。
日本では特に、患者さんは医療者に遠慮して、中々聞きたい事や疑問に思う事を率直に聞けない雰囲気がまだまだあるのが現実。コミュニケーション不足が否めない。
ではどうすれば、医療者と患者さんとの円滑なコミュニケーションを保てるのか。
その根本は、医療者の傲慢性を意識して排除していくべきでは無いかと思う。
先生と言われるだけで、自分が偉くなったと錯覚する。医療者が、病を持つ弱者に対して、弱者という意識だけで接すると、誰もが知らないうちに傲慢という魔性に取り憑かれてしまう。
病で苦しんで初めて人は、人としての優しさや謙虚さを身につけていくのでは。
愛する人が病で苦しんでる姿に胸を掻き毟られて、人の心は耕かされていくのでは。
病治しの主体者は医療人との責任の元に、医療者と患者さんの橋渡しとして、鍼はその役割を担ってくれている。
日々、患者さんと鍼に感謝しながら、最高に心地よい距離感を保ちながら病治しに精進していきたい。