こんな沢山のバラ…感動しました!
桜が咲く頃は、特に気が上に上に上がります。一斉に草木が芽吹くからです。
気が上がり過ぎて、今度は下がったり、気分のUPダウンが忙しい季節でもあります。
ましてや、自然のままの子ども達は、容赦無くテンションが高くなります。
今日、仕事中、遠方で泣き叫ぶ声が聞こえてきました。
その声が近づき、ドアが空くと、けたたましい叫び声。あらら…子どもは遠慮無しです。素晴らしい生命力。。。
普段から肝気が高く、じっとしてられない3歳の女の子でした。
お母さん、何度も外に連れて行っては戻ってきますが、益々ひどく泣くばかり。先生、今日は無理ですね…
と言われるので、
じゃ、玄関で治療しましょと、古代鍼をチョンとかざしました。
一瞬にして絶叫が嘘の様にピタリ。その変化に、待合室の患者さん達が「え?うそっ~」「何したんですか?」と興味津々です。
自分の感情に素直な子供たちは、春こそ鍼の効果を証明してくれます。
お母さんが怒る、子どもは泣く…更に怒る、更に泣く…こんな循環にハマってる人、ドンドン来て下さい。
桜が満開の最高の春の日和。こんなポカポカ陽気に、ある患者さんが、「先生、寒くて寒くて北極に居るみたい。」と言われます。
確かに手足やお腹を触ると氷のようです。ガタガタ震えてタオルを何枚もかぶっておられます。
舌は酷い紫色、脈を診ても、風邪が入ってるとは思えません。聞くと、生理前との事。ガッテンがいきました。
患者さんは、私たち鍼灸師の師匠でもあります。日々、様々な事を、様々な形で教えて下さいます。
これは、強烈な、レベルの非常に高い、気の滞りからくる悪寒とみました。
後渓というツボに鍼を一本。気が巡ったのでしょう。帰りには、手足ポカポカ、北極から脱出しましたと笑顔です。
この患者さんは、高校生の頃から、生理前の、いわゆる、PMS(生理前症候群)に悩まされてきました。
このPMSは、ただの生理前の過食やイライラなどでは済まされない、日常生活に支障をきたす程の酷い症状です。
「先生、生理前にあのイライラが無い…こんな日が来るなんて信じられない…」と静かに驚かれてました。
何十年も、毎月毎月、ひとり、どれ程辛い思いをしてこられた事でしょう。想像を超える大変な闘いです。今この様な患者さんで溢れてます。
「良かったね。もっともっと、信じられない程、元気になるからね。」と言ってあげられるこの仕事に感謝します。
辛い辛い思いを抱えている患者さんは、鍼の絶対の証明者です。
いくら感謝してもしきれません。
先日も師匠の臨床現場に行ってきました。いつもの如く、頗るお元気で上機嫌です。
ここに来ると不思議な程、心が豊かになります。凄い場所です。
師匠の鍼に対する情熱、本当に楽しそうに爆笑されるお姿、患者さんや弟子とのやり取り等々。。。
いつも有りのままのお姿ですが、師匠が発する全ての空間には、病を吹き飛ばす勢いがあります。
みんなこの勢いに巻き込まれていくのです。楽しく、楽しく。これが、師匠の臨床現場です。
師匠は今日も、「病気を通じて人間を診てるんだ!結局、人間だぞっ」と言われました。
有言実行の師匠の一言一言にはズシッと重みがあります。
人間を理解出来なくて、人間に優しくなれなくて、真の臨床は存在しません。
人間理解は言葉を越えても通じ合います。師匠のように、何十年かかっても、人間理解の達人を目指したいですね。
人間の正常無垢な深層が動き出しますように…と願って。
約3年ぶりに、とある患者さんが、来院されました。何処か具合が悪いのですか?と問えば、体調を調えるためにまたお願いしますとのお返事。これは嬉しいです。
贅沢かも知れませんが、体調管理に鍼治療を受ける意味は大きいと言えます。
この患者さんは、鍼を受けてから、気がつけば、今まであった手の湿疹が無くなっていたり、顎関節症も治っていたんですと言われました。
今回、周りの友人が病に倒れていく姿を見て、思い出して来てくださったのです。
小さな症状の改善は、大きな病気を防ぐことになります。大事になる所を小事で済んだりもします。
鍼をしてから風邪を引かなくなった、口内炎が出来なくなった、便通が良くなった、熟睡できるようになった…等々は、何気ない一言の様ですが、とっても大切です。
気がつけば、心身共にストレスにも強くなっていきます。
鍼最高ですと、笑顔で言って下さる患者さんから、鍼の力を日々教えて頂いてます。
家族であれ、他人であれ、人を思うという事は、実は簡単ではありません。
思うというのは、相手を信じて、相手の立場になって、心から思いやるという事です。
幸せを、健康を、成長を、祈ってますよ。と口で言うのは簡単ですが、心の底から人を思うというのは難しいものです。
自分も人も誤魔化せないのが、この生命の響き合いです。口先では生命に響かない…。
反対に、口に出さなくても響き合う生命もあります。余りにもシビアです。時空も超えてます。
臨床現場では、鍼の理論や技術も当然大切ですが、この何ともし難い生命(心)の問題を見つめざるを得ないのです。
嫌でも自分の生命と人の生命を見つめる事の連続が、臨床です。
生命と生命の響き合いこそが臨床であり、根っこであり、闘いです。
この限りなく大きくもなり、小さくもなる生命の不思議さに合掌します。
「人を思う」この道、勇気のいる道、生命が一番喜ぶ、この道を進むのみです。