味のある人、味のある一言と同じ様に、鍼にも「味のある鍼」があります。師匠、藤本蓮風先生の鍼が正にそうです。
私が師匠に鍼を受けるようになってから随分経ちますが、ここ数年は週1~2回治療をして頂き、何よりの勉強をさせて頂いてます。
先日、「喉がイガイガします」とお伝えし治療を受けました。
先生はニヤリとされて脈をとり、合谷というツボに一本打たれました。
すると、刺された瞬間、ツボ周辺が爽やかな冷たい風が吹いたようになりました。そのうち、喉のザラザラ感が全く無くなり、ミントの飴を舐めたかの様にスッキリ。
実は、ここ数日間、様々お付き合いで外食三昧をしていた所、少しく風邪が入って、朝、両扁桃腺が腫れ上がった日が有りました。
色々熱をとる治療をして、腫れは直ぐ引き、大事には至らなかったのですが、イガイガが中々取れずにいました。
合谷は色々な場面で使われますが、この日の合谷、咽喉の熱をとる作用に働いたのでしょう。
同じツボを同じ様に打っても、刺す人によってその効果には差が有ります。鍼灸歴五十年の師匠の鍼の味…感慨深いです。
この日はしみじみと、将来こんな味のある鍼を打ってみたいと思いながら…ベットの上で鍼の味を楽しませて頂きました。
鍼灸のバイブル「素問」の上古天真論第一に「恬淡虚無(てんたんきょむ)」という言葉が出てきます。心がさっぱりしていて物事に対する執着が無いという意味です。
この様な精神の人は、心が安らかで病気をしないと昔から言われています。
何千年も前から、心と身体の問題に焦点を当てた大切な言葉です。
ところで、鍼を持つ人も「恬淡虚無」であれば、鍼の力をより引き出す事ができるのではと思います。
以前師匠から、鍼を刺す事と自分の生き様とは同じなんだ、と言われた事があります。
今、その言葉の意味が少し分かるようになってきました。
こちらが、どの様な心持ちで一本の鍼を持つのかこそ問うべきです。心持ちとは、その人の生き方そのものですから正直に出てしまいます。
微塵の疑いも迷いも無く、私心や執着といった気負いも無く持ってこそ…鍼は信じられないような効果を発揮してくれます。
その上、患者さんも鍼で治すと腹を決めて下されば、実際、奇跡のような事がおきるのです。
立場は違いますが、臨床心理士の河合隼雄先生もよく、心を動かさず待っていれば奇跡が起こって治癒していくと言われてます。
恬淡虚無の鏡に照らして、自分を映し出し、心の汚れを日々磨いていきたいです。
先日、久々に某テレビを見ていて…つくづくと今は自由な時代だと感じます。
そのテレビに、今大ブレイク中の金爆が出演。ビジュアル系パフォーマンサーの彼らです。
ベース募集中、でもベース弾けなくてもいいよって…笑えます。バンドと言っても全てはエアーバンドだから納得ですが。
色んな評価は置いといて、一言で言えば「面白い!」のです。
彼等の素の心根が、私の心にもタッチしました。
何が面白いかと言えば、奇想天外なパフォーマンスの数々というより、余りにも飾らない素直な発言…ホント笑えます。かなり軽いけど、底なしに優しくて。
そして、やたらと一生懸命です。何に一生懸命かと言えば、人を喜ばすことにです。すごく伝わってきます。
お正月に、CDを借りに行きましたが、全く有りません。大ブレイク中だから?
どんなものでも人の心を掴むからこそブレイクするのでしょう。反対に、彼等を見て今の人が何を求めてるのかも勉強になります。
素のままの自分で、全力で人の為に生きたいのかも…
どんな表現方法でも、そこには必ず心根が表れます。時代は変わっても、人が求めるものは変わらないのかも知れませんね。
動物が苦手な私が続いている乗馬…師匠が健康に良いからやりなさいと勧めて下さいました。
恐る恐る、ひとり近所の乗馬クラブに行った時のあの驚きは、今思い出しても笑ってしまいます。
体も口も目も何もかも大きすぎる…当たり前ですが。これに乗るの?無理かも…と思った事がとても懐かしいです。
乗馬は想像以上に難しいです。いくら沢山大好きなニンジンをあげても、指示が曖昧なら知らん顔です。
馬も生き物、感情が有ります。互いの呼吸を感じながらの攻防戦のような…(私まだ下手ですので)馬は人の心を読む天才ですから手強いです。
また、馬は人間より体温が高いので、その温かさが心地よく、馬の振動は下半身の強化にもつながります。
そして、何よりいいのは、乗馬の間、全ての事が頭から排除される事です。乗り終わったら、身体だけでなく頭がスッキリします。完全リセット状態に。
私にとって乗馬は、心身の鍛えと、明日の治療の活力になっている事は間違いありません。
いつかモンゴルの草原を颯爽と走ってみたいと願っています。
天の気、地の気、人馬一体の気を感じながら。
「0か100」という両極端に振り回されてはいませんか?完璧主義の人は要注意です。
生活の中で、アップとダウンが激しい人、つまり落ち込んだり元気になったりが激しい人は、もしかして、ゼロヒャク人間かもしれません。
何かで成功したときは100、失敗したりすると0になってしまう。この数字はもちろん、自分が自分に対する評価です。自分って凄い!か、自分なんて最低…という極端な評価。当然ながら、その揺れ幅が大きいほど疲れます。
何故こんな極端に自分を評価するのでしょう。理由は、色々有るでしょう。ひとつは、何らかの事情で、小さい時に認められた経験が少なかったからかも知れません。
でも他人の評価も結構、適当なものです。今の時点だけでの浅い評価になりがちですから。
辛さも悲しみも喜びも含めて、色んな思いを誰よりも味わってるのは自分です。そんな自分を認めてほめてあげて欲しいです。
もうひとつは、日常の単調な繰り返しを大切にして、そこに小さな喜びを見出す事がいいかもしれません。仕事、勉強、料理、趣味…何でもいいです。
小さな事の継続と満足にこそ、真の安定は得られると思います。100から0に急降下した時にこそ、精神は落ちても生活は淡々と。
どんな時代になっても、「ありがとう」は、自他共に最高の評価の言葉です。
その言葉は真の安定を育むと思います。そんな認め合うフラットな関係を身近なところから広げていきたいです。