紫のリンドウが咲き乱れてます。
7月は父が出生した月でもあり、逝去した月でもあります。
それも、昨年の7月、77歳でこの世を去りました。余程ラッキー7が好きだったんですね。父らしい。
今、父橋本正博の生命は何処に居るのでしょう。何を感じてるのでしょう。
宇宙空間が楽しくて、もチョットね~とのんびりしてそう。
そんな妄想はとっても楽しいです。
『素問』『霊枢』を白文で読み、殆ど暗記してたのでは、と思う程その精神に傾注してました。
何時も、素問・霊枢が本当に分かるのは70過ぎてからだぞ、と。意味深な言葉に、70歳が楽しみにもなったりして。
日本では何故か、特に、歳をとる事を忌み嫌う傾向が強いですが、
人生の侘び寂びを知って、深みが出て、豊かになるという事でもあります。
父の場合は、生前から異次元に生きてたような感じでしたので、
歳を重ねる度に、深みや豊かと言うより、激しくもユニークになっていった様に感じます。
私の原点の書、藤本蓮風先生の『弁釈鍼道秘訣集』に、
「生命は生命で知り、直感によって書かれたものは直感によって把握する。
我々が何かを理解しようとして物事を分析する時、いつもある立場に立つ。
そして一面的にならないように多次元的に把らえて、それを総合して物事に近づこうとする。
しかしそれは外からの理解である。
本当に物事を知るには、その中に入って内から理解しなければならない。
それが直感である。」とありました。
確かに、師匠は常に人を丸ごと捉えて、その本質を理解しようとされてます。
心して臨床に向かいたいです。
散歩してると美に出会います。
「桜梅桃李(おうばいとうり)」という言葉が好きです。
(出典『古今著聞集』)
桜は桜の美しさ、梅は梅の、桃は桃の、李(すもも)には李の、其々の美しさがある。
桜は桃になろうと思っても絶対なれないように、
誰にも真似できない、其々の個性があるという事です。
意識なく似てくる事はあっても、桜が梅になろうと必死になる必要はないです。
何処までも自分らしく、自分にしかない良さを発揮していけばいいと思います。
ただ、個性と言っても、自分らしくと言っても、信念無き個性はイマイチ魅力的とは言えませんが。。。
一心不乱に何かに挑戦する姿に個性は輝くのかな。
そうやって、個性とか自分らしく…なんて思わなくても、自然と滲み出てくるものが、本当の個性なのかも知れませんね。
雨のお陰で生き生き。
毎日、朝が来るのが早過ぎて驚いてます。
それだけ歳をとったのか、充実してるのか。
よくよく考えてみれば、
患者さんのバックには、実に様々な方が関わり、人生が回転してます。
ひとりの患者さんが、一本の鍼で、楽になり希望を持って笑顔で帰って下されば、
そのバックに居られる全ての方も、必ずいい回転になっていきます。
その事を日々実感してます。
今日も、「先生に大丈夫ですよ!と言って頂きたくて来ました」また、「息子に感謝出来る様になりました」等々。ホント嬉しいです。
本当に安心出来る心身にしていく事が私の仕事です。
患者さんのお陰で、こんなに朝が早く来るんだと、今日もただ感謝の気持ちです。
患者さんからのグラジオラスを私流で。
ある精神疾患の患者さんが、かなり落ち着いた時、こんな事を言われました。
「先生、鍼をしている間、過去の事が湧いてくるように思い出すんです…」と。
「多分、封印されてた様々な思いが浮いてきてるんですよ。浮いてきたら後は抜けていくだけですからね」とお伝えすると、
「私もそう感じました。じゃ、いい事ですね。」と安心された様です。
心身一如ですから充分考えられます。
この何気ない治療過程でのやり取りが、結構大事だったりします。
患者さんの様々な思いをどう受け止めて、どう返していくのか、
口先でなく、真心から出た、本当に思う事を語ってます。
いつもいつも、心持ちが試されます。