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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2013年3月28日(木)

35.1ミリの傲慢

私は感受性が人一倍強いのか、人の中に傲慢な言動や態度を少しでも感じると無性に悲しくなります。

傲慢…辞書で引くと、思い上がって横柄な事、人を見下して礼を欠く事とあります。

傲慢さは自分では中々分からないものですし、見抜くのも難しいものです。それは、偉そうな態度をとってる人が必ずしも傲慢では無いからです。

傲慢は、プライドの高さでもなく、ワンマンでもないのです。
もっともっと根深い生命の状態と考えています。

心の底から感謝出来ない心、人の気持ちが分からない心と言うのでしょうか…素直の真反対。

なぜそのような生命の状態になってしまうのか、何かに恨みでもあるからでしょうか?守って貰った経験の不足でしょうか?

そう思えば、更に悲しくなりますが、理由は色々です。大事な人である程、一ミリの傲慢は見過ごせません。必ず将来大きくなるからです。

このように自他共に心の状態を見つめていくことは、時に大切だと感じています。

間違いなく自分の心が、自分の人生を作っていくのですから。良くも悪くも全て自分です。何ひとつ人のせいなどありません。

でも、よく考えると、そんな傲慢な心になりたいと思ってなってる人は誰もいないのでは。。。その一点で許せてしまう自分はお人好し過ぎるのでしょうか。悲惨ほど心に響きます。

2013年3月26日(火)

34.東京と大阪

先日、東京に足を運びましたが、いつもながら新宿の人の多さには驚かされます。
大阪も通勤ラッシュ時などは新宿に引けを取らない程の人ですが…

無謀にもそんな人だかりを横切った時に感じた事です。
東京人は、私に気づかず、ぶつかっても同じ速度で前を向いて進んで行きます。なぜかその機械的な感じに笑いが出てきました。大阪人は、一瞬立ち止まって邪魔な私に気づいてくれます。

この違いは何でしょうか?
といっても、駅やデパートの店員さんなど、個人的にはとても親切で機械的とは全く感じない東京です。寧ろ大阪より丁寧かもしれません。

大阪は昔ながらの商人の町。「儲かりまっか」「ボチボチでんな」が人によっては今だに挨拶代わりに行き交うところです。

東京は、将軍様のお膝元、ちゃきっちゃきの江戸っ子。首都でもあるので、自分達が日本を支えてるとの一種のプライドもあるのでしょう。

どちらがいいという訳でなく、人々の性格も住む土地に感化されてくると思います。また、自分にあった土地を自然と選んでいるのかも知れません。

きっと東京は大阪の倍忙しくしないと、競争に勝てない土地なのでしょう。あの機械的な感じがそれを象徴しているようです。

それにしても、新宿は四方八方から人が出てきて行き交ってますが、誰もぶつかって無いのには驚かされます。まるで群泳の魚のように一定の距離感を保って一つの大きな魚になって身を守ってるようです。

何回来てもバンバン人にぶつかって、そしてそんな自分に笑ってる私は、生粋の大阪人だと。。。

東京はどこか健気で、大阪はどこかおとぼけ。それぞれの顔が魅力的です。

2013年3月24日(日)

33.調和の使者

最近、20年前から頭痛なんです。10年前から頚が痛いんです。15年前から浮腫なんです等々、かなり長い間の症状を訴えて来られる患者さんが本当に多いです。

皆さん、色々な病院を回られて、色々なお薬を処方されて一生懸命治そうと頑張っておられます。
しかし、最後には、医者からこの症状とは一生お付き合いするしかありませんね、と言われた方ばかりです。

そのような方が鍼灸院に来院してこられる現実に、鍼灸の素晴らしさが今後益々広がっていく予兆を感じています。

何故なら、単純に言えば西洋医学の機械論(人間の身体をバラバラにみていく)に対するひとつの限界が見え隠れするからです。

東洋医学は、流派によって治療法は様々で、西洋医学の様に統一性がありませんが、身体を繋がった統一体と捉えます。
それも、身体と心は切っても切れない関係として心療内科でするような問診もさせて頂きます。(北辰会方式では特に)

西洋医学のお医者さんでも、沢山の患者さんを専門的に診られてますので、そこに何か心と身体の法則性を感じておられる先生も多くいらっしゃると思います。
また近年そのような研究も活発にされているようです。

長年何をしても治らないという症状などは、心と体の繋がりも考えざるを得ないのではないでしょうか?

何れにしても、鍼は、心と体を結びつけてくれる調和の使者ではないかと、最近つくづくと感じています。

2013年3月22日(金)

32.学ぶ事で磨かれる

昨日、某大学の卒業式に通信教育生として参加してきました。三年前、先輩から迷わず挑戦だよ!と背中を押され決意した事が懐かしく思いだされました。

大学卒業には125単位を取る必要があります。編入で入った私は専門科目を後80単位取ればいいわけです。一単位取るために、先ずレポート2~4通を合格してはじめて試験が受けられます。その挑戦がダンボールにどさっと送られてきた教科書から始まりました。

知らない事を知る喜びは大きく充実の毎日でしたが、実際は結構大変でした。

私は高校を卒業してから、夜学生として教育学を学びながらお昼は働いていました。ですから、もっと学ぶ必要を感じていました。
また、この大学の創立者の生き方を敬愛し、私も学ぶことで社会に役立ちたいと考えていました。

スクーリングで何度も大学に通いましたが、初めて参加した授業の事は忘れられません。
西洋教育史でしたが、教授が本当に素晴らしい授業展開をされ、仕事でクタクタになって参加した私の身体に活力が吹き込まれていくのが分かりました。

学ぶ事がこれ程人を元気にさせるのかと驚きの授業でした。

人は学ぶほど謙虚になっていきます。この大学で学ぶ事の楽しさを教えて頂き、スタートに今やっと立った感じです。

自分という人間の可能性を発見する為に、自分の生命を磨いていく為に、生涯学んでいきたいと考えています。

2013年3月20日(水)

31.奇跡の出来事

昨年は、何故か何十冊も河合隼雄先生の著書を購入して読みふけっていました。
お会い出来なかった事が残念でなりませんが、先生の言葉が生き生きと何かの折に蘇ってきます。

先生は、ユング派ですので、意味のある偶然の一致、つまり「共時性」という現象が起こる事についてよく語られます。

共時性は、夢と現実が一致するというように、因果的には説明出来ないものです。自我を超える存在や働きに注目するというのでしょうか。

また、先生は精神疾患の患者さんと向き合っていると、ある時、「奇跡ともいうべき偶然」がおきて治癒していくと言われます。
この奇跡を話すと誰も信じないから言いませんがと対談の中に書かれてますが…かなり興味深いです。

更に、源氏物語等に出てくる様々な怨霊やあり得ない展開についても、いつも普通に、あれ、本当の話ですよと語られています。

実は先日、親友というには軽過ぎる無二の友と久し振りに2人で軽くお酒を飲みに行ったのですが…

起こったのです。奇跡とも言うべき偶然が。
内容は伏せますが、私、驚きのあまり思わず泣いてしまいました。
お化けが見えたとかそんなオカルトチックな事ではありません。感動と驚きが交じった涙です。

人生の中で多分一番の驚きだと思います。これからも無いでしょう。死ぬ時にもう一回有るような気もしますが…。今後いい生き方をすればですが。。

今日はここに書き残しておきます。時計を見たら平成25年3月16日深夜でした。

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