多重人格、躁うつ病、心身症等、精神が慢性風邪を引いてしまっている方が多く来院される。風邪とは誰でもかかる可能性が高いという意味で。
患者さんとの出会いもユングが提唱した共時性(意味のある偶然)というのか、他人事ではない。今、学ぶ必要性をひしひし感じている。
先ずは自分をもっと知ることからと、早速、大好きな臨床心理学者の河合隼雄先生の本を五冊ほど購入した。先生の本は手に取るだけで私をワクワクさせる。このワクワク、表現する事が難しい自分の想いをピタリと言い当てられた時の爽快感と同じ。
思うに、先生は無意識の世界を開発される名人というのか…いや、無意識よりもっと深い世界まで連れて行って下さる。
そこで、仮に、意識と無意識の間の境界線というものがあるとすれば、心の慢性風邪の方は、この境界線が細くてか弱いのかもしれない。
だから、意識上にその人にとっての強烈な何かが侵入してきたら、深い層まで揺り動かされて、ゴチャゴチャになって混乱状態に。
私は昨年の11月から400日間、毎日このホームページ上に心の感じたままに詩なるものを掲載してきた。すると、読んで泣かれる人がとても多くて驚いた。患者さんの中には開いた途端涙が止まらなくなるので、今は見るの止めときますという方もおられた。
何故かな…もしかしたら、この境界が弱くて意識と無意識が混ぜこぜになるのかもと考えた。
これらの詩はある意味、私のストレス発散の為に綴ってきたもの。ストレスというのは、無意識下の思いが境界線を押し上げているというストレス。この圧力によって詩なるもの(詩人の方ごめんなさい。私のは詩とは言えない。)が湧いてくるように思える。
ともかく意識と無意識の境界、この境界線が強いと深みまで行ってもまた戻ってこれる。つまり、自分の無意識の部分の意味を知っても大丈夫ということ。
これらは、全ては憶測かもしれない。でも、私はこの境界を強くすれば、心身症の方の凄い潜在能力が開発されるのではと感じる。
さて、鍼でそれが出来るのかどうか。出来ると信じる人が鍼を持てば出来ると確信している。
日曜のお昼頃、患者さんからお電話があった。
様々症状を話され、わたし脳梗塞かも…と不安げな声。脳梗塞では無いと思いますが、カッとならないように、足元を冷やさないようにとお伝えした。が、その日の夜ご主人からお電話があり、妻が倒れて動けなくなっているとのこと。やはりカッと怒った直後だったらしい。東洋医学でいうところの奔豚(ほんとん)証かなと思ったが、急に血圧が高くなって切れる事も考えられる。直ぐ救急車を呼ぶことと、来る迄の応急処置等をお伝えした。
でも何度電話しても救急車を呼ばれてない。何故?何回目かで本人が途切れ途切れの小さな声で電話口に。聞き取りにくかったのでご主人に代わって下さいとお伝えした。その時のご主人を呼ぶ大きな声に、完全にホントンだとホントに確信し少し安心した。
最近このような患者さんが非常に多い。
奔豚証は、東洋医学では、少腹部から胸や咽喉に向かって、気が発作的に突き上げるもので、一種のヒステリー症状の事。原因は簡単に言うと、土台である腎の臓が弱って下半身が不安定な所、イライラし過ぎて怒りの火(肝火)が上って倒れるというもの。
感情の爆発は急激に気を上に引き上げ卒倒してしまう場合が多い。特に血圧が高くなり易い中年以降や寒い時は注意が必要。ご本人にも、「これは奔放な豚って書いて奔豚(ホントン)と言います。ヒステリー症状のひとつなんですよ」とお伝えした。笑顏で帰って行かれ先ず一安心。
この医療に携わっていていつも考える事は、患者さんの情動の問題。また、こちらも患者さんの感情とどの様に向かい合うかということ。
育ちも環境も年齢も違い、当然、性格も考え方も全く違う。こちらが何やかやと言ったところで湧いてくるのが感情というもの。が、その鬱積された感情が様々な身体の不調和を生み出す根源だから厄介者。
その患者さんは次の日来院され、長年の様々なご苦労をお話ししてくださった。かなり複雑で込み入っていたが、ただ私は話を聞くだけ。すると、話されながら、ご自分でドンドン気持ちの整理をされ、最後は解決法まで語られた。全て分かっておられるのだと感心した。こうして自分で気づく事が何より必要ではないか。
そして大切なのは、辛い気持ちを心から理解してあげる事。自分の事を本当に分かってくれる人が1人いれば皆救われるのだから。
問題によっては、比較的直ぐに解決できるものと、長くかかるものとある。この患者さんの問題は長くかかるようにみえて、早く解決するのではと感じた。解決というのはその問題に、ご本人が振り回されなくなるという意味。私にできることは、しっかり鍼をして気のバランスを整えていく事と、患者さんにとって、ずっと変わらない理解者でいるという事だと感じている。
日々臨床に携われる事は、楽しくもあり厳しくもあり本当に充実しているもの。1人では経験でき得ない様々な人生を患者さんから沢山教えて頂いている。患者さんには、いつもいつも感謝の気持ちしかない。
今日、二年ぶりに来られた患者さん。彼女は右臀部に巨細胞腫ができて出産と同時に歩く事が出来なくなってしまった。入院を余儀なくされお子さんとは会えない日々。病が親子を引き裂いた。長く辛い治療が続いた。また同時期に彼女のお母さんが乳がんに。幸せな家庭は闘いの日々に一転した。
光となったのは彼女の71歳のお父さん。全てを背負って闘いに臨まれた。家の事、赤児のお世話、病院の送り迎え等々。この二年間愚痴もなく、ひたすら家族を励まされながらご自分を鼓舞されてこられたのではと推測される。
今日、彼女は松葉杖をついて来院され、「やっとこれました!」と微笑まれた。嬉しくも本当に重い一言だった。乳がんのお母さんもチョットふっくらされてお元気だった。お子さんは可愛い中にもしっかり者のお顔になって。そして、お父さんが無農薬ですよとご自分の畑で収穫された葉っぱ付きのお大根と里芋を沢山持ってきて下さった。
お父さんのお背中に涙が出て言葉を失った。大切な人達の病魔を打ち破って、大勝利された御姿。病は、時に本人以上に周りにも辛さと苦しみを与えるもの。支えておられるお父さんが、お疲れの中にも本当に謙虚に誇らしげに映った。目に焼きついて一生忘れられない。
私は何も出来なかったのに、遠方からこうして勝利のお姿を見せに来てくださり、また治療されて帰られる御一家。元気を頂いたのは私の方だった。
何ものにも負けない精神力を持ったひとりがいれば、必ず再び笑顔が戻ってくる事を教えて頂いた。勝つことは負けないことの連続なんだと心から感じた。御一家が、益々お元気で幸多きことを祈りつつ。
最近、本当に沢山の患者さんが風邪を引いたんですと来られる。
以前、師匠から「風邪で来院してもらってこそ一人前だぞ」と言われた事があった。治せたら一人前と思い直しながらも、鍼灸で風邪が治る事を信じて来てくださり嬉しい限り。
一言で風邪と言っても、本当に色んな症状があるもの。最近多いのは、発熱、咳が止まらない人、喉が痛い人、突然声が出なくなる人、下痢や嘔吐の人。鼻水が止まらない人等々バリエーションは様々。色んな症状があるということは、ひとりひとりの体質や今の身体の状況が違うからで、当然治療方法も違ってくる。
ともかく来院される患者さんが口を揃えて言われることは、「先生、風邪ひいてるのに食欲全く落ちないんですよす~」と。専門的な話はさておいて、簡単に言えば風邪が入って食欲があるというのは、まだ風邪が浅い段階にあるということで治りやすいはず。なのに?
そこで、私がそのような患者さんの略全員に言う言葉は、「この風邪、今お肉や食べ過ぎしたら益々治りませんよ~」という事。
実際、患者さんでもある友人が、この風邪治らないのは栄養失調だから!(?)と言ってお肉のフルコースを食した。案の定、酷い咳が止まらず悪化し寝込む羽目に。
今私の所に来られている患者さんを診察すれば、その多くは身体の中に熱を溜め込んでいる人で、寒気は初めだけ、体熱いといわれ、喉を診ても真っ赤っか。
このような熱性に偏った風邪に、肉、油、チーズ、チョコ、お餅、ニンニクなどを頑張って食べていると、風邪は治りにくくなるのに・・・・これは常識と思っていたのはこちらだけだったようで。
最近読んだ、東洋医学のバイブル『黄帝内経』の「熱論篇」に、黄帝さんの中々熱病が治らないのは何故ですか?との質問に、岐伯さんが、熱が少し下がってきたときに、肉類などの消化の悪いものを食べれば余熱が残り再発します。だから多食と肉類は禁じるように、と言われている。何千年も前に。現代の食生活を黄帝と岐伯が知ればどう思うかと…
治りにくい原因は食以外にも勿論あるものの、熱性疾患の場合の多食と肉食は良くないことは明白。
現代は、運動不足、多食、ストレス過多の三拍子。どうしても身体が熱に偏りやすい。
そんな私、実はイタリアン、中華、メキシカン、イタリアンとハード外食4日連続となってしまい、現在扁桃腺が腫れて鼻水タラタラ…分かってないのは自分だったと猛省。
今年流行った「メンタリズム」がちょっと目に留まった。きっかけは、メンタリストとして一躍、時の人となったDaiGoさんのボール当てやスプーン曲げのトリックの種明かしを見て。
彼は、人間観察の名人なんだと感心してしまった。人間はそう簡単に嘘はつけないものと、その人の癖や仕草など冷静に観察し嘘をもバッチリ見抜いてしまう。その方法が中々論理的で面白かった。
我々の仕事においても、患者さんが入って来られた時の様子、例えば表情、声の調子、服装、歩き方、女性ならお化粧の仕方なども自然と観察している。更にカルテに書かれた字体や筆圧までも。このように、問診に入る前段階でも、その方の表面から、その時の心の状態等を知る為にも、情報を得て診断に役立てている。
人を観察するというより、人を見てしまうというか…もっと正確に表現すれば、自然と人を感じてしまうのかもしれない。とカッコ良さげに言っても、患者さん側も、こちらをそれこそしっかり観察している事は間違いない。寧ろ患者さんの方が冷静で的確だったりする。
鍼灸の師匠からも常々、その人が入って来た瞬間から診察は始まっているんだ。また、時には人を遠くから見ると違う何かを発見できる等々人の見方なども教えていただく。師匠は鍼と人間観察の名人で、鍼をする前に相手の事をかなり理解されてしまう。何十万人と患者さんを診察されているとその中にある法則の様なものを感じられるのだろう。しかし、それ以上に、人間に対して優しい眼を持っておられるからこそ相手が見えるのだと思える。
メンタリストと言わないまでも、仕事において成功をしている方の多くは、この人間観察が非常に得意なのかもしれない。
人間観察より人間理解という方が適切かも。人間理解が優れている人はきっと相手の一言に、その人の奥にある思いの多くを感じていけるのだろう。相手を思うからこそ、その人をより感じて解決策(勿論、患者さんであれば鍼灸で)を真剣に考える。心と身体は繋がってるのだから尚の事。
しかし、DaiGoさんのような仕事になってしまうと、彼自身の心が疲れるのでは…人間を追求し過ぎたらどうなるの?心理学者とて余程自分を守るための何かが必要ではないかと思う。自分も人間だから。
人間をより理解する方がいい場合と、あまり分からないからいい場合とがあるような。自分にとっても人にとっても。
それを職業としている人は別としても、人間って沢山分からない所があるから神秘的で、新しい発見にまた人間の深さや尊さを感じれるのかもしれない。