Tさんはこのお花の様な豪華な明るい方でした。
2月7日、私の母の様な方、Tさんが亡くなられました。
3日前までメールのやり取りをしてましたので本当に驚いてます。
Tさん79歳。驚く程ピュアな性格で喜びや悲しみを自由に闊達に表現される方でした。お料理も得意で本当に沢山ご馳走にもなりました。
今年、足が浮腫むとの事で、病院に行くと、腎臓と心臓の数値が大変なことに。即入院と思ったら、
よく効く薬があるから自宅で1週間飲んで、数値が下がらなかったら入院との事。
利尿剤ですね。尿がすごい出て出て…と言われた時に不安がよぎりました。血圧急降下しないかしらと。。。
電話に出られないので息子さんが飛んでいくとベットの下で冷たくなってたとの事。ショックでした。
死因は心不全と思われますが。。
ただ、昨年100歳の実母のお祝いを親族全員で盛大に開催され、
こんな幸せありません。全てに感謝の毎日です。と、いつもいつも口にされてましたので、ご本人はご寿命を全うされ逝かれたのだと思います。
寿命は誰にも分かりません。「生まれたら死ぬ」この絶対に避けられない大法則に厳粛さを感じます。
心からご冥福をお祈りいたします。そして、また違う世で必ずいつかお会いできることを信じています。
本当にありがとうございました。合掌
仕事の帰りに綺麗なお月さんが。
昨日、奈良に研修に行ってきました!
奈良は気温がここより3℃ほど低く、また酷い乾燥で院内は30%しか湿度がなかったです。
そんな中、師匠は黙々と治療をされ鍼の効果を楽しんでおられました。
北辰会方式はすごいぞ!と何度も言われてました。
もし師匠に出会わなかったら今の私の治療はありません。
実は北辰会に入って暫くしてから、このやり方を辞めてどんな方法があるのか自分なりに考えたことがあります。
色々書き出しましたが、結局この北辰会方式になってました(笑)
様々な先生たちが、様々な理由で沢山やめていかれました。
私も研修会はサボり気味(かなりサボってる)ですが、師匠への恩返しを生涯していくつもりです。
それが人の道です。人の道を離れて本当の治療家にはなれないと断言しておきます。
毎年患者さんからおめでたいお花が。
最近、その道で成功してる人の書籍、TV、YouTubeを見まくってます(笑)
一流の人の言葉から様々学ぶ事が多く鍼にも通じますので楽しいです。
先日は、さんまさんと森保監督のインタビューに感銘しました!
森保監督が、さんまさんに「あの、お笑いの世界ですが何か努力とか訓練してるんですか?」と(笑)
さんまさん、「勿論ですよ〜お笑いの世界で努力とかそんなのは見せませんからね」と。
お2人共とにかく基本が大事と言うことを言われてました。
そして、お笑いの基本は「緊張の緩和」のみだそうです!すごい!この言葉。
私はM-1グランプリだけは毎年見てますが、今年は殆ど笑えませんでした。
さんまさんも、あかんやん!決勝は見れんかった(笑)と言われててちょっと嬉しかったです。
基本、私は、さんまさんがTVに出てたらあまり見ない方なんですが。うるさ過ぎるのとリアクションが大き過ぎるので。
でも、対談を聞いててすごいなぁと感心しきりでした。どんな世界でも基本のトレーニングを積んでいけば、どんな形が来ても対応できる。と。
鍼の世界も全く同じです。私も師匠から徹底的に基本を叩き込まれました。
感謝しかありません。
そしてさんまさんの夢は、現状維持!との事。67歳にしての夢。素晴らしいです。大きな大変な夢ですね。
さんまさん弟子入りした時、西宮市に住んでたそうでなんだか好きになってきました!
でも、TVでは見ませんけど(笑)
阪神淡路大震災から29年目の今日。
私も被災しましたので、当時の忘れられない状況を少し残します。
朝まだ寝てる時、ドンっと突き上げと共に爆音で目が覚めました。
その直後、洗濯機の中に入ってる様な揺れでベットから振り落とされそうでした。爆撃された?と思った程です。
揺れがおさまった時のあの静けさ。ベランダから外を見ると何軒か火事に。修繕工事中で足場をつたって猿の如く隣近所見に行きました。
自宅も職場も全壊扱いになり、近所の小学校に避難しましたが、人が多すぎて車の中で一夜を過ごし、次の日には近くの施設へ。
ここでインフルエンザが大流行して殆どの人が感染しましたが、私は1人グランドピアノの下に寝てたからか元気でした。(怖かったけどね)
それから安否確認に東奔西走しました。新幹線の高架橋が崩れてたのを見た時はゾッとしました。前日話してた友人も亡くしました。
マンションは真ん中辺りが全てぺちゃんこになり、二階建ての家の2階が道路を塞いでたり、
そして、ここ鍼灸院で働いて下さってたHさんの甲子園口のマンションは全壊粉々になってました。
彼女は亡くなったと呆然自失でしたが、
彼女の実家に行くと、Hさんが炬燵に入ってて(笑)6階から崩れて家具と一緒に落下したものの、無傷でしたと。奇跡。不思議な人です。
私の母は、普段と違うところに寝てたので助かりました。とにかく、あの時…ああすれば…が良くも悪くも飛び交ってる状況でした。
171号線沿いの潰れた一軒家の屋根に若い男性が乗って項垂れてる姿が忘れられません。今もそこを通る度に浮かんできます。今は更地です。
お一人お一人全員にそれぞれの一生忘れられないドラマが続いています。
日本は地震大国。人ごとでは無いです。恐れ過ぎず、準備を怠らず、自分は強運だと信じて日々を過ごしましょう共々に。
令和6年がスタートしましたね。
元旦は大地震。辛すぎます。
西宮もかなり揺れました。
29年前に阪神淡路大震災に遭ってますので蘇りました。
あの時、後数秒揺れていたら私もこの世にいませんでした。
能登地震は3年前から度々揺れていたとの事。土台が緩んでるところに今回の地震です。
家のおトイレを1年前に新しくされた方はトイレだけが残ってました。
とにかく古い一軒家は絶対補強した方がいいです。お金の問題もありますが、した方がいいです。
そして、少しでも揺れたら一番にすることは火を消す事です。火事が出たらどうしようもありません。
日本中どこにいつ地震が来てもおかしくない程、地震の活動期に入ってるそうです。
どうか一日も早い復興と全ての方が見つかりますように。そして現地で活躍されてる全ての方のご健康を毎日祈っております。