私の鍼灸院では、殆どの問診はスタッフに任せ、追加問診を私がしています。
どの様な症状で、いつから、何処が、どのように痛むのか(不都合)から始まり、小さい頃から現在に至るまでのポイントとなるような情報まで。。。
その上、飲食、排泄物、生理、睡眠等の状態まで伺い、約1時間程費やします。
患者さんには、初対面にも関わらず、数々の質問に、誠実にお答え頂き本当に感謝しています。
スタッフも、失礼の無いように、緊張しながらも一生懸命問診しているようです。
ところで、問診の難しさは、何処にあるのでしょう。
ひとつは、相手の立場に立って間が読めるかどうかにあると思います。
その上で、病の原因は何処に有るのかを探っていくのですから難しいのは当たり前です。
間が悪い(ぎこちなさ)は、あまり上手な問診とは言えませんし、こちらが主導していかなければ病の本質には迫れません。このバランス大切です。
ともあれ、患者さんとの温かい、ホッとする様な人間交流の場になって欲しいです。尋問では無いのですから…
それが一番大切な事ではないでしょうか。
梅雨もおしまい
また来年ね
どの様な場面であれ、適切な立ち位置を心掛けたいものです。
ポジショニングを弁えるのは、人、物事等、人生全般に渡って大切な事だと思います。
また、全体が分からないと、立ち位置は決められませんので、立ち位置を決める癖をつける事で、全体の把握の訓練にもなるわけです。
出過ぎず、引き過ぎず、自分の立ち位置をバランスよく決めるには、ある面、センスも問われます。
また、それは、時と場合により刻々と変化するので、同じ事は通用しません。
卑近な例で言えば、昔の女性は三歩下がって男性の後ろを歩くのが当たり前の時代でした。これもひとつのポジショニングです。
最近は、女性優位で、男性が女性を警戒してる感すら見受けられますが…時代でしょうね。
また、今は精神闘争すら、薄れている様なので、自己主張が余りありません。多いのは、わがままだったり、偏見だったり…。これでは、全体を見てポジショニングを決める以前の問題です。
最近、自分も含めて色々人と話していて感じる事です。
花の中にアリンコ達が…
深海に咲いてるみたい。
時間を見つけては、時々、植物園等に出かけてお花の写真を撮りに行きます。きっと皆さんに見てもらって喜んでるはずです。
この精巧さ、この色合い。素晴らし過ぎて溜息が出ます。
誰が作ったの?誰が調合したの?誰にも答えられないのですから…何て楽しいのでしょう。
そして、この花達と小さい生命が一生懸命生きてるのです。誰にも気づかれ無いように。。健気なものです。
こんな花たちを見つめて、人間に思いを馳せます。人も同じなんだと。存在してる事が奇跡的です。
鼻や目などの五感、意識や無意識の世界。この素晴らしさに謙虚にならざるを得ないです。
この五感が健康である事は幸せです。美しさも醜さも、有りのままを感じていける感覚。
五感は表層ですが、五感が正常ならその深層も正常なのです。
鍼は、人が自ら修復出来ない程の、雨風嵐に会った時、ほんの少しのアプローチで、大きく役に立ちます。表層から深層へ、抜群の修復能力を発揮してくれるのです。
ともかく、そのままを受け入れてくれる。これ以上の励ましは他には見つけられません。
これが東洋医学です。
小さくて可愛い。名は?
野アザミ
最近、気温のアップダウンと、湿気の為か、患者さんもこの気候のように体調の変動が激しいです。
毎日、体調が激震する方と、何がどうあれ全く影響の無い方と…色々です。
バックボーンには様々な要素があるのでしょうが、この差異、埋めていきたいものです。
仕事が多忙過ぎたり、人の何倍も気を使っていたり、精神的ストレスが大きい人…この様な方は、気分転換、絶対必要です。
普段している様な気分転換では追いつかない時もあります。
思い切って旅行に行くとか、近場でもガラッと環境を変える勇気、大切ではないでしょうか。
これは逃げてる訳ではなく、囚われてる心を開放する為です。
精神が縛られていたり、緊張していると気が動きません。
自然に触れて、場所を変えてみて、湧いてくる心を感じてみるのです。
開放も、執着も、停滞も、緊張も全て自分発です。
後は、気を停滞させるものに執着しない「しなやかさ」を、身体から、鍼で、湧き出していきましょう。
師匠が先日、「僕が開業して半年経った頃気づいたんだよ。人は何故、病気をするのかって」と言われました。
病んでる患者さんの、内面を感じられての発言です。
私達臨床家は、いつも患者さんから色々な事を教えて頂きます。
忍耐の人、無茶する人、臆病な人、素直な人、取り越し苦労の人、感謝の人…本当に様々な性格に働きかけていきます。
ですから、この仕事は難しく、やり甲斐もあります。
我々は、よく邪気と正気のせめぎ合いと、表現しますが、ある面、患者さんの内面と、こちらの内面のせめぎ合いでも有るわけです。
そこが負けているようでは、治療効果は芳しくありません。
押し過ぎず、引き過ぎず、でもある時は、グイグイ押して、ある時は、無風状態にする。それも時を逃さず、意識し過ぎずに。私は考えると全く出来なくなりますが。。。
この辺りのせめぎ合いは、師匠の得意分野です。
これが出来る様になるには、多分、相手を正確に知った上で、自分を強烈に保ちながら、自分を消す…技が必要でしょう。
臨床現場は正に、私達にとって闘いの場所ですから。。。
技ありでいかなくては…ね。