「大切なものはね、目には見えないんだよ。心で探さなくっちゃ」有名な星の王子様の言葉です。
愛、気、魂など目に見えないもの沢山有ります。中でも、「信」はとっても大切。
私達は何かをいつも信じて生きてるものですが、それは目に見えるものばかりでしょう。
目に見えない事を信じるのは、本当に難しいものです。
先日、難病のお子さんが来られました。クローン病です。お母さんが、また出血が少しあって…と不安気。当然ですが。
私は、「大丈夫ですよ。1番大事な事は、お母さんが信じれるかどうかです。お子さんが、そんなお母さんを試してるんですから」とお伝えしました。「僕は治ろうとしてるんだよ。お母さん、信じて」と私には聞こえます。お母さんの心は子どもさんと恐いほど直結しています。
勿論、動揺するのは子どもを思う故です。でも、私の大丈夫も適当に言ってるわけではありません。実際にツボの反応、舌の色、また何より本人が元気になっていってるのですから。
2歳の彼は生きる意欲が充満しています。鍼をしだすと、おとなしくジッとして、ちっちゃな指をひとつずつ差し出してくれます。
小さな命は、治ろう治ろうと必死に闘っています。何て健気でしょう。私はこの心に応えたいのです。私も引き受けた限りは、闘いです。
人間の可能性は頭で考えられないのですから。必ず治すと決め切るしかないのです。不動信で。
先日、患者さんが、診察中に大泣き…臨床現場では時々ある事ですが、私は殆ど何も喋って無いのにです。
そんな時の涙はきっと、悲しみでも喜びでも無いはず。多分、ただ涙が出るのでしょう。
こんな話も有ります。がんの末期の人が今生の思い出にと、若い時に活躍した舞台(ニューヨークらしいですが)の前に立った瞬間、涙が止まらなくなって…
その後、帰国して検査するとガンが完全に消えていたという事実。
笑いで病を治すというのはよく聞きますが、泣く事もかなりいいようです。
それにしても、涙を流される方…多いです。何かが詰まっていたのでしょう。泣く事で停滞していた気が動きます。それも鍼で、心の底をゆり動かしながら心身共にダイナミックに気を通じさせていく。そんな簡単には出来ませんが…可能ですから、鍼はすごいです。
ともかく、自然、音楽、本など、どんな方法でもいいです。たまには泣いて、自分の心を開放してみてもいいですね。
ところで、涙。海に戻るって書きます。きっと、涙の中に大きなものに抱かれてる安心感が有るのかもしれませんね…
先日、鍼の仲間達との夜な夜な?トークがあり、そもそも「病」とは何なのかという話に…
例えば、家庭内のいざこざが胃痛の原因だったり、夫の浮気発覚の日から奥さんの耳が聞こえなくなった等よくある事です。
このように、精神的な葛藤が病の原因だったり、病が精神的な苦痛を代役してくれる事もあります。
内科的には、当然、胃や耳の検査と投薬、というアプローチをしていきます。そして、それは、精神面でなく、耳や胃を治すという意味では、対処療法と言っていいでしょう。
では、我々もその病を取り除いて良しとすれば、同じく対処療法というのでは?という問題になってくると…。どうなのでしょう。
捉え方も考え方も自由ですし、患者さんもそれぞれ望む事の幅が違います。色々な意見を興味深く聞きました。
心と身体は繋がっているというのが東洋医学ですが、私も日々まだまだ分からない事の連続です。
ただ、鍼は身体から精神面へアプローチできると信じています。現実に、鍼をして精神状態が安定し、生活が変化していくのですから。だからこそ、どこまでも身体と心を丸ごと診ることが大切なのでしょう。また、通り一遍で無い人間学も必要不可欠です。
ともかくも、病は時代と共に変化しています。今の病が何を教えてくれようとしているのか、医療のあり方は何処に向かうべきなのかをしっかり見つめていきたいと思っています。
今日は、師匠の初講義でした。お正月食べ過ぎた重い身体を引きずって出かけたはずが…身体が軽くなっていくこの不思議。
短時間のお講義でしたが、一言一言がとても新鮮で何とも言えない気持ちが湧いてきました。心底嬉しくなってくるのですから。不思議、不思議…
プロとは何か、その決め手は何か、考えるべき事は何か、現代の病の捕まえ方などなど本当に明確でした。
そして何より私を元気にさせたのは、師匠の鍼に対するド迫力でした。まもなく臨床50年の貫禄と不動の信念は、私のちっぽけな取るに足らない考えを一気に吹き飛ばしてくれました。
生命力満々と。臨床家はこうでなければと、身を持って教えて頂きました。
鍼狂人の師匠の一念が、私の使命の琴線に感応したようです。
やはり私は鍼が心から好きなんだと思い知らされた初講義になりました。
初夢見られましたか?私は今ユングの夢分析に凝ってるせいか、ハッキリ見て直ぐメモしました。
夢は無意識世界の表現で、夢をみる事で、ある面、意識世界とのバランスを取っているらしいのです。
それも、意識的には心で納得したはずの事が、実はそうでなかった時、夢を通して納得させていくことがあるようです。
私は、数年前、母を亡くした時、一年間に渡って全く同じ夢を毎月見ていました。死んだ母が生き返って、私があの世はどうだった?と必ず聞いているのです。母はいつも、素晴らしいよと答えてるという夢です。
きっと、繰り返し同じ夢を見る事で、母の死後の世界に納得したのでしょう。それから一度も母が夢に出てくることはありません。
そんな私の初夢の一部に、久々に母が出てきました。母の姿も声も無く、その存在だけでしたが…
ユングの夢分析は、夢を見た本人がその夢の「意味を考える」事が大切で、この夢はこの様な意味というように固定化しないようです。
今年、皆さんも大いに夢をみて、ご自分の無意識世界を覗いてみてはいかがでしょう。きっと、何か新しい発見があるはずです。