父は亡くなる年のお正月に、「な、死んだらどうなると思う?」と珍しく真剣な話に。
勿論、まだ病気の事も誰も知らない時です。
人は、自分の死期を直感する事が出来るんだと後から思い知らされましたが、
父も無意識に分かっていたんでしょう。
一番長生きしそうな父からそんな質問が出て、その時は皆で笑ったものです。
その時、今母が生きてたら80だねと言うと、やたらに感心して、そうか!凄いなぁ。80は立派だなぁ。と何回も何回も。
母はいないのに、まるで生きてるかの様に感心する父を見て、どうしたのかな?と思いつつも、きっと、自分が死ぬ年齢も意識してたのかなと感じます。
誰もが避けられない死という問題。
この一大事を見つめてこそ生は本物になるんだと教えて貰いました。
父は素朴な花が好きでした。
父は、数カ所の専門学校で古典鍼灸を教えてました。
中でも、闘病に入る直前まで行岡鍼灸専門学校で教鞭をとっていました。
77歳にも関わらず、古典が読める方が少ない様で居らせて頂いた様です。
私は違う専門学校でしたので、父の授業の様子は知りませんが、
父の卒業生とは縁が多く、父らしい笑える話を沢山聞きます。
耳が遠い為、質問は殆ど受け付けず、試験に出る所は全て教え、実技の合間に黒板の前で堂々お昼寝タイム…
晩年はセロテープ療法なるものを実践してました。(鍼をツボに置いてセロテープで貼り、何分間かしたら取るというもの)
こんな自由人でしたが、父の授業で鍼の面白さを知ったいう方によく出会います。
一度授業受けてみたかったですね。
父は、謡(能の声楽部分)の師範で、3つも教室を持っていたそうです。知らなかった。。。
亡くなる3ヶ月前まで教えていたとの事。食道癌末期にも関わらず。恐るべし。
昔から、カラオケに行くとプロ級の上手さ。
腹式呼吸の訓練をいつもしていて、声を鍛えていたからですね。
私にはお腹が出るからと腹式呼吸を教えてくれませんでした。
娘だからというより、父にはいつも、素問・霊枢に書かれてある様に、柔軟な女性への特別な憧れがあったように思います。
父のお誕生日を居酒屋さんでお祝いした時、唄ってくれた謡は最高でした。
人目も憚らず、完全に自分の世界に入ってました。こんな所が本当に父らしいです。
生ある物を最後まで大切に…
怒り出すと止まらないんです。。と正直な患者さん。止めたくてもどうしようも無いのでしょう。
本当に辛いのはご本人です。
人間関係のストレスに対して、「自分と似てるからイライラする」と言われてました。
よく聞くと、本当は自分を信頼して欲しいのに、信頼してくれてないと感じての怒りのようです。
どうにも止まらない怒りの生命。本当に可哀想です。
怒りを人に向けてるようですが、結局、「自分を責め過ぎてシンドくなって、他人を責めてしまうんですよ。自分を責めないで。」とお伝えしました。
自分を信じる…簡単なようで難しいですが、
怒りは行き場の無いエネルギーの爆発でもあります。
身体から怒りの大元になっている深層へ、鍼は働いてくれます。
父は生前、「奇人会」という小グループを作っていたようです。亡くなってから知った事ですが。。
余程の奇人変人の集まりで、写真に写ってる方々…それは楽しい会だったのでしょう。
奇人変人と言えば、間中喜雄先生。
間中喜雄先生(1911-1989)は、外科医(京大医学部で医学博士号取得)でありながら、鍼灸医学の発展に貢献され、日本初の鍼麻酔による外科手術も成功させた凄い方です。
この先生、医師会ではかなり変人扱いされてたようですが、自らも、
入り口正面には、「奇人・変人大いに歓迎。ただし、一芸に秀でた者に限る。」と、掲げてあったそうです。
父はこの間中賞受賞者の第1号で、間中先生自らが父を選んで下さったらしいのです。父50歳時。
父から間中先生の裏話を度々聞かされました。
そんな話、私にする?という感じでしたが…父の奇人変人ぶりは、今尚、私の中で日増しになります。