忙しいの「忙」は、心を亡くすと書きます。確かに、忙し過ぎると、心が定まらなくなります。
心の器。人によって、この器の大きさが違うので、どこまで溢れたら、心不安定になるかは人それぞれですが…
最近、忙殺されて、自分の器の小ちゃさを感じています。
今できる事は、ひとつ。ひとつひとつ、地に足をつけて実行するしかありません。
地に足をつけるには、お臍の下にある、丹田に気を集める事です。
ツボでは気海辺りです。気の海なんて、いいネーミング。
武道家だけでなく、バランスのとれている人は、皆さん、ここ気海丹田に気が集まり安定してます。
気海丹田に沢山気を集めて、心の器を広げていきたいものです。
京都の鴨川
時代は流れていく…それもそうですが、どこか主体性に欠けた表現です。
時代は創るもの…こちらの方が何倍もワクワク感があります。
私は、東洋医学の考え方や、鍼灸が、本格的な医療として当たり前になる時代を作りたいと夢見ています。
先週、第41回伝統鍼灸学会が京都で開催され参加してきました。
火に油を注ぐ…とは、師匠の言葉ですが、何であれ、鍼灸師の集まる処が、常にそのような燃える場になれば、新しい鍼灸の時代がくると信じます。
時代を変えるのは青年の熱と力。我が北辰会でも、新進気鋭の若手メンバーが、堂々と発表してました。
時代がどう流れて行こうと、自分の主張を堂々と、周りを糾合しながら語り、実践している人こそ、真の青年だと思います。
命は限りあり、短いです。時には、周りが引く程に、主体的に生きるのもいいですね。
患者さんの背景…当然ながら実に様々です。
問診で語って下さる事は、氷山の一角、真実の思いで無い事もあります。
そんな中、分かってるつもりだった…のに、実は、全く気付いて無かった…という事も多々あります。
反対に、自分より他人の方がよく分かる事も、多くあります。
様々な思いが入り混じり、複雑そうな、単純なココロを抱えてるのが私達です。
こんなココロを知るほどに、謙虚になり、好きになり、許しも許されもし、興味がいつ迄も尽きません…ね。
私は、ほぼ毎日、自分に自分で鍼をします。それも夜中、静まりかえった真っ暗な中で。。。ちょっと怖いですよ。
鍼が、身体が望んでるツボに、1ミリのズレも無く、ピタッとはまった時のあの感覚…凄いのです。
鍼先から様々な事を感じます。
例えば、五味(酸•苦•甘•辛•鹹)を感じたりもします。
自分がその時に必要な味なのでしょうか。実際に味覚を感じるわけではありませんが…
今日の私の身体は、「甘み」を望んでいたようです。
鍼先から、温かくて、優しい甘みが必要なところに広がっていきます。
何て心地よいのでしょうか。これが、ささやかな、私の至福の時間です。
気が動きにくい方。。。当然、おられます。病が頑固か、気の停滞を起こす要因があるか、養生を守っていないか、術者任せか、せっかちか、こちらの技術が乏しいか、間違っているか…また、大きく変化するには、それなりの時間を要する為か…まだまだ有りますが。。。
その理由を考えます。理由無くして、気が動かない事はあり得ないのです。
明確な理由が分からない場合、一番大事な事は、体表観察です。
ツボの状態には、ウソがありません。いくら、患者さんが迷っても、こちらが悩んでも、心動かさず、素直に体表を観察してツボや脈に尋ねてみること。これが師匠の教えです。
その上で、虚(何らかの弱り)が中心であれば、ある程度補われる迄、症状緩和は遅く、
実(何らかの過剰の邪)が中心ならば、気の動きは速く、症状緩和も速いのです。
さて、ある疾患、脾腎の虚が今は中心、ここをしっかり補いながら、疾患のストレスと性格を鑑み、ほんの少し実を叩く…そんな治療に切り替えます。
全ての臨床は、決めてこそ、結果は現前と出ると信じます。たとえ、気が動かない理由が複雑であったとしても、優柔不断では何事も進みません。
この真剣勝負こそ、日々、勉強になるのです。こうして、私、段々、男らしくなっています…