チューリップが満開です。
先日、ある会社の社長さんとお話しする機会がありました。
若手ばかりの会社で経営者として社員の育成に様々苦労してるようです。
あまり目が行き届いても社員は窮屈になりますし、今は怒られながら這い上がってくるという時代では無さそう、潰れるか恨まれそうですね(笑)
その会社では毎月◯◯月間というのがあるらしく、以前は挨拶月間だったそうです。挨拶大事ですね~~!挨拶一つで人柄や体調まで分かったりします。
我が院でも早速実行に。朝の爽やかな挨拶は自分も周りも元気にさせます。いい習慣は付けるべしです。
鍼灸師同士の爽やかな挨拶はそのまま患者さんにも波及します。ブースに入った時の暗雲を払う爽やかな笑顔こそ治療の第1歩です。
声や態度から内面も変わっていきます。何事も基本中の基本を大切にしたいです。
食べようと思った菜の花…花が咲いちゃいました(笑)
最近鍼灸の勉強会に関するチラシが多く入っています。今朝は6回の受講で40万円、それも一回90分です。
スタッフが1分740円です(笑)と驚いてました。難病疾患に至っては4回50万円。。。高くても内容が良ければいいのですが、どう考えてもそんな短い時間で難病に立ち向かえるとは思えません。
鍼灸専門学校の勉強だけでは中々患者さんを治す自信が持てないのは分かります。
国家試験に合格し鍼灸師になったものの、路頭に迷ってる人が余りに多い事は問題です。
私が所属する北辰会での勉強会は、14回で7万円弱、それも午前から夕方まで。
それでもこの勉強会だけで治せるようにはならないです。医療ですから簡単なわけがないと本気で自覚して地道に勉強しなくちゃ。
更にいいのは自分が信頼できる師匠について、実際に治療を受けたり見学したりするとグンと臨床能力が上がります。
現代はセッカチ過ぎるように思います。またネットでも脳が直ぐに騙されるような(笑)広告が氾濫してますね。
東洋医学は人間の深遠さに魅了されてこそ成り立つ医学だと感じます。
「日々の心いろいろ」より (サルスベリ)
生き生きと全てのものが芽吹く4月に入りました!大好きな新生の季節です。
今日から実千代鍼灸院も新しい体制でスタートしました。長年勤めて下さった平野真奈先生は3月いっぱいで退職され、新たに、平山杏先生と大杉朋史先生(土曜のみ)が来てくださいました!
平野先生の患者さんに対する誠実さにはいつも感心していました。これからの成長が楽しみです!
平山先生と大杉先生は、私の師匠藤本蓮風先生のところで内弟子として修行を積んでこられた人材です。
スタッフは4人体制でスタートしますが、全員国家試験に合格した立派な鍼灸師です。定着してきた時間外診療もどんどん活用して下さい。
全ては変化変化の連続です。良く変化するか悪く変化するかは、全て自分(院長)の一念です。
お互いに切磋琢磨しながら技術力と人間力を本気で磨いていきたいです。楽しみです。
「日々の心いろいろ」より (初雁)
鍼灸師の治療の武器は「手掌」です。
検査機器は有りませんので、患者さんのツボに手掌を接触させて診断していきます。
よく治す術者の手掌は本当に温かくてホワンホワンしてますね。もっと触っていて(笑)と思わせる手掌です。私の師匠も素晴らしい掌です。
北辰会方式は体表観察に重きを置いてますので尚の事、手掌大切です。
先日の日曜日は朝から夕方まで体表観察の勉強会でした。
ベテランの先生方とお互いに体表観察をしましたが、体表を手掌で触られてる間にツボがドンドン変化して顔色は良くなっていきます。
鍼をする前に様々なアンバランスが整ってしまう事が多々あります。
私もベテランの先生に掌を当てて頂いただけで下半身がポカポカ。驚く程に。
整体に触れる事で気の交流がダイナミックに起こりますが、どんな気持ちで肌に触れるかが問われます。
その心持ち次第でドンドン優しい手掌になりますね。いい手掌を作りたいです。
「日々の心いろいろ」より (ギンバイ花)
当然ながら、この様な仕事に携わっていると、「病」について考える事が多いです。
中村雄二郎さんが著書『臨床の知とは何か』の中で、トマス・マンの『魔の山』を引用されてこんなお話をされてます。
「魔の山」とはスイスの高原にある結核療養所の事で、青年ハンスが従兄弟のお見舞いに訪れた際、彼も結核になり入院生活を送るようになります。
ところがハンスは、病気の世界に魅せられてしまいます。これまで平凡で健康な市民として生きてきた彼でしたが、病による解放感を味わったのです。
作中人物の一人は、《人間の尊厳性と高貴性は精神に、病気にあるのであって、一言でいうと、人間は病気であればあるほど人間であるのである》と引用されてます。
中々示唆に富んだお話です。
バランスが崩れたら病が発症する訳ですが、もっと根底の無意識のところでは、自ら望んで病になり、自分を解放して本来の自我に目覚めたり、
時には病によって家族全体の心や魂の問題を解決に導いたりと、
病と言っても、中村雄二郎さんが言われてるように、「深い生命の目覚め」である場合があります。
この仕事の奥深さを考えさせられます。