今年iPhone5を購入した。超高速との宣伝通り本当に速くて気持ちいい。
でもこの速さ何の為?と考える。段々人間側がメカに合わせるかのように、せっかちにさせられてるような・・?
今後、もっと超超高速が出たら益々人間がせっかちになっていきそうで心配になってくる。
有名なジェームズ=ランゲ説の「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」にあるように、刺激→身体変化→情動という道筋を考える。
スピード→早口や早足に→イライラというようになってくるのかな。
鍼は、この真ん中の身体の変化の所で手をうてて、情動の不安定を食い止める優れもの。また、身体のツボの状態をみれば、人間はとても正直なのだと感じてしまう。イライラや緊張が激しくなると肝の臓のツボがグリグリになって教えてくれる。
実際、スピーディーになるほど、欲望を断念する能力、理性的なコントロールが乏しくなり衝動的になるとの警告もされている。
人は動物と違って、欲望の抑制能力が元々備わっていないので、理性が故障したら果てしなく欲望を求めていってしまう生き物。
私も忙しくなり過ぎると息が切れる感じがする。こんな時、心がチョット待ったをかけてくれるから助かっているものの…。
今、社会全体、確かに心はゆったりを求めていると感じる。だからゆるキャラなんかが流行るのでしょう。
来年はクマモンでも横に置いてゆっくり行動してみたら、きっと、違う何かを自他ともに発見できるかも・・・・です。
今日は今年最後の研修会。この一年もせっせと師匠の下で学ばせて頂き感謝しかない。もう8年になる。この中で完全に身に付いた事は、「切り替えの術」かもしれない。
日常嫌な事があった時に、それを引きずらない事が健康上とても大切だと感じる。しかし、このクヨクヨが無駄とは分かっていても。。。というのが現実では?
そこで、「切り替えの術」を習得したいもの。
では、どうやって切り替えの術を身につけるのか。
師匠の鍼灸院は、完全個室で10床程ある。
ひとりひとり患者さんの状況は全く違う。師匠は、次のブースに入った瞬間、そこに居られる患者さんに集中される。その集中力が本当に素晴らしい。この繰り返しを毎日毎日繰り返す事によって、心に瞬発力が付いてくる。つまり心の詰まりを跳ね返す力の訓練になる。
そういう環境にいない人の為の訓練法は、思い切り運動する事。
師匠から勧められた乗馬は、私にとって最高の切り替えになっている。乗る事に必死なので他の事は一切忘れ、身体を動かす事で気の巡りがすこぶる良くなる。
先日の連休は、東京研修会に豊岡往診にと2日間ずっと座りっぱなし。全身気の滞りを感じ、次の日友人とスキーに出かけ4時間ほど滑ってきた。すると、翌日の仕事が多忙にも関わらず、どれ程元気でスムーズだったか。本当に疲れを一切感じなかった。
これらは、常に師匠自ら実践されておられる事。歩くも走るもいい、思いっきりの運動を騙されたと思ってして欲しい。
最後に、もし、どうしても切り替えられない事があれば、それは、貴方の人生にとって、とても意味のある事に違いない。中途半端に悩まず思いっきり悩んでみたらいいのでは…人生無駄なことは一切無いのだから。
先日、東京での研修会に参加。そこで問診(医療面接)についての講義を受け、改めて新宿という土地柄に興味を深くした。講師は竹下有先生。現在、新宿駅前にて開業されている。
新宿駅周辺は誰もが知る日本有数の繁華街でその集客人数は日本一。新宿駅の一日の利用者数は世界一でギネスにも認定されているらしい。
先生がこんな新宿の話をされたわけではなく、講義の中で、その土地で生きておられる患者さんと先生とのやりとりが非常に面白く、思わず土地柄について考えさせられた。
その土地には柄があるもの。私の院は、神戸と大阪の丁度真ん中。患者さんが神戸の人か大阪の人かは結構直ぐに分かってしまう。勿論大雑把に。
そこに生きる人々の情念というか…それぞれの土地は、そこに住む人達が発する喜怒哀楽の吹き溜まりになり、その土地特有の傾向性を作っていく。
庶民的な土地、さっぱりとした土地等々。そして人は無意識に自分にあった土地を選んでそこに根を張っていく。何処に住むかはその人を知る上でもチョット参考になる。
新宿は大都会。希薄な人間関係の中にも人の温かさとエネルギーを感じる。人との繋がりが淡白だからこそ湧いてくる温かさかもしれない。反する程にエネルギーが強くなるように。
自分の土地、西宮はどんな柄なのか。案外、あっさりしている町。だからこそ自分の熱さとのバランスを保っているように感じる。
よく患者さんから「ここに居ると気が休まります」と嬉しいお言葉を頂く。何かゆっくりした気が流れているのだろう。
「気が休まる」の他にも、気を抜く、気が滅入る、気が強い弱いなどなど、気の付く言葉は日常多く使われる。私達の仕事はある面、患者さんの気を感じるスペシャリストであるかもしれない。
患者さんからは、日々様々な気が発信されてくる。ピリピリした気、荒々しい気、不安で一杯な気、意気消沈した気等々。それは、話さなくても身体全体から発している。むしろ話さない方が分かる場合がある。
そこで、必要になってくる事は、その発信された気とどの様にお付き合いするかという事。
どこかの本に、国立博物館の文化財を修繕する係りの方が、布の修繕をする時に、後から新しい布を足す場合、その新しい布が古い布より強いとかえって傷つける事になるとあった。新しい布と古い布の力関係に差があってはならないと。精神が弱っている人に元気一杯励ましてはいけないという事にも繋がる。
患者さんから発信された気の受け止め方もちょっと似ている。どの様な気が発信されても、先ずはその気とぶつから無い。つまり、発信された気に寄り添って、そのまま受け止める事が必要なのかも。
これは、ただ単に相手に合わせるという事で無く、むしろその反対で、こちらが常に変わらないという強い主体性を伴う。
すると、イライラした気などが吸収されて、最終的にはゆっくりした気に溶け込んでいくのを実感する。
最近、誰かを捕まえて、1時間位黙ったまま、気の交流だけで対話をしてみたいと思う。こんな事に付き合ってくれる人は居ないと思いつつ…興味が尽きない。
多重人格、躁うつ病、心身症等、精神が慢性風邪を引いてしまっている方が多く来院される。風邪とは誰でもかかる可能性が高いという意味で。
患者さんとの出会いもユングが提唱した共時性(意味のある偶然)というのか、他人事ではない。今、学ぶ必要性をひしひし感じている。
先ずは自分をもっと知ることからと、早速、大好きな臨床心理学者の河合隼雄先生の本を五冊ほど購入した。先生の本は手に取るだけで私をワクワクさせる。このワクワク、表現する事が難しい自分の想いをピタリと言い当てられた時の爽快感と同じ。
思うに、先生は無意識の世界を開発される名人というのか…いや、無意識よりもっと深い世界まで連れて行って下さる。
そこで、仮に、意識と無意識の間の境界線というものがあるとすれば、心の慢性風邪の方は、この境界線が細くてか弱いのかもしれない。
だから、意識上にその人にとっての強烈な何かが侵入してきたら、深い層まで揺り動かされて、ゴチャゴチャになって混乱状態に。
私は昨年の11月から400日間、毎日このホームページ上に心の感じたままに詩なるものを掲載してきた。すると、読んで泣かれる人がとても多くて驚いた。患者さんの中には開いた途端涙が止まらなくなるので、今は見るの止めときますという方もおられた。
何故かな…もしかしたら、この境界が弱くて意識と無意識が混ぜこぜになるのかもと考えた。
これらの詩はある意味、私のストレス発散の為に綴ってきたもの。ストレスというのは、無意識下の思いが境界線を押し上げているというストレス。この圧力によって詩なるもの(詩人の方ごめんなさい。私のは詩とは言えない。)が湧いてくるように思える。
ともかく意識と無意識の境界、この境界線が強いと深みまで行ってもまた戻ってこれる。つまり、自分の無意識の部分の意味を知っても大丈夫ということ。
これらは、全ては憶測かもしれない。でも、私はこの境界を強くすれば、心身症の方の凄い潜在能力が開発されるのではと感じる。
さて、鍼でそれが出来るのかどうか。出来ると信じる人が鍼を持てば出来ると確信している。