「日々の心いろいろ」より
患者さんの症状に対して、様々な角度から「弁証」という事をしていきます。
過去から近未来まで、病の流れを考えながら、今の病態を明らかにし治療していく方法です。
北辰会方式はそれらを捉える為に、体表を多面的に観察していきますが、
臓腑で言えば、肝の臓も脾の臓も心の臓も関わっていて、どの様に弁証し、どの様に治療していくか混乱…という事も多々あります。
そんな時は、先ず、臓腑は全て繋がっていて別々に出来ないという東洋医学の基本に返って、冷静さを保ち(笑)、
その上で、ツボの状態から、トップに病んでる所は何処か、そして、そこは何故トップに病んでるのか、
他の臓腑との関わりはどうか等を考えていきます。
繋がってるのですから、何処かが病むと、全体のバランスが乱れ、様々な臓腑に影響があるのは当然です。
そして、治療してみてどの程度、どの臓腑経絡のツボが修復するかを診ていきます。
体表は本当に正直です。だから私も治療ができるというもので。。
どこまでも、患者さんの身体から学ぶという姿勢を忘れず、治療に取り組んでいきたいです。
「日々の心いろいろ」より(シダレエンジュ)
よく患者さんに寄り添うと言いますが、それはべったりする事でもなく、
ずっと気にかけるという事でもなく、また、何か哀れみの心で接する事でもないです。
ましてや、自分の思惑から、きっと患者さんはこんな風に悲しんでいるに違いない…と勝手な勘違いをする事でもありません。
患者さんの今の状態、今の感情や辛さをそのまま受け止める事だと思います。
その為には、こちらがある面、素でいる事が大切です。
よく患者さんが、「先生、分かってくれて嬉しい」と言われますが、私はただ患者さんの訴えをそのまま聞かせて頂いてるだけです。
特別な事は無く、ただ患者さんの声に耳を傾けて、そんな思いされてるんだ…と。
未経験だらけの私が様々な事を教えて頂いてます。そんな患者さんの為に実力をつけていかなくては。。。まだまだです。
豊岡の山々
先日、ある番組で、困難な状況に直面した時の立ち直る力について、
「経験してきた情緒的な数」と、立ち直る力は比例し、何より自分の「感情を自分でコントロールする能力」が大事というような事を言われてました。
確かに、喜怒哀楽の経験が豊富なほど、生きてる限り様々な事があって当たり前と思えます。
自分の感情をコントロールする事は、平常時は問題無いですが、何かあれば揺れ動くのが人間です。
しかし、思い通りにいかなくて当たり前と、始めから思っておけば、いい事があった時、喜びもひとしお、感謝出来ます。
様々な事があるのは生きてる証拠。でも生きてる限り同じ状況はありません。
変化変化の連続です。
その変化を良き方へ良き方へ、向かわせていく為に私も鍼を持ちます。
皆さんの為に、自分の為に。
美しいデザイン
久々の東京駅
私は相撲が好きでよく見ますが、力士の中では特に白鵬が好きです。
バランスのとれた身体、しなやかな筋肉、闘う迫力、真剣勝負の眼、オフの時の笑顔、素直な感情…本当に魅力的です。
先日、雑誌を開くと白鵬の談話が掲載されていました。
「ー土俵は人を試しますからね。そこで自分の心がどれだけ耐えられるか、耐えられないか。
ー土俵に上がったら、自分ひとりですからね。最後は自分自身です。
ー他の力士との違いは、相撲が好きなことじゃないですかね。誰よりも。」
自分自身と闘ってる方の一言一言は深いです。言い訳や甘えが微塵も無い。
何事も成し遂げるために生き抜いておられる方には共通した所が多々ありますね。
「日々の心いろいろ」より(ウェディングドレス)
免疫学の世界的権威、新潟大学大学院教授の安保徹先生は、著書の中で言われてます。(『医療が病をつくるー免疫からの警鐘ー』岩波書店)
ただ症状に合わせて降圧剤など数種類の薬が処方される。
薬剤が進歩すればするほど対処療法の力が増し、原因を無視した治療に磨きがかかる。
現代医学が破綻し始めている理由の一つは、薬の進歩に「病気の本質を知る」考えが追いついていないことにある。。。と。
西洋医学の表裏をよくご存知の安保先生の言葉には格別な重みがあります。
病人は減るどころか増える一方です。病人が増え続ければ、医者は対応に追われ、
病の成り立ちや生活状態を聞き出す暇など無くなります。
すると病の原因が分からないので難病というものが増え続けていくという悪循環に陥ります。このままいけば益々大変な事に。
全ての医療関係者がこの悪循環にストップをかける必要がある事は言うまでもありません。