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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2013年8月5日(月)

100.死ぬ事と生きる事

小さい頃から、人は死んだら何処に行くのかとよく考えたものです。

それは、きっと小さい時、祖母の死や、母の友人の死に立ち合った頃から芽生えたように思います。

自分の死を一番身近に感じたのは、阪神淡路大震災の時です。きっと後数秒揺れていたら私は今ここに居なかったでしょう。

一瞬にして、大切な友人が亡くなり、余震の度に、自分の死も直ぐそこに迫ってくるようでした。

大人になって、生きることと死ぬことは、どちらも繋がっていて切り離せないものだと感じるようになりました。

生きる事は、死に向かって歩いてるわけで、誰人も避けられませんが、死もまた生に向かっているのです。

お昼よく活動したら、夜いい睡眠がとれるのと同じ様に、精一杯生きて、自分の使命を果たしたら、休息期間にはいり、充電できたらまた生まれて来る、と教えてもらいました。

たとえ、若くして、また、不慮の事故等で命を亡くしたとしても、後の人が、必ずその人の死を意味あるものにしていく…そうして使命を果たす人もいるのではと感じてます。そう考えないと悲し過ぎますし、私はそうします。

今もっと、死ぬ事と生きる事の両方を大切に考えれば、世の中は変わると思えてなりません。

2013年8月3日(土)

99.考えない事

よく患者さんに、その問題、考えても急に解決しない事なら、しばらく考えない方がいいですよとお伝えする事があります。

考え過ぎて迷路に入って抜けれなくなり、体に変調をきたしているからです。

何も考えずに様子をみて、次に起こる変化に対応する。

ごく自然に、なるようになる…無責任のようですが、それもひとつの手なのです。

実はこれ、鍼治療にも言えることで、変にあれこれ考えないで、整体の変化を伺うやり方です。

鍼治療の目的は、身体全体の歪みを調える事…本来の姿に戻すお手伝いをする事です。

であれば尚更、考え過ぎて迷うなら、作為的にならず、先ずそのままを感じていく事が大切です。

考えてもどうにもならない事は、焦らず一旦捨てる勇気大切です。自然に逆らわない事でしょう。

川に流された時、一番助かる方法はジタバタせず、流れるままにいれば自然と浅瀬に着く…と同じことです。

考え過ぎて、自然に逆らうから、歪みが生じると、私自身も銘記したいです。

2013年8月1日(木)

98.子どもは鍼の証明者

夏休みに入って、毎日、鍼灸院は賑やか至極です。

子どものパワーは、10人力。ここは狭いので大変です。

その中に、最近、並外れたパワーの男の子がきています。

主訴は、弟を噛む…です。確かに、吸血鬼のように、弟の頚部に噛み付いてます。弟が泣き叫ぶと、今度は足に噛み付き、歯型がくっきり。。

それを冷静にみている肝の座った0才の妹…。こんな3人の子育てに奮闘している若いお母さん、本当に立派です。

とに角、イタズラ三昧で治療になりません。逃げ足速く、何も出来ない状態ですが、ここは腕の見せ所。

この様な子は、とても敏感なので、実は大人をよく見ています。

心さえ掴めば半分は治ります。残り半分は鍼で必ず良くなります。

抱きしめた少しの隙に、接触鍼(古代鍼)をします。これが本当の接触鍼と笑いながら。

1~2回の治療で、噛む回数がグンと減り、喜んで毎日のように来てくれます。

テンションが高い子ども程、大歓迎です。気の動きが速い彼等は、鍼の証明者ですから。

2013年7月30日(火)

97.北辰会の勉強会

北辰会は私の所属する鍼灸学術団体です。毎月参加して、今年でまる10年。。。速いものです。

10年はひとつの節目ですが、先日参加して、基礎の大切さを改めて感じ、また一から学びなおそうと意欲が湧いてきました。

特に、午前中の、心、小腸、心包、肝、胆の臓腑経絡の講義は、その全体像から様々な事が連想できる、素晴らしい講義でした。

午後は、同じ臓腑経絡で、ツボの事を深く掘り下げた講義、また、実際のツボの取り方を学び、一貫性がありとても充実してました。

北辰会には魅力が沢山有ります。

鍼灸師1人1人が、自分の個性を発揮できる場所です。そして、何でも話せる純粋な仲間達の集まり。

勉強会が終わってからの飲み会は、自由参加ですが、普段、疑問に思ってる事や悩んでる事を話せる貴重な場所でもあります。

今回も、色々話しを聞いたり、聞いてもらったり、自分が思いもよらない角度の話しに時間を忘れてしまい、お店の終了時間まで居座ってました。

直接、顔をみて話し合う能力が低下している現代、北辰会での人間学を含んだ勉強会、是非、来ていただきたいです。

2013年7月28日(日)

96.微細な差異

人と話しをしている時、微妙なニュアンスが伝わらないと思う時と、ピタッとくる時があります。

広辞苑によれば、ニュアンスとは、「色、音、調子、感情などの微細な差異。陰影。濃淡の事」とありました。

やけに納得してしまいました。

案外、人がストレスを感じる事のひとつに、この微細な差異(違和感)があるのかも知れません。

患者さんが、先生、分かってくれない、分かってくれる、と感じるのも、この「微細な差異」がものを言ってるような。。

今後、いくらハイテクが進んでも、情報量が膨大でも、この辺りのキャッチは出来ません。

人が顔を合わせて対話してこそ、この微細さを感じる事ができるのでしょう。

先日、同業者と色々話をしていると、ニュアンスがピタッと、腑に落ちる感覚、何か心が満たされました。

まだ開業はされてませんが、これは、大成する要素のひとつかも知れません。

時代の潮流が、心から離れれば離れる程、人は心を求める気持ちが益々強くなります。

きっと、心の微細さに触れる人を探し求めるのでしょう。

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