以前、師匠も言われましたが、治療はある面、戦と一緒です。邪気と正気の攻防戦です。
思い出せば、体調をかなり崩した時の師匠の治療は、正に、戦に向かう武士の様でした。(大袈裟では無く…)
病に立ち向かうその勢いと迫力。あの時の師匠の治療、忘れる事は出来ません。
私は女性の身ですが、同じ様な気持ちで治療には臨んでいるつもりです。
現実に、重症である程、厳しい闘いです。
冗談言ったり、笑ったりしてますが、それも真剣の上の冗談。全て治療です。
病魔に患者さんと共に勝つ、これが日々課せられてる闘いです。
終なき闘い…幸せな事です。
本当にありがたい事です。
父母の大樹に守られて。
昨年の今日、父が亡くなった日です。
土曜の診療がちょうど終わり、車に乗り込むその時、今亡くなったと電話がありました。
滂沱の涙が溢れましたが、父の青年の様に若返った顔を見て、うそでしょ!と皆んな笑顔に。
亡くなる瞬間、突然、両手を挙げて「万歳!」をし、手が下りたところで今心停止しましたと、看護師さんが飛んできた様です。
後から聞くと、父は大好きな京都からの帰り際、ホームの向こうでバイバイの代わりに万歳をしてたそうです。
見事な最期です。
思えば、母を膵癌で亡くして丁度10年目、2人には共通項だらけでした。
同じ末期ガン。それも、同じく食べられない辛さを味わい、宣告から逝去まで同じ2ヶ月半。
闘病中は有難うの感謝の言葉だけ、本人は苦しいのに寧ろ周囲を笑わせ、鍼灸治療を最期までやり切った所まで全て同じでした。
そして、同じく、告別式が終わったら、見たこともない様な素晴らしく美しい夕日が…忘れられない人生の幕閉め。
怖いほど同じ。。。
ここには、書き切れない程、様々な事がありましたが、何ていう夫婦なのかと驚きです。
私に鍼の素晴らしさを残して、生命の大切さを叩き込んで逝きました。
これからが本当の親孝行だと思ってます。
最後に、思いがけずも、本当に沢山の方々に見送って頂きました。改めて心から感謝申し上げます。
本当に有難うございました。
幸せな父へ
幸せな娘より
「エンジェルス・イヤリング」は西宮初のお花です。
いよいよ酸素マスクをしないと呼吸困難に。
それでも、手足をバタバタさせて、赤ちゃん体操~と超無邪気な感じ。
父のベットの側で寝ていた私の頭を撫ぜ撫ぜしたり…感謝してくれてた様です。
どれだけ笑わせて、泣かせてくれた事でしょうか。笑いの方がダントツでしたが。
殆ど話せなくなった亡くなる1週間程前、たまたま家族皆んなが揃っていた時の事。
父が紙に何かを書き出しました。(天地人は宇宙=仏)そして、ひとりひとりを指差して、皆んな仏さんやなぁ~と…驚きました。
その時の、病室の空気を忘れる事が出来ません。厳粛で、温かくて、幸せで、宇宙空間にいる様な静寂な気がゆっくり流れていました。
父は、癌と言われてから、偉人たちの死に方を書いた本を読んでましたが、
父の最期も、その方々に負け無いほど、高貴な精神だと思わせてくれました。
病によって父はその精神を得たのだと思いました。
完全に癌を乗り越えた父の姿がありました。
小さなvサインの積み重ね。
胃腸の中が空っぽ。また癌自体は熱邪の塊。
ある日、腹膜炎らしい激しい腹痛が起こりました。
病院はやめてな…と常々言ってた父ですが、仕方無し救急車がやってきました。
激痛なのに、香水入れといてねとの言葉には、ホント驚きましたが。。。笑いました。
運ばれた病院は何と、私が以前往診していた真隣の小さな2階建ての病院で、幼稚園と隣接。
その造りは自宅さながらの温かさ。障子があったりと家庭的です。
父は、ここは世界一の病院だと大絶賛。
主治医も看護師も、お灸でも鍼でも何でもして下さいよ~とあり得ない程親切です。
この素敵な流れこそ、東洋医学を守ってきた人の福運とでも言うのでしょうか。
危機になっても、鍼灸で復活する父の姿に、看護師さんが、色々質問してこられました。
復活すると、大好きなビールも飲んでいいですよ~と看護師さん。飲めませんので口でうがいですが、美味しい美味しいと満面の笑みでした。
あ~ぁ、床もビールの香り。でもとっても幸せそうでした。
花達からいつも元気を貰います。
色んな癌がありますが、父は食道癌を選びました。選ばれたのか。
食道癌とっても厄介です。癌が食道を塞いで食事が出来なくなります。
口から入れて肛門から出す、この当たり前が出来なくなる…
父の癌は、食道の前にある気管にまで浸潤してましたので、もひとつ厄介でした。
食べられない日々が続きました。これがどれ程辛いことか、栄養点滴、これがどれ程味気ないものか、
なので、時々、口に入れて味を楽しんで出してました。それも凄い勢いで美味しそうに。その姿はホント男らしかったです。
美味しく食べれる事がどれ程幸せな事でしょうか。ゴクンが出来る幸せ。
病気で入院されてる方の為に、笑えるほど美味しい真心の食事を提供する。これが当たり前になって欲しいです。
ともかく、父は文句も言わず、栄誉点滴を自分で取り替えてました。
その姿は余りにも健気。。。尊敬の眼で見つめてました。