ALSという難病中の難病と闘いながら、いつも柔和な笑顔を見せて下さる患者さんが、
今日は私と話しがしたいと言われ、ベッドから車椅子に乗り換えられました。
そして、私の方に、車椅子を向けるよう奥様に指示され、文字盤を使いながらの、まさしく、対話が始まりました。
1文字を伝える事がどれ程大変か、健康な人には想像出来ないでしょう。
小さい頃のお話し、医師として、人の為に尽くし抜いてこられた誇り、そして、病に倒れた悔しさと無念さ、
中でも、患者さんの一番の訴えは、担当医の度重なる冷酷な態度への怒りでした。病の人を蔑むような傲慢な態度。これ医者でしょうか。。悪魔…
一言一言を全身で受け止め、私も有りのままの思いをお返ししました。
患者さんは、「なぁ、なぁ、」と賛同の声を何度もあげれました。
その声と涙は、患者さんの上がらない手が、「人間の尊厳は不滅だ!」と、拳を上げて叫んでるように見えました。高貴な人格は、冷酷な医者も難病も遥かに見下ろしています。
一生忘れられない日になりました。
先日、感動しながら読んだ記事の一部抜粋です。
「(略)現代社会の骨格に据えるべきものは、こうした喜びの分かち合いを通じて、社会を「富の輝き」ではなく、「尊厳の輝き」で満たしていくためのビジョンであり、「最も苦しんでる人を絶対に見捨てない」という同苦の精神ではないか…」
この中に、人としての最高の生き方、最高の精神のあり方を感じます。
今、日本は物質的に豊かになった反面、心が、何かに飢えているようです。
それを求めるほど、心に傷を負ってしまう。もがき、求めても満たされない心。諦めや自暴自棄。
大人から子どもまで、この葛藤が心身のバランスを崩す大きな原因にもなっています。
先日も、ある患者さんが、この世から全ての携帯が無くなって欲しい…と切実に言われてました。
色んな思いがあると思いますが、心が心底、疲れているのでしょう。
でも、最も苦しんでる人は、最も苦しんでる人を助ける事の出来る人でもあります。
現代の心の傷を癒していくには、相手も自分も「同じ貴い存在」と信じ、互いに尊敬する心を広げていくしかありません。
この中に、本当の心の満足や豊かさがある事を確認しました。
師匠からの書(真理はただ一つ)
「心身一如」という言葉があります。心と身体は繋がっていて、切っても切れない関係にあるということです。
これは、殆どの方々が日常、大なり小なり感じておられる事でしょう。
単発的に嫌な出来事もあれば、長期に渡っての憂いもあります。また、小さい頃の、いわゆるトラウマによる感情の乱れなど、様々な精神状態が、何らかの身体の不調となって現れます。敏感で言葉で表現出来ない子どもは尚のことです。
人間は、本当に繊細な感情を持って生まれてきました。
よく、うつ状態やパニックを起こす患者さんが、身体の痛みを訴えてこられます。
みると、精神不安定が大になると、体の痛みは少なくなり、反対に、身体の痛みが酷い時は、精神状態は安定する…こんな事もあります。心の痛みを身体が代わってくれてるのです。
15年近くパニック症候群に苦しめられてきたある患者さんが、股関節などの痛みを訴え、約1年半前に来院されました。治療を開始してパニックは激減し、半年後から現在に至るまで、ストレスがかかっても全く起こりません。
今日、「先生、体の芯から元気になっていくのを感じます。」と喜ばれておられました。本当に嬉しい一言です。
これからも、身体から心へ、更にはもっと深い部分、魂をも揺さぶる鍼を、悩める患者さんの為に追求していきます。
今、20代の人達は、「さとり世代」といわれ、「自己主張せず、悟ったふうで、無駄な努力や衝突を避け、過度に期待したり夢を持ったりせず、浪費せず合理的に行動する」と言われてますが、どうでしょう。
さとり世代は、ネット世代です。若者に限らず、情報通信社会に毒されてる面もあるでしょう。
手軽に、善悪に関わらず、どんな情報も手に入る時代…落とし穴がたくさんあります。
自分の関心のある事にのみ傾注し、今現実に起こってる出来事に関心を示さない人、
情報があり過ぎて、神経過敏になり、発言に臆病になってる人、色々です。
ともかく、面と向かった対話こそ、最高に楽しい自分磨きと思います。
人との関係が臆病になる。。本音で対話する人がいない。。かなり心身に影響を及ぼします。
ネット画面でなく、人の心に関心を持ち、対話する。そこに、人の幸せに喜び、人の悲しみに寄り添う、人間らしさが生まれるのでは。
自分の意見を言うのも勇気がいります。鍼を介して、その勇気、注入したいですね。
師匠から頂いた駿馬
患者さん(上月さん)の手ずくり
今年の初研修で、師匠から頂いた言葉は、「医にして哲学者たるは神に等し」でした。凄い一言です。
これは、古代ギリシャの医者、「医学の父」と謳われたヒポクラテスの言葉です。
医師の倫理、任務などについてギリシャ神に誓う「ヒポクラテスの誓い」は皆さんも知るところでしょう。
ヒポクラテスは、臨床において発見した症状と、治療法を客観的な方法で記録する事を重視していたそうです。それも病は呪いなどと言ってた時代にです。
顔色、脈拍、熱、痛み、動作、排泄など多くの症状に注意を払い、記録をつけ、患者さんの家族の病歴や住んでいる環境なども観察対象としてました。
更に、病歴を聞くとき、患者がうそをついていないかどうかを知る為に患者の脈を図ったことがあるとも。
これらは、正に、師匠の診断方法と同じです。師匠は人間観察の達人。本当に鋭く限りなく人間的です。
勿論、医療技術の進歩によって、検査技術等も素晴らしい進歩をとげています。といって病人は減少していません。増える一方です。
時代は過去でも、ヒポクラテスの診断方法は、人間を観察し、その環境を知り、その心に寄り添う…今後、ますます見直されるべきところでしょう。
病を見て、人を見ない、そんな時代を脱却する時は、今だとつくずく感じます。